打ち合わせ当日。
麒紋殿が朝からずっとバタバタしていた。
普段はほとんど人型にならない鬼達も借り出され、私も白雪様に以前からご指示を頂いていた通りに動いている。
鬼神様達が一同に集われるのは祭祀で祭られる麒紋鏡の場所。
既に火族の獅紅様と光鬼様もお着きになられているし、木族、土族の両長も到着されていて、そのおかげでこの麒紋領には普段感じる事がない、異様なまでの霊力が満ち満ちているのをどの鬼達も感じていた。
そしてそれは私が光鬼様にお持ちするお茶の道具を運んでいる最中だった。
突然傍の中庭に上空から黒いオーラが降りてくる。
それを見た瞬間慌てて茶器を廊下に置き、そのままその場で平伏した。
するとピリピリするような存在感が舞い降りてくる気配がし、それと
同時に冷たいその空気に全身が凍りつくような気がする。
黒いオーラのこのお方は水属性の長、龍黒(リュウコク)様と仰って、話には何度も伺っていたものの実際にお会いするのは初めて。
白雪様のお話では気性の激しい獅紅様と似ていらっしゃる部分が
あるけれど、その性質は全く逆なのだと聞かされていた。
獅紅様はその空気に触れるだけで全身が焦がされてしまうほど熱いオーラを放たれているけれど、確かに龍黒様は全く正反対なのだと、今身にしみて感じる。
麒白様は 『根は悪い奴ではないのだよ』 と笑っていらっしゃったけれど。
「……面(おもて)を上げよ」
ふいに冷たく低い声音で声をかけられ、ビクッと震えながら言われた通りにゆっくりと顔を上げる。
黒髪の長さは獅紅様と同じ、膝ぐらいだろうか。
けれど獅紅様のようにそのまま下ろされているわけではなく、複雑な形で後で1本に編み込まれていた。
そして本当に心まで凍りつくような漆黒の瞳。
決して寒い訳ではないのに、その冷たい存在感に思わずブルッと震えてしまいそうだった。
「お前が白桜という名の桜雲か。
……なるほど、さすがは生まれ変わりだけある。
これは麒白もさぞかし喜んだであろうな。」
小さな声でボソボソと囁かれた龍黒様の言葉の中で 『桜雲』 という言葉だけが大きく響いた。
「リュ、龍黒様!
龍黒様は桜雲という名の方をご存知なのですかっ?!」
失礼も省みずに思わず口を開いて尋ねると、龍黒様は少しだけ
驚かれた様に私を見た後、面白そうにクッと笑った。
「なんだ?お前は桜雲を知らなかったのか?
やはり麒白は随分とお前を大事にしているのだな。
桜雲についてはどの鬼神も知っているし、この麒紋領の
鬼共ならば知らない者はいないだろう。」
「……そんなに有名な方なのですか?」
なのに何故私は知らないのだろう?
「当然だろう?
永遠の愛を誓ったという麒白と桜雲の恋話は有名だからな。
桜雲の強い思いが桜の花弁から芽を出させ、そしていつこの
鬼界に戻ってくるのかわからない桜雲の生まれ変わりを、
麒白はただひたすら何年も待ち続けた。
……私は永遠の愛など信じてはいないが、こうしていると
満更嘘ではないのかもしれないと思えて来るから不思議な
ものだ……」
「……?
どういう事でしょうか?」
いまいち話が飲み込めずに首を傾げながら聞き返すと、龍黒様は私をしみじみと眺めた後
「……さすがに驚いて思っていた以上に話し過ぎた。
どうしても知りたければ先程の私の言葉をもう一度
振り返ってみるが良い。」
と言ってスッと踵を返し、麒紋鏡に向かって静かに歩いて行ってしまった。
そして私は、茶器が届かないのを心配された光鬼様が探しに来て下さるまで、その場で固まったまま身動き一つ出来なかった。
『それを聞いてしまったら私の中の何かが壊れる気がする。
それを聞いてしまったら私が私ではなくなってしまう気がする。』
最近私の心を蝕み始めていた渦を巻くような不安に、
今はもう完全に呑み込まれていた……