アウトサイドワークス

17

 

「じっ……」

「ジタンっ……」

「久しぶり」

 裏口の陰に潜んでいたジタンが易々と黒魔道士の身体を抱き上げて、へたれとんがり帽子を外した。美しい銀髪と愛らしい頬の輪郭は同じだが、強い意志の力の篭もった瞳はまた違った好もしさがある。ジタンはその気になれば六人のビビを同時に抱いて愛するくらい出来るような男だから、このビビだって、仮令今は敵対する目的で動いていたとしたって、可愛いものは可愛いのだから仕方が無いと言ったところ。

「は、離してよっ、僕はっ……」

 ジタンの腕の中でじたばたしても、其処がどれ程深い懐かということを、ビビは知っていた。同じ身体を持つ以上、其処は彼にとっても居心地のいい場所でないはずがない。

「ダメ、離さん。っつーかね、おまえが邸に入ってって悪いことしたりすると、俺らんとこのビビが周りに怒られちゃうわけ。だから絶対に離さん」

「そんなのっ……僕らには関係ないもんっ」

「ほー……、悪いこと言うなあ。悪いこと言う子にはおしおきしなきゃいけないかなあ……?」

 嬉しそうに、ジタンは言う。いまのジタンはとても頼もしいが、人間的に正解か不正解かを問えば、……恐らくやっぱり正解なのだ。「おしおき」の内容さえ精査しなければ。

「やめろ」

 背後から届いた声に、ジタンがあからさまに残念そうに舌を打った。

「……ビビも、諦めろ」

 サラマンダーの爪はぱきりと折れていた。息を弾ませて彼の隣を歩く288号の杖も、焼け焦げている。スーツの裾すら汚していないのはブランクである。

「二対四じゃ勝ち目ないよ。諦めな、坊や」

 ブランクに髪を撫でられて、黒魔道士は悔しそうに歯を食い縛って、がっくりと項垂れた。

 雌雄の決した勝負、……外の騒ぎに、邸が俄かに騒がしくなってきた。門番を務めていたあの銀の鎧の兵士が槍を携えて走ってくる。他にも、邸の者が何人か。その中にはエルエイの姿もあった。

「ああ、大丈夫」

 ブランクがぐるり取り囲んだ者たちを制する。

「もうカタが付いたよ。『盗賊』たちにはきっちり痛い思いをさせてあげたからね、もう来ないさ」

 え、とジタンの腕の中から『ビビ』が顔を上げる。

「そ、その人たちは……?」

「見て判んない?」

 ブランクはビビの、魔法の風で乱れた髪を手櫛で整えるついでに撫ぜた。「この子の兄弟と、その保護者。俺らが戦ってるとこにさ、偶然通り掛かって助けてくれたんだよ。だから俺らと同じ、この邸のお客さんだ」

 兵士たちが顔を見合わせて、やがて納得したように頷いた。

「そういう訳だから、こいつらにも風呂と飯だ。いいだろ?」

 まだ『ビビ』をいとおしそうに抱いたままのジタンの言葉に、反論する者は居なかった。ただビビはブランクがサラマンダーの隣で「好きに探せよ」と囁いたのが聴き取れた。

 兵や執事がサラマンダーとