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「何かあったのかい?」

麒白様と獅紅様が目の前に近付いてこられる気配を感じながらひたすら頭を下げていると、その私の視界に鼻緒をすげてある麒白様と獅紅様の草履が見えた。

「麒白にお願いがあるんだって。ね、白桜?」

突然光鬼様に話を振られ、慌てて顔を上げて 『ミ、光鬼様っ!』  と私が真っ赤になりながら抗議をすると、光鬼様は何故か楽しそうに微笑まれており、光鬼様の前に立たれている獅紅様は不思議そうに私に視線を向けられる。
そして私の目の前に立たれた麒白様は意外そうに私を見下ろしていた。
先程はその腕から逃げ出してしまったのだから無理も無い。

「白桜が私に?なんだい、白桜?」

「な、な、なんでもありません……」

真っ赤になったまま首を横に振って顔を下げると、獅紅様が口を開かれる。

「光鬼、お前はまた白桜を困らせているのか?」

「え〜?そんな事ないと思うけどな〜?
 白桜は空を飛んでみたいんだってさ。
 だから麒白にお願いしてみたらって言ったんだけど、
 恐れ多いって言うから僕が頼んであげるって。ね?」

私はただひたすら赤くなりながら下を向いていた。
するといきなり大きな手で両手首を掴まれ、ハッと顔を上げると麒白様が 私を見下ろしながら微笑まれた。

「そのような事なら時間が許せばいつでもしてあげるのに。
 遠慮せずになんでも言ってくれればいい。
 ほら、おいで。」

麒白様は腰が引けている私の両腕を少し強めの力で引っ張って立たせ、そのまま幼い時の様に 私の体を抱き上げてしまう。
そして緊張と恥ずかしさとで身を硬くし、どこに掴まって良い ものやらわからず両手で口を覆っている私に 『しっかり首に つかまって』 と言われ、同時に白いオーラで二人を包む。
その直後グッと体が持ち上がっていく感覚がしたので、慌てて麒白様の 首にしがみついた。


薄い膜のように張られているオーラの向こうに周囲の景色が見えた。
一気に上にのぼって行き、ふと下を見るとまずは大変よく目立つ獅紅様の真っ赤な長い髪が見え、その隣で光鬼様が私達を見上げながら大きく両手を振られているお姿が見える。
そしてそれがあっという間に小さくなっていき、遠くまで見渡せる高さになったところで止まった。


自分がどんな状況に置かれているのかも忘れて夢中で周りを見渡すと、私達の住む麒紋殿の全貌が見える。
目を瞑っていても歩けるほど毎日過ごし慣れた場所なのに、こうして見るとまったく別の建物 のようだ。
麒紋殿の裏側に絶対近付いてはいけないという川があるのだけど、 確かに話に聞いていた通り、こんなに上から望んでも対岸が全く見えない。
そして一度も出た事のない麒紋殿の周囲には膨大な数の小さな 建物があり、見渡す限り全てが麒紋領だった。

これだけの広大な場所とそこに住む鬼達を、麒白様は一手に治められているのだ。
そんな恐れ多い存在である麒白様に、一介の鬼の分際である私が息子のように 可愛がって頂いている。

歳も若く、霊力も及ばず、なんの取り得もない私が、 何故このように麒紋殿に住まわせて頂き、何故このように ここに来た当初から可愛がって頂けるのだろう?
その上麒白様から直接勉強を教えていただく事など、他の鬼 ではありえない。
今まではそれを疑問に思った事すらなかったけれど……
本来であれば、今ここから見えるあの小さな建物のどこか 一つにいてもおかしくない筈。
何故なのだろう?
何か理由があるのだろうか……?

ふと首にしがみついている麒白様に視線を向けると、麒白様は 黙って優しく微笑まれた。
その途端、つい先程まで忘れていた温かい腕の温もりを意識して、またしても心臓が早鐘を打ち始めてこの場から逃げ出したくなってしまう。
けれどさすがにここで手を離すことは出来ない。
なので赤くなった顔を見られないよう、慌てて下に視線を戻す。
麒白様がまた小さく溜息をつかれるのがわかった。
心配をおかけして申し訳ないとは思っている。
けれど自分でも説明のつかない心の中を、どうしても誰かに話す気にはなれなかった。


しばらくして麒紋殿の上をぐるりと一周した後、下に降ろして頂いた。
光鬼様は相変わらず廊下に座られて足をぶらぶらさせており、獅紅様は光鬼様の前に腕を組んで立たれ、お二人でお話をされていたようだった。
麒白様は私を廊下に下ろしてくださり、それと同時に 『どうだった〜?』 と目をキラキラさせながら尋ねてくる光鬼様に 『大変素晴らしかったです』 と笑いながら答える。

「貴重な経験をさせて頂き、本当にありがとうございました。」

獅紅様の隣に立たれた麒白様に平伏してお礼を申し上げると、また少し溜息を吐いた後 私の頭を撫でられた。

「そんなに堅苦しくなる必要はないんだよ?
 今まで通り、何かあれば遠慮なく甘えてくれればいい。」

優しく言葉をかけてくださり、獅紅様とともに自室に向かわれる。
その広い背中を見送りながら先程の腕の中の温もりを思い出し、痛いような、切ないような 思いが私をとらえ、胸が苦しくて何故か涙が零れそうになった。