De
profundis
clamavi ad te Domine
Domine,
exaudi
vocem
meam.
アレンは切符を見せて、駅の改札を通った。閑散としたホームに、ぽつりと待合所が立てられている。彼はゆっくりとそこまで歩み、静かに扉を開いた。中は木炭のストーブにかけられた薬缶の湯が、沸騰して しゅうしゅう と音を立てる以外は しん としていた。ストーブの周りに黒い団服を着込んだ若者が3人、めいめいにくつろいだ様子で座っている。アレンはわずかに微笑みを浮かべ―――それは見たもの誰もが天使の微笑とほめそやすものだった―――暖かなストーブから一番遠く離れた、隙間風の吹く入り口近くの椅子に腰を下ろした。3人だけしかいない待合所にやって来た他人 に、彼らが視線を向けることはなかったが、もしここでアレンが少しでも不審な行動を取れば、彼らがその手に武器を番えるだろうことは容易に感じられた。
くしゅん アレンがくしゃみする。
最初にアレンを見たのは黒髪の少女...リナリーだった。自分たちが占領しているために近寄れなかったのだろうストーブの傍の席へ、他人 を誘うために顔を上げた彼女は、こどもの顔を見て目を瞠った。
「...アレン、くん......?」
憶えていてくれたのか、という驚きが自然とアレンの表情にも表れた。云い様のない思いが湧き上がって、それは何故だか後悔の念となってアレンのうちに影を落とした。
「アレン君、よね?」 リナリーがもう一度問う。眼帯をした青年も本から顔を上げてアレンを見た。
「あ...貴方がたは...」
アレンは云って、笑い顔を作った。夏にお会いしましたね、お久しぶりです。
リナリーは嬉しそうに、やっぱり と呟いた。その隣ではラビが、 おーっスゲェ偶然さぁ と声をあげ、瞑想でもしていたのか、神田はうっすらとその黒曜石の両目を開けた。
「またお逢いできて嬉しいです、リナリーさん。それにラビさんと、カンダさんも」 アレンは云い、ぺこりと頭を下げた。
「わたしもよ、」
リナリーが木造りの椅子の上へ毛糸の塊を置きながら云った。彼女は立ち上がり、アレンのために待合所に備え付けられていたお茶の缶を開けた。外は寒かったでしょう、アレン君? そう云ってリナリーはアレンに歩み寄り、自ら淹れたお茶を差し出し訊いた。
「ありがとうございます、」 アレンは素直にブリキでできた粗末なコップを受け取り礼を述べた。リナリーの背後、視界の隅でラビと神田がじっとこちらを見つめている。
「また旅行してるの?」
「いいえ、叔父に逢いに来たんです。もう帰るところなんですけど...うち、親戚が多くってヨーロッパ中にいるものですから移動するのにも一苦労で...」
アレンとリナリーが話すところへ、音を立てて待合所の扉が開かれた。手に大きなトランクを持つ、帽子の男。
「...ぼっちゃん、お荷物をお持ちいたしましたよ」
「ああ、ありがとう、」 アレンはにこやかに返して、そこに置いてもらえますか と滑らかなクィーンズの発音と共に椅子の上を指差す。その帽子の男の視線が不自然に動いたのを、リナリーもラビも神田も見逃さなかった。男はアレンの云うとおりにトランクを椅子の上に置くと、帽子をちょっと掲げて出て行った。それと入れ替わるようにして、中年の夫婦が待合所に入ってきた。夫婦は失礼しますね、と断ってラビと神田が座る椅子の隣へ腰掛けた。
「ぁ...」
アレンがかぼそく声を上げるのを、リナリーが怪訝そうに見やった。 「アレン君...?」
彼の特徴的な白い髪が映えるほど、アレンの顔色が青白くなっているのにリナリーは驚く。
「どうしたの...? 大丈夫?」
ラビと神田がどう考えているかは知らないが、リナリーはアレンを “ 人間 ” だと判断していた。それゆえの気遣いであったし、今アレンが怯えているふうに見えるのは、どう見てもリナリーたちの薔薇十字ではなく―――、
「すみません、キエフ行きの列車が来るまであとどれくらい待てばいいのでしょう?」
品のいい婦人がラビに問うた。
「...たぶん、あと3時間くらいかなぁ?」 あくびをしながらラビが答える。
そうですか、ありがとう―――
「 エ ク ソ シ ス ト 」
云うや否や、婦人は隣にいた男性とともに吹っ飛ばされていた。小さな待合所は、その壁の一角を大きな槌で粉々にされ、支えを失いぐらぐらと揺れて崩れ落ちた。崩壊に巻き込まれる寸前、アレンはリナリーの柔らかな腕に包まれて難を逃れていた。いつのまにか外の地面の上へ移動していたアレンは、不思議そうに ぱちぱち と瞬きしたあと、顔色を変えた。 「リナリーさん! お茶が!」
