「……お前は何故そうまで強くあれる……?」
口ではそう聞いていたが、其の実、その理由はもう目の前に見えているような気がしていた。
そしてそれこそが、心のどこかで長年捜し求めて来た答えなのかもしれない……
私の思いを知ってか知らずか、麒白は何とも言えない不思議な目で私を見ながら言葉を続けた。
「私は決して強い訳ではない。
ただ、出会った事にも愛した事にも後悔していない
だけだ。」
……後悔……
「夢の中だったのかどうなのかはいまだにわからないが、
人間に生まれ変わる前の桜雲と再会した時、深く強く
感じた事があってね。
残される側が辛い思いをすると承知の上で残していか
なければならない側も、どれほど辛いのだろうと。
それでも桜雲は私を愛し続けたいと望んでくれた。
私は桜雲と白桜に愛されて本当に幸せ者だよ。
だが龍黒、お前もだ。
お前が『永遠』をどう思っているのかはわからない。
それでも黒羽の思う『永遠』で愛され続けているのだ
からね。
無責任な物言いに聞こえるかもしれないが、それでも
黒羽は最後の瞬間をお前の腕の中で迎えられて、本当に
幸せだったのだと私は思う。
真っ直ぐな黒羽の事だから、きっと微笑みながら最後の
言葉を紡いだのではないか?
そしてその黒羽を微笑ませたのは、龍黒、お前自身なの
ではないか?」
固く閉じた目蓋の裏に、黒羽の最後の笑顔が浮かぶ。
ただの一度も浮かべた事のなかった私の笑みを見て、最後の最後に花が綻ぶように微笑んだあの幸せそうな顔が……
「黒羽の手紙のおかげでようやく涙を流す事が出来た今の
お前は、止まっていた時がやっと進み始めたばかりだ。
だから今はまだわからないだろうが、お前は愛を失って
などいない。
愛を見失っていただけだ。
お前の心には黒羽という愛の全てが、確かに息衝いて
いるだろう?
お前が存在し続ける限り心にいる黒羽と共に、いつか
必ず誰かを愛し、黒羽が望んだ幸せを手に入れる時が
来るよ。
周りの誰もが皆お前と、延いてはお前の心にいる黒羽の
幸せを心から祈っている。」
そう言って微笑みながら腰を上げると、また遊びに来るよ、と私の肩を軽く叩き、自分の領に戻って行った。
****************
……鬼共には手数をかけるが、あと一日だけ、仕事を先延ばしにさせてもらおう。
明日からはまた、いつも通りの私に戻るから……
麒白が帰った後、私はもう一度文机の前に座ってあの櫛箱を取り出していた。
そっと蓋を開けて持っていた手紙と手鏡をその上に置くと、椿の文様が掘り込まれた、よく使い込まれた櫛を手に取る。
そしてせっかく紫黒が結ってくれた髪ではあるが、それを勢い良く振り解いた。
黒羽の冷たく細い指は、いつもどんな風に動いていただろうか。
黒羽の小さくか細い声は、いつもどんな言葉を紡ぎだしていたのだっただろうか……
閉じた目蓋の裏に一つ一つを思い描きながら自らの髪をくしけずった。
麒白の言っていた意味が全て理解出来たとは思えない。
黒羽の手紙をどう受け取っていいのだか、己の中で整理がついたとも思えない。
だが手紙を見付け、黒羽の最後の思いに触れて今までの思いの丈を吐き出した事で、私の中では確実に何かが変わった。
それが何かと問われても、まだあやふやな答えを返す事しか出来ないが。
ただ、黒羽を思い描いても辛さや痛みや苦しみに支配されるだけだった今までとは違い、その中に少しずつ温かい気持ちが生まれ始めている事に気が付いた。
苦しみや悲しみの中にも光はあるのかもしれない。
これが私の中の時が進み始めた証なのだろうか……
……黒羽、聞いているか?
椿のように潔く散って逝ったお前とは違い、いつまでも歩みを止めていた私は実に不甲斐無く愚かだった。
己の思いだけに囚われ、お前が私に笑顔を残してくれる為に、どれほどの苦しみを乗り越えて来たのかにも気付いてやれなかった。
こんな私でも、お前はまだ恋しいと思ってくれるか。
私の心に、存在したいと思ってくれるか……
いつの間にか私は痛みでも苦しみでも悲しみでもない、己にも判断が付かぬ新たな熱い思いに囚われながら静かに涙を流し続けていた。