Absolve
Domine
animas
omnium
fidelium
defunctorum
ab omni vinculo
delictorum.
戦場から逃げ出したアクマを一人追いかけて、サイズの合わない古ぼけた黒外套に身を包んだ子どもはゆったりと大通りを歩んでいく。背中に流れる雪色の尾が歩みに合わせてゆらゆら揺れる。目標のアクマの行き先は、第2の瞼を開いた左眼に示されていた。 (顕微鏡の中のミジンコ。) 連想してアレンは哂った。それほどに認識される存在だろうか? あれが? たかがレベル1のアクマが。アレンの皮手袋に包まれた指先が愛しげに額の逆五芒星をなぞった。そのまま黒い指先が瞼に触れ頬を伝い、下ろされる。引き攣れるあかい傷痕が頬からすっかり消えた。“元”の左眼に戻して、アレンは帽子を被り直す。3ブロックほど行った所で、角を曲がり、アレンはとあるレンガ造りのアパルトメントの扉を押した。 (きっと歯牙にもかけられない存在に違いない。戦場から逃げ出した兵器なんて。) 入り口付近に居た主婦らしき人物に、帽子を取りがてらニコリと微笑みかける。ドブリーデン。軋む階段を登り、ある一室の扉を開くと、そこには袈裟切りに傷を受けた男が床にうずくまっていた。音も無く開いた扉に、アレンの冷たい視線を受けながらも気づくことはない。まるで安っぽい無声映画の、安っぽい演技の素人俳優。無様だ。アレンは眉尻を下げた。誰からも省みられない存在。見張る者は誰もいない。
 ___だってグリゴリの統率者ウォッチャーは僕なのだから。

 



「ずいぶん酷い怪我ですね、」
そうアレンが言葉をかけると、男は慌ててこちらを見、 ひぃ と短い悲鳴を上げてわたわたと後ずさりした。
さっきの、、、、、見てましたよ。僕が何故来たのか...わかりますね?」 甘ったるい魔法の水のように。アレンは笑う。変声前のこどもの声で。手に取った帽子を胸元へ。天上から堕ちてきた御遣いの訪ない。アレンは笑う。静謐に。白い前髪と白い睫毛が羽毛の軽さで ふぅわり 揺れた。男が血相を変えて首を振る。

「マ、待ッテ...子爵サマ...!コロッ


ガガガガッ
男の口の中に大量の 金の針 が生え、アクマは白目を剥いて仰向けに崩れ落ちた。磔のメシアのように。

「...滅却ころしはしませんよ、ミズ・フリーデマン。」 アレンはそう優しく呟いた。アクマに向かって左手をそっと差し出しながら。

アクマの骨組みが パキン と音を立て、表面張力が崩れるように男の顔が盛り上がり奇妙に歪んで融けていく。魂を拘束していた鎖が、澄んだ音を奏でながら砕け散ると、生前の面影がまだ残る、魂の姿が露わになった。かろうじて女性と判る。エヴェリーン・フリーデマン。アレンは正確にその魂のもつ名を囁いた。彼女は驚きの表情を浮かべた後、解放の喜びに頬を濡らし、アレンに微笑んで昇天きえて逝った。ジェクイ。ジェクイ、我等が長よ。

汚れた床には、男の粗末な衣服と金の針だけが残り、アレンは差し出していた左手をそっと握り込んだ。すると針は細かな粒子となって宙へ消えていき、あとには服しか残らなくなった。
「...ナ スホレダノウ、安らかに。ミズ・フリーデマン」
密かに捧げられる祈り。全能の支配者の目から隠れて。黒の破壊者たちの与り知らぬところで。
胸の裡で奏でられる詩___あなたも永遠の安息を得ることができますようアテルナム・ハベアス・レクイエム

アレンは 扉を開けて一歩も動かさなかった足を、もと来た階段へと向けた。
さらり 細い髪が白く線を引いて宙に流れた。
歩き出すアレンの後を、追うようにして粒子がきらきらと光を弾き、そして消えた。

 

 

 

 

(解き放ちたまえ、主よ。
あなたを信じて世を去った、すべての魂を罪のしがらみから解きたまえ。)