Quid sum
miser tunc
dicturus,
quem
patronum
rogaturus,
cum vix
iustus sit
securus?
すべてを思い出したとは云い難かった。それでも何かを思い出した。忘れていた何かを。失ったもの、マナという名。
おぼろげな記憶。ありえないはずの記憶。あたたかいミルクの匂いのする___
ぼうっとするぼくの意識を現実に呼び覚ましたのは、足元の床板が軋む大きな音だった。小さな町、そのはずれにある崩れかけの小屋のような家___ぼくが生まれた場所。
扉を開けると、敷き詰めた藁に粗末なシーツを引っ掛けただけのベッドと、足の高さがバラバラで歪んだ椅子が一脚転がっていた。そうしてベッドの傍の床に、黒く広がる染み。
血の痕だ___すぐに理解した。だが死体はどこにも見当たらなかった。あのままここで朽ち果てているものだとばかり思っていた。町人が片付けたのかもしれない。
ぼくはベッドへと近寄った。シーツも同じく茶色の染みに汚れている。ベッドの足元に、黒い布の塊があった。触れると積もった埃が舞い上がる。ぼくは けほり と咳き込みながら、云い知れぬ期待を込めてそれを持ち上げた。
それは黒い外套だった。安物の布でできた、ありふれた意匠の男物の外套。ぼくは埃で白くなってしまっている布を叩くと、袖に腕を通した。千年伯爵から与えられた左の義手を通す時に苦労しながら、ぼくは外套を身に纏ってみた。子どものぼくにはそれは大きすぎて、袖は長さが余っていたし、裾はくるぶしまでありもう少しで引き摺らねばならないところだった。随分不恰好なことだろうが、それでもぼくはこの外套を着て帰ろうと決心していた。誰に何を云われても、これだけは手放しはしない。ようやく手に入れた、思い出の中だけのひとが確かに存在していたという証___ぼくはぎゅっと前合わせを掻き寄せ、外套ごと自分の身を抱きしめるようにしてうずくまった。
( マナ―――... )
心のなかで、名を呼んでみた。
外套はぼくを無言で包み、暖かかった。マナに抱かれているような錯覚におそわれ、鼻の奥が つん、 と痛んだ。逢いたい___そんな想いが溢れた。もういちどだけでもいい、あいたい。マナに。マナ―――
何度呼びかけても返事のくれないマナを、ぼくは恨めしく思った。喪失感は募るばかりで、少しも癒えることはないのだ。それは人間を殺す前の渇えに似ていた。欲求と欲望と本能の入り混じった混沌とした感情。ぼくの魂を灼きつかせようとするもの。そして苦しみへと転化するもの。ぼくは蹲ったままの体勢で、膝に額を押し付けて泣こうと試みた。が、涙は出ず、ぼくは外套の袖で乱暴に乾いたままの目元を拭った。立ち上がって、 さよなら を告げた。床に広がる消えない染みに。何年もしないうちに崩れてしまうだろう場所に。
でもこのマナという名だけは けして忘れまい と、誓って。
(哀れな私はいったい何を云えばよいのか?
正しい者さえ不安の中にいる時、どんな弁護者の助けが得られるというのか?)