シリーズTOP



黒羽は日に日にその鬼火が小さくなり、人型で過ごす時間が短くなっていった。
それでも必ず毎朝私の部屋を訪れ、どんなに顔色が悪くても懸命に私に笑いかけながら、更に細くなっていくその指で丁寧に丁寧に私の髪を嬉しそうに結い続けた。

私はその黒羽に何一つしてやれぬ。
この髪を黒羽の思うがままに任せ、時々言葉を交わし、目に見えて小さくなっていく鬼火をただ呆然と見つめ続けるだけだ。
麒白や獅紅が、鬼神など無力なものだ、と漏らしていた言葉が、この時ほど身にしみた事はなかった。

いつでも変わらずに笑顔を向けてくる黒羽が愛しくて堪らなく、その黒羽を宿命から救い上げてやれない無力な己自身が堪らなく情けなかった。


****************


ある朝いくら待っても黒羽が私の元を訪れず、もしや、と不安に駆られながら鬼火の場所に飛んでいくと、今にも消え去ってしまいそうなほどではあるが、かろうじて小さな鬼火が燃えている。
実の火とは異なり、熱を持たない鬼火を掌にそっと掬い上げ、祈祷を捧げながら己の持てる霊力をその鬼火に注ぎ込んでいくと、僅かに炎が揺らめき光が増す。
それを見て、束の間胸を撫で下ろしながら静かに鬼火をその場に戻した。
取りあえずはそのまま仕事に向かったものの、その日が黒羽と過ごす最後の日になるのだろうと、嫌でも悟らざるを得なかった。


黒羽を失う覚悟など出来る筈もない。
一体どう受け入れれば良いというのか。
自ら生を終える自由など与えられていない鬼神という立場である私は、黒羽が消えてしまうこの世界にただ一人残される。
この髪の一筋さえも囚われているほど黒羽が私の全てだというのに、その全てを失った私はどう生き長らえていけば良いというのか……


気もそぞろのまま仕事を終えて急いで自室に戻ると、やはり黒羽はあの櫛箱を用意して待っており、私の顔を見るなり嬉しそうに笑った。
そして聞こえるか聞こえないかの小さなか細い声で 『御髪を結わせて頂けますか?』 と微笑む。

これが本当に最後なのだと、痩せ衰えながらも懸命に浮かべるその透明な笑顔からひしひしと伝わって来て、かける言葉など何一つ見付からなかった。
私はただ頷き返しながら黒羽に背を向けて座り、目を閉じて冷たく細い指に自らの髪を委ねた。

遠慮がちに、恥ずかしそうに、嬉しそうに私の髪に触れ、時々私の肌を掠める黒羽の細く冷たい指。
するりと髪をくしけずりながら、いつものように取り留めのない事を子守唄のように話す、黒羽の小さくか細い声。
間違いなく今ここに存在するそのどれもが、まるで初めからなかったかのように無に帰してしまう。
そしてどれほど望もうと、もう二度と私の前に顔を見せる事も、もう二度とこの髪に触れる事も決してありはしない。
なんと無情なことだろう……
なんと無常なことだろう……


髪を結う事など、本来はどうでも良かった。
ただ、黙って目を閉じている私の髪に、細く冷たい指が遠慮がちにそっと触れるのを待ち望んでいた。
髪を複雑な形に編み上げていくその長くかかる時を、私を退屈させぬよう日常の出来事などを子守唄のように話している、小さくか細い声を聞きながら過ごしていたかった。
辛い宿命にも関わらず、どこまでも私を求めてくるその存在を、どこまでも大切にしたくて堪らなかった。
永遠など無いとうそぶきながらも、それでも黒羽が私の髪を結うその時が永遠に続けば良いと、心密かに願わずにはいられなかった。

だがやはり永遠など、ありはしなかった……