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心なしかいつもより長めに私の髪に触れていた黒羽が、櫛を箱に戻すカタンという微かな音を立て、黒羽が私の髪を結う、最後の時が終わった事を告げる。
だが閉ざしていた目蓋を開けてしまえば黒羽を失う時が早まるような気がして、いつまでも目を開ける事が出来ずに黙って座っていた。
するといつもの様に手鏡は渡されず、静寂に満ちた室内に、パサリ、と僅かな衣擦れの音を響かせながら黒羽が後から抱きついて来た。
突然の事にハッと息を飲みながら目を開けると、黒羽は私の背に顔を埋めて身を摺り寄せてくる。

「……龍黒様…私を…抱いてください……」

「……出来ぬ。
 そんな事をすれば……」

だが黒羽は首を横に振りながら私の言葉を遮り、今にも折れそうなほど細い体で必死にしがみついて来た。

「……龍黒様にご負担をおかけする我が侭なのは
 わかっています。
 ですが、どうせ同じ消える定めならば……どうか
 その時を龍黒様の腕の中で迎えさせて下さい……」

前にまわされている黒羽の両手が関節が白くなるほど強く私の着物を握り締め、いまやその手も、背に感じる細く華奢な体も、カタカタと小さく震えている。
何か答えてやらなければと思うのに、その結論に達するまでにどれ程悩み苦しんだのだろうと思うだけで全身を貫かれるような痛みが走り、熱くなった喉の奥からは何の言葉も発する事が出来ずにもう一度硬く目を閉じた。

どうすれば良いのかなどわからない。
たとえ刹那であっても黒羽が存在する時を永らえさせたい。
だがやはり、黒羽自身がそこまでの思いで望んだ事ならば、何があろうと叶えてやりたかった。
黒羽が自らの最後に選択した道を、己の全てで尊重し、応えてやりたかった。
私にはそれ以外にしてやれる事などないのだから。
たとえ私自身の手で、残る最後の灯火を消さなければならないのだとわかってはいても……


着物にしがみついている手に自らの両手を重ねると、ようやくその力が少し弱まる。
徐々に震えが収まっていくその手を着物からそっと放させ、想像していたよりも遥かに細く、緊張もあってか更に冷え切っている指の一本ずつに丹念に唇で触れていく。
ふるっと先程とは違う身震いを見せた黒羽の手を離し、上半身だけ振り返りながらあまりにも軽いその躰を静かに抱き上げて膝の上にのせた。
黒羽は頬にかかった濡れ羽色の髪を覚束なげにはらいながらも、私が願いを聞き届けたとわかって心から嬉しそうな笑みを浮かべる。

「……お礼やら何やら龍黒様には申し上げたい事が
 沢山あるのですが、どれもうまく言葉になりそうも
 ありません。
 ……ですからこれより先は……私の心を直接読んで
 下さいますか?」

聞き取れない程のか細い声で告げたその言葉に頷きながら心の壁を取り払う。
瞬間的に黒羽が私に向ける全ての想いが怒涛のように流れ込み、私は衝撃のあまりに硬く目を閉じた。
黒羽の思いは。
黒羽の心は……

そのどれもが私への感謝を告げていた。
そのどれもが私を恋しいと告げていた。

ここまで懸命に私を求め、ここまで私を愛し続けてくれる黒羽。
こんなにも愛しくて堪らぬ黒羽の命の灯火を、私自らの手で消し去ってしまわねばならぬのか……


余りにもの苦しさと悲しさと行き場の無い怒りとで全身が苦痛にさいなまれ、抑えきれぬ思いが漆黒のオーラとなって噴き上がる。

だが細く冷たい指がそっと頬に触れ、ハッと己に立ち戻った私は、その愛しい体を僅かに力を込めて抱き締めた。
そして今にも消えてしまいそうなほど青白い頬を、我知らず震える片手で包む。

「……黒羽、私の全てを受け取るが良い……」

その言葉に小さく頷き、もう一度嬉しそうに微笑んだ黒羽の目尻から、初めて見せる涙が静かに零れ落ちて行った。