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自室にある文机の前に座り、その引き出しに長年仕舞い込んだままだった櫛箱を取り出した。
記憶にある形と寸分違わず、素朴な茶色い蓋に小さく椿の文様が彫り込まれている。
その昔、私の髪を結う為に毎日使われていた櫛や手鏡が入れられているこの箱は、今では一度として取り出される事も使われる事も無い。
現在私の髪は腹心である紫黒(シコク)が別の櫛箱を使って決まった形に結っている。
何故突然これを出してみようと思い立ったのか。
……恐れもせず、私を真っ直ぐに見返した白桜の瞳のせいかもしれない。


麒白と桜雲が永遠の愛を誓って別れたと聞いた時、何故二人は永遠という言葉など信じられるのだろうと思った。
桜雲の残した桜の花弁が芽を吹き、いつか鬼界に戻る事を告げて満開の花を散らせたと聞いた時、火族の巫女の霊力とはいえ不思議な事もあるものだと思った。
だが今日桜雲の生き写しである白桜を目にした時、永遠など欠片ほども信じてはいなかった私が、その言葉も満更嘘ではないのかもしれないと思った。
そしてもし本当に永遠というものがあるのなら、二人の愛がこの先も永遠に続いていくように、と密かに祈るような心持ちになった。

永遠に愛を失ってしまった、私の分まで……


****************


桜雲の桜が散った数ヵ月後の事……


「最近随分と考え事をされる時間が増えたのですね」

私の髪に触れていた冷たい指がふいに離れ、櫛を箱に置く微かな音が聞こえた事で髪が結い上がったのだとわかる。
静かに目を開けながら、後ろから差し出された椿の文様が掘り込まれている手鏡を受け取り、髪の出来を見る為に手渡されたそれで、自分の髪ではなく後ろにいる黒羽(コクウ)の姿を覗き見る。
私の行動を理解している黒羽が鏡越しに微笑んでくるのを見ながら問を返した。

「……黒羽、永遠とは何物なのだろう?」

「麒白様と桜雲の事ですか?」

手鏡を後ろの黒羽に返しながらゆっくりと頷く。

「私は永遠に続くものなど信じてはいない。
 全てはいつか消えてなくなっていくものだ。
 私達鬼神にしろ代替わりがあり、永久に存在する事は
 出来ぬ。
 だが麒白と桜雲は永遠の愛を誓い、事実桜雲の桜は
 芽を吹き鬼界に戻ると告げて散っていったという。
 麒白は桜雲の生まれ変わりを待ち続けるそうだが……
 ……お前はどう思う?」

私の言葉にしばらく考え込んだ黒羽は、椿の文様が彫り込まれた櫛を持ちながら私の隣に膝を進める。
そして濡れ羽色の腰まで届く真っ直ぐな髪やいつも潤んでいるように見えるその漆黒の瞳とは対照的に、日一日と青白さを増していく頬をわずかに赤く染めながら、いつも使っているその櫛を大事そうに撫でた。

「私には永遠という言葉の意味など、難しい事は全く
 わかりません。
 ですから今の私に言えるのは、龍黒様の御髪(おぐし)
 に触れさせて頂ける時間が、いつまでも続いて欲しい
 と願わずにはいられないという事だけです。
 いつまでもこのまま龍黒様のお傍で仕えさせて頂き
 たいと。
 それが無理なのは私自身が一番良くわかっているの
 ですが、願うだけなら自由かと思いまして。」

そう言って黒羽は柔らかく微笑んだ。
櫛を撫で続けているその細くて冷たい指を温めてやりたくて、その姿をいつまでもこの腕の中にとどめて置きたくて堪らなくなり、黒羽の方に一瞬手が動いた。
だが触れる寸前で思いとどまり、伸びかけた両手で硬く拳を握って膝の上に戻す。
それでも湧き上がってくる衝動が止まらず、私はそれを押さえ込む為に勢い良く立ち上がった。

「……私はお前以外の者にこの髪を触れさせるつもりはない。
 それをくれぐれも忘れるな。」

私の言葉に 『ありがとうございます』 と黒羽は嬉しそうに微笑む。
そして仕事に向かう私に 『いってらっしゃいませ』 といつも通り頭を下げる黒羽の細い体を横目で見下ろし、胸をかきむしられるような思いに囚われながら自室を後にした。