アレンが持っていた、彼女が淹れてくれたお茶が服にかかったのを、アレンは心配した。だいじょうぶよ、この服丈夫なの。 リナリーは云った。
「それよりアレン君、怪我はない?」
こくん、とアレンが頷くのに、リナリーはほっと息をついた。騒ぎを聞きつけて、駅員がこちらへと走ってくる。 「お客様、これは一体―――?!」
「あー...ストーブの爆発さ、へーきへーき」 ラビがへらへら笑いながらさらりと嘘をついた。
「爆発?! お、お怪我はありませんか?」
そうオロオロとラビと神田に近づいてくる駅員を見たアレンが はっ として声を張り上げた。
あぶないっ
アレンの声に応えるようにして、黒い一閃が駅員の身体を真っ二つにして壊した。がしゃん と小さな螺子や歯車をこぼれさせながら崩れていくのは、紛れもなくアクマだ。
なぜこの少年はそれがわかったのだろう―――リナリーは腕の中に抱えた小さな白い子どもを見下ろした。彼は人間のフリをしていたものが、人間でなく崩れていく様を見ても驚く様子はなく...ラビや神田が無事なのに心底安心した、という表情をしていた。
「アレン君...今どうして...」
アレンがリナリーを見た。子どもは酷く怯えた かお でリナリーを見た。ぼく...とアレンの唇が音なく動いた。だがアレンはその台詞を続けることなく、突如響いた悲鳴に小さな身体を振るわせた。
リナリーが顔を上げてその声のした方向を見ると、アレンの荷物を運んできた帽子の男が神田に刀を突きつけられ、ぶるぶると震えていた。
彼がやってきてからアクマの襲撃があった。神田は当然、その帽子の男も仲間 だと判断したのだろう。ラビも、そしてリナリーも同様だった。だからこそラビは槌を肩に構え、リナリーもまた神田の行動を咎めなかった。アレンだけが 「やめてください!」 と叫んでいた。
彼もやはり結局は人殺しと罵るだろうか...リナリーは沈んだ気持ちで腕の中の少年がもがくのをなんとか留めながら思った。ダメです、とアレンは叫ぶ。リナリーさん、止めてください、あの人は...
「やめてください! そのひとは人間です!」
リナリーは驚いて腕の力を緩めてしまい、その隙に子どもはするりと逃げ出して神田と震える帽子の男の間に立ちはだかった。
「やめてください、このひとはほんとうに、人間なんです」 アレンは真剣な声で告げた。
お前に何がわかる―――云おうとして神田は言葉を飲み込んだ。そして今度はアレンにも、その痺れるような殺気を向ける。ラビが あれまー と場違いにのんびりとした声を発した。
「...アレン、くん......そ れ......」
アレンの額から、左の頬へかけて真っ直ぐに、血塗られた疵が鮮やかに浮かび上がっていた。
子どもの白い髪の間からちらりと覗くのは、紛れもなくアクマの逆五芒星 。
「信じてください、このひとは人間です。僕にはわかるんです、」
子どもは突きつけられる切っ先に怯むことなく 凛 として告げた。
僕、 悪魔が見えるんです―――
くしゅん アレンがくしゃみする。
最初にアレンを見たのは黒髪の少女...リナリーだった。自分たちが占領しているために近寄れなかったのだろうストーブの傍の席へ、
「...アレン、くん......?」
憶えていてくれたのか、という驚きが自然とアレンの表情にも表れた。云い様のない思いが湧き上がって、それは何故だか後悔の念となってアレンのうちに影を落とした。
「アレン君、よね?」 リナリーがもう一度問う。眼帯をした青年も本から顔を上げてアレンを見た。
「あ...貴方がたは...」
アレンは云って、笑い顔を作った。夏にお会いしましたね、お久しぶりです。
リナリーは嬉しそうに、やっぱり と呟いた。その隣ではラビが、 おーっスゲェ偶然さぁ と声をあげ、瞑想でもしていたのか、神田はうっすらとその黒曜石の両目を開けた。
「またお逢いできて嬉しいです、リナリーさん。それにラビさんと、カンダさんも」 アレンは云い、ぺこりと頭を下げた。
「わたしもよ、」
リナリーが木造りの椅子の上へ毛糸の塊を置きながら云った。彼女は立ち上がり、アレンのために待合所に備え付けられていたお茶の缶を開けた。外は寒かったでしょう、アレン君? そう云ってリナリーはアレンに歩み寄り、自ら淹れたお茶を差し出し訊いた。
「ありがとうございます、」 アレンは素直にブリキでできた粗末なコップを受け取り礼を述べた。リナリーの背後、視界の隅でラビと神田がじっとこちらを見つめている。
「また旅行してるの?」
「いいえ、叔父に逢いに来たんです。もう帰るところなんですけど...うち、親戚が多くってヨーロッパ中にいるものですから移動するのにも一苦労で...」
アレンとリナリーが話すところへ、音を立てて待合所の扉が開かれた。手に大きなトランクを持つ、帽子の男。
「...ぼっちゃん、お荷物をお持ちいたしましたよ」
「ああ、ありがとう、」 アレンはにこやかに返して、そこに置いてもらえますか と滑らかなクィーンズの発音と共に椅子の上を指差す。その帽子の男の視線が不自然に動いたのを、リナリーもラビも神田も見逃さなかった。男はアレンの云うとおりにトランクを椅子の上に置くと、帽子をちょっと掲げて出て行った。それと入れ替わるようにして、中年の夫婦が待合所に入ってきた。夫婦は失礼しますね、と断ってラビと神田が座る椅子の隣へ腰掛けた。
「ぁ...」
アレンがかぼそく声を上げるのを、リナリーが怪訝そうに見やった。 「アレン君...?」
彼の特徴的な白い髪が映えるほど、アレンの顔色が青白くなっているのにリナリーは驚く。
「どうしたの...? 大丈夫?」
ラビと神田がどう考えているかは知らないが、リナリーはアレンを “ 人間 ” だと判断していた。それゆえの気遣いであったし、今アレンが怯えているふうに見えるのは、どう見てもリナリーたちの薔薇十字ではなく―――、
「すみません、キエフ行きの列車が来るまであとどれくらい待てばいいのでしょう?」
品のいい婦人がラビに問うた。
「...たぶん、あと3時間くらいかなぁ?」 あくびをしながらラビが答える。
そうですか、ありがとう―――
「 エ ク ソ シ ス ト 」
云うや否や、婦人は隣にいた男性とともに吹っ飛ばされていた。小さな待合所は、その壁の一角を大きな槌で粉々にされ、支えを失いぐらぐらと揺れて崩れ落ちた。崩壊に巻き込まれる寸前、アレンはリナリーの柔らかな腕に包まれて難を逃れていた。いつのまにか外の地面の上へ移動していたアレンは、不思議そうに ぱちぱち と瞬きしたあと、顔色を変えた。 「リナリーさん! お茶が!」
アレンが持っていた、彼女が淹れてくれたお茶が服にかかったのを、アレンは心配した。だいじょうぶよ、この服丈夫なの。 リナリーは云った。
「それよりアレン君、怪我はない?」
こくん、とアレンが頷くのに、リナリーはほっと息をついた。騒ぎを聞きつけて、駅員がこちらへと走ってくる。 「お客様、これは一体―――?!」
「あー...ストーブの爆発さ、へーきへーき」 ラビがへらへら笑いながらさらりと嘘をついた。
「爆発?! お、お怪我はありませんか?」
そうオロオロとラビと神田に近づいてくる駅員を見たアレンが はっ として声を張り上げた。
あぶないっ
アレンの声に応えるようにして、黒い一閃が駅員の身体を真っ二つにして壊した。がしゃん と小さな螺子や歯車をこぼれさせながら崩れていくのは、紛れもなくアクマだ。
なぜこの少年はそれがわかったのだろう―――リナリーは腕の中に抱えた小さな白い子どもを見下ろした。彼は人間のフリをしていたものが、人間でなく崩れていく様を見ても驚く様子はなく...ラビや神田が無事なのに心底安心した、という表情をしていた。
「アレン君...今どうして...」
アレンがリナリーを見た。子どもは酷く怯えた かお でリナリーを見た。ぼく...とアレンの唇が音なく動いた。だがアレンはその台詞を続けることなく、突如響いた悲鳴に小さな身体を振るわせた。
リナリーが顔を上げてその声のした方向を見ると、アレンの荷物を運んできた帽子の男が神田に刀を突きつけられ、ぶるぶると震えていた。
彼がやってきてからアクマの襲撃があった。神田は当然、その帽子の男も
彼もやはり結局は人殺しと罵るだろうか...リナリーは沈んだ気持ちで腕の中の少年がもがくのをなんとか留めながら思った。ダメです、とアレンは叫ぶ。リナリーさん、止めてください、あの人は...
「やめてください! そのひとは人間です!」
リナリーは驚いて腕の力を緩めてしまい、その隙に子どもはするりと逃げ出して神田と震える帽子の男の間に立ちはだかった。
「やめてください、このひとはほんとうに、人間なんです」 アレンは真剣な声で告げた。
お前に何がわかる―――云おうとして神田は言葉を飲み込んだ。そして今度はアレンにも、その痺れるような殺気を向ける。ラビが あれまー と場違いにのんびりとした声を発した。
「...アレン、くん......そ れ......」
アレンの額から、左の頬へかけて真っ直ぐに、血塗られた疵が鮮やかに浮かび上がっていた。
子どもの白い髪の間からちらりと覗くのは、紛れもなくアクマの
「信じてください、このひとは人間です。僕にはわかるんです、」
子どもは突きつけられる切っ先に怯むことなく 凛 として告げた。
僕、 悪魔が見えるんです―――
(深淵の底より、主よ、あなたを呼ぼう。主よ、私の声を聞き届けたまえ。)