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鬼界に来る鬼達は、余程の事がない限りそのほとんどが桜雲のように神霊に変化していく。
だが理由はわからないものの極めて稀に初めから生命力が弱く、神霊に変化する以前にその灯火が自然に消えてしまう者がいる。
どんな運命の悪戯かは知らぬが、それが黒羽だった。


『短期間ではありますがその分精一杯努めますので、
 どうか龍黒様の御髪を結わせて頂くという栄誉を私に
 与えて頂けないでしょうか』

黒羽がこの龍紋領に降り立ち、初めて私と会った際に小さくか細い声でそう口にした。
髪などどうでも良かった私は、初めの頃、そんな必要はないと無下に断り続けた。
だが黒羽は諦める事無く何度でも私に頼み込んで来る。
何故そんなにこだわる?と問うた私に、『自分でもわかりませんが、龍黒様とお会いした瞬間にそれが私の使命だと確信したのです』 と答えた。
自分に与えられた先が短い事を知りつつも、それを受け入れながら私を真っ直ぐに見返し、自分の持ちうる全てで懸命にぶつかって来るその姿に、心が揺さ振られない筈は無い。
気付いた時には既に黒羽に夢中になっており、それまで手入れなどしていなかったこの髪を、恥ずかしそうに、遠慮がちにそっと櫛を入れる黒羽の思うがままに任せることにした。


黒羽はその定めの為か、男や女という性別を超越した、透明で不思議な存在感を持っていた。
だがそんな雰囲気とは裏腹に、ほとんどの者が私に恐れをなし、視線を合わすことすらしないというのに、黒羽だけはいつでも真っ正直に私にぶつかって来る。
泣き言一つ言わず、涙を見せる事も無く、潔く自分の運命を受け入れながら真っ直ぐに私を求めてくるその姿を、私は何よりも愛しく大切に思っていた。


思いが通じ合っているのは互いに初めから承知だったが、私は具体的な言葉を告げない事と己から黒羽に一切触れない事を自らに科していた。
麒白と桜雲の間柄とは違い、属性が同じである私達は触れ合おうと思えばいつでも触れ合うのが可能だ。
だが生命力の弱い黒羽には、私を受け止めるのが無理だとわかっていた。
思うままに求め合えば私自身が黒羽の残り火を消してしまう事になる。

それでも、軽く頬に触れる程度なら、そっとその髪に唇を落とす程度なら、と何度その誘惑に負けそうになったかわからない。
黒羽も私が具体的な言葉をかけず、触れない理由を理解してはいたが、やはりそれを待ち望んでいるのもわかっていた。
だが一度口にしてしまえば、一度触れてしまえば、中途で己を塞き止める事など出来はせぬ。
どこまでも流れ行く、水属性という宿命を背負っている鬼神である以上、一度崩壊してしまえば思いの滝は止めようもなく溢れ出てしまい、黒羽の命の灯火をその流れの中で押し消してしまうだろう。

だから目の前の存在に狂おしいほどの欲望を抱きながらも、一分でも一秒でも私の傍に黒羽が存在している時間を永らえさせる為に、私は自らに科した事を忠実に守り続けていた。


鬼は神霊に変化していく際次の自分の一部を残していく。
私と似たような境遇であった麒白が桜雲の残した桜を愛でる姿を見ながら、その者が存在していたという確かな形が残れば少しは救われるのかもしれぬと思った。
だが、黒羽の場合その片鱗を一切残してはいかぬ。
そんなのは出会った瞬間からわかっていた事で、今更どうこう言ったところで始まらないとは十二分に理解してはいても、やはりどうしても黒羽に定められたその宿命を呪わずにはいられなかった。