Et gratia tua illis
succu-
rente,
mereantur
evadere
iudicium
ultionis.
アレンは は、 と息を吐いた。
本来ならば呼吸を必要としないアレンだが、今だけは違った。肩を上下させ荒い呼吸で、時に唸り声も上げた。
奥歯を ぎりり と噛み締めて耐え、息を短く吐きながら緩和を試みて、それでもなおやり過ごすことのできない遣る瀬無さが声に表れてしまう。

身を苛む 苦痛 に のた打ち回る。

四肢は痺れ、思考は停止し、ただ痛みだけがアレンの感じるすべてだった。頭痛と吐き気と―――いつ終わるともしれない苦痛。
罪人を焼く地獄の業火って、こんな感じだろうか、とアレンはぼんやりと考える。なにか少しでも痛み以外のことに意識を向けないと、この永遠とさえ感じられる時間を過ごすことなどできない。

だからアレンがいつも想うのは、ただひとりのひとのことだった。
幸せでしあわせでたまらない日々のことだった。短くとも永遠の日々。かえってはこない過去。

暖かな霞みの向こうの記憶は、ただただ儚い思い出だった。どこまでも続く闇しか見えない視界を閉じて、アレンは瞼の裏に夢見る。愛しいひとの姿が現れるのを。


...だがしかし、いつまで待ってもその人は現れず、笑顔は見れず、アレンは強烈な痛みで目を覚ます。現実を否応無く認識させられる。

胸の奥、たましいの場所からこみ上げるものがあって、アレンはたまらず口を開けて吐いた。陶器質の床の上にぶちまけられた黒く凝った液体は、タイルの表面を焦がして煙を上げた。


涙に滲んだ視界で、アレンはそれを見た。
くく、 喉の奥から低い嘲笑をもらす。自らの正体を笑ったものだった。
痛みが増した。アレンはシャツの胸元が くしゃくしゃ になるのも構わずきつく握り締めて、己の吐瀉物を避けたところへ突っ伏した。

ギチギチいう四肢を何とか動かし、折りたたみ、ちいさく縮こまる。

朦朧とした頭で、アレンはある言葉を思い出した。自分と同じように、人知れず底知れない闇の中で苦痛に喘いでいたひとの言葉を。 莫迦だな、 哂うテノールが耳元で蘇った。お前は莫迦だな、Allein。囁かれる名はその言葉遣いとは裏腹に柔らかい。
  その名のように、調和アルモニーするんだ...この痛みとね。耐えるなよ、もっと苦しくなるだけだ。
   この終わらない痛みから逃れるには―――


アレンは横向きの視界をゆっくりと閉ざしていった。
意図的に意識を手放していく。また痛みによって覚醒を余儀無くさせられるだろうとは知りながらも。
閉じられていく視界の彼方に、緑のタイが綺麗に折りたたまれて置かれているのがアレンの目に入った。襲い来る発作が本格的になる前に、アレンが震える手で自ら外したものだった。ボロボロの黒外套と同様、アレンの宝物だ。汚すわけにはいかなかった。大切にしたかった。


そう、大切にしたかった______



「...ごめん、なさい......マ  ナ.........」




助けを乞う代わりに、ただ愛しいひとの名前をくりかえしくりかえし呟いた。

 

 

 

 

(あなたの慈恵で彼らを助け、罪の裁きから逃れさせたまえ。)