Liber scriptus proferetur,
in quo totum continetur,
unde mundus judicetur.



気付けば、ぼくの視界は真っ赤に染まっていた。
それは喩えでも、形容でもなく、そのままの表現だ。
 ぴちゃん、 滴る音がした。赤いあかい世界。ぶれた視界いっぱいに。ふと寒気を感じて身体が震えた。生温かい血溜まりのなかにいて。
頭を上げた。低い視界に見えたのは、たっぷりと生地を使った贅沢な衣裳ふくに身を包んだ人々の横たわる姿。何人も何人も。むせ返るような、煮詰まった肉料理フレッシュの匂い。口の中に鮮やかフラッシュによみがえる錆のかおり。

琴線を掠めていく なにか。 ―――恋しいもの。

「今回もまた時間がかかりましたねぇ、アレン♡」

声に振り向けば、おなじみのレロを手にした人がいた。機嫌が悪いわけではないのだろうが、どこか不満そうなようすで。その理由がぼく自身にあると判ってしまったから、少し哀しくなった。褒めてもらいたくて、がんばったのに。
「...ごめんなさい、」
云いながら身体を起こし、ぐちゃぐちゃになってしまった身形を整えた。頭から降りかかった血はすでにあらかた乾いてしまって、髪を掻き上げるとバリバリと指に絡まってきた。真っ白で柔らかかった卸したてのシャツは、ペンキをぶちまけたように まだらに 赤く染まっていた。赤い血―――たくさんの人間の、それぞれに色調トーンの異なる赤が混じり合い、調和ハーモニーする。うつくしい、あまい音色の赤。零れ出す瞬間が僕は好きだった。行き場をなくしたように噴き出し、悲しむように冷えていく、その赤が。
だってとてもなつかしい。
恋しいとぼくのたましいが声を上げる。
食事、、の前も後もいつも立っていられないくらいに吐き気はするし、まっすぐ顔をあげていられないくらいに頭痛はするし、胸は背中から突き刺されているようにひどく痛むけれど、どこかでぼくは嬉しがっている。血の色が囁きかける___ぼくの名を。アレン。アレン。

そして襲い来る、とてつもない 喪失感。

人間をころせば、伯爵様は褒めてくれる。食欲はちっとも湧かないけれど、お腹は空くからぼくは人間をころしにいく。でも満たされれば満たされるほど吐き気は強くなるし、いいことなんてないんだ。血はあたたかい___でもすぐにその温もりはどこかへ消えてしまう。ぼくには残されない、なにも。惨めな赤だけが手のひらにこびりつく。こんなに恋しいのに。あの喪失感、、、、、
恋しくて悲しくて苦しくて辛い。だけど泣けない。ぼくは涙を忘れてしまった。生まれたあの日に。
喪失感___寒気を感じるのは身体じゃない。なにかを失って、忘れてしまって、ぼくのこころが寒がっているんだ。
伯爵様が何事かを呟いている。やはり兵器として効率が悪すぎる、とかそういったことを。ぼくはぼんやりとそれに耳を傾けた。捨てられるのだろうか―――その思いは意外な鋭さでぼくの胸を打った。捨てないで___そう懇願する気持ち。誰か、、に向かって。必死に。ぼくを見捨てないで。
目の前の伯爵様の影がぶれて、誰かの影が重なる。連れて行って、ぼくを。いっしょにいさせて、みすてないで。力の限り叫びたかった。名前を。誰か、、のなまえを。

 

 

 

 

(そのとき、この世が裁かれる、すべてについて書き記された書物が、差し出されるであろう。 )