『龍黒様と初めてお会いした瞬間、私はこの方とお会い
する為に人として生まれ、そしてその生を終えて鬼界に
来たのだと確信しました。
どれほど歓喜に打ち震えたでしょう。
どれほど龍黒様を求めずにいられなかったでしょう。
ですからその目的が果たされた以上、私が消える宿命
なのは必然なのだと理解しています。
今の段階で未練がないと言えるほど強くはありません。
ですがいつまでも未練を残しながら花弁を一枚一枚散ら
せるよりも、椿の花のように、いっそのこと最後の瞬間に
一度で未練を断ち切り、潔く散っていこうと自らに言い
聞かせながら全ての物に椿の花を刻んでまいりました。
この身が無に帰す怖さや不安は、龍黒様のお傍で過ご
させて頂くうちに自然と落ち着いていきました。
龍黒様を恋しいと思う度に、涙の代わりに自然と笑みが
浮かんでいきました。
その龍黒様にこれ以上ないほど大切にしていただき、私は
どれほど幸福であったかわかりません。
ですから龍黒様。
私が消えた後は、今まで私に与えて頂けた以上にどうか
どなたかを愛してあげてください。
その方を私の様に幸福にしてあげてください。
そしてどうかどうか龍黒様ご自身が幸福になられてください。
龍黒様の心のどこか片隅に、私を置いて頂きたいと望む
我が侭をお許し頂けるのならば、龍黒様が存在される限り
私もそのお心に従います。
龍黒様が嘆かれる時は私も嘆き、笑顔を浮かべられる時は
笑顔を浮かべ、幸福であれば心にいる私も必ずや幸福で
おります。
御手にこの運命を委ねてしまう勇気の無い私を、どうか
お許し下さい。
龍黒様の腕の中で最後の呼吸を紡ぎたいと望む我が侭な
私を、どうかお許し下さい。
龍黒様がいつまでもご健勝であられますように。
龍黒様がどなたかを愛し、そしてその方と幸福に暮らして
いかれますように…… 黒羽』
何度も何度も読み返した後、詰めていた息を深く吐きながらその文を畳んだ。
そしてその文を戻そうともう一度封じ袋の口を開くと、そこには椿の模様が絵筆で描かれた小さな紙が入っている。
先程の文を櫛の横に置き、封じ袋を逆様にしてそれを掌に取ってみた。
『たとえこの身を失おうとも 心だけは龍黒様とともに
愛していました いつでも私の全てで
これからも愛しています いつまでも私の全てで』
……はたと黒羽の最後が思い浮かんだ。
あの時黒羽が声なき声で紡いだ言葉。
あの時黒羽が最後の呼吸で紡いだ言葉。
それはこの言葉ではなかったか。
私を…愛し続けると……そう告げたのではなかったか……
ぶるぶると震える手でぐしゃりとその紙を握り締め、身の内から勝手に湧き上がる、獣のような咆哮をあげながら己の髪を掻き毟った。
言葉に出さずとも互いにわかっていた。
言葉に出さずとも互いに思いは通じていた。
だが思い返せば返すほど、何故その言葉を伝えてやらなかったのだろうと、後悔の念がこの身を責めさいなむ。
私はただの臆病者にすぎなかった。
黒羽を愛しいと思う度、黒羽への愛が深まる度に、愛しているとは言えなくなっていった。
だが最後の呼吸まで私に捧げてくれた黒羽に、たった一言、何故告げてやらなかったのか。
私の手に運命を委ねるまで、どれほど悩み苦しんだのかを痛いほどに感じていたというのに……
これまで内に溜め込んでいた全ての思いが、地獄の業火のようなオーラとなって我が身を焼き尽くさんばかりに噴き上がり、苦渋の涙が塞き止めようもなく流れ落ちていく。
黒羽……黒羽……
今でもこんなにもお前を愛している……
今でもこんなにも狂おしいほどにお前を欲している……
お前という 『愛』 の全てを、自らの手で永遠に消し去ってしまったというのに……それでもどこまでもお前を乞い願う己を止められぬ……
黒羽の思いを表し続けていた椿の文様全てに唇が擦り切れるほど口付け、何度も何度も、声が嗄れ果ててもなお 『愛している』 と叫び続けた。
それから三日三晩、私は自室を締め切ったまま、今更ながら黒羽を失ったという耐え難い苦しみに血の涙を流し続けた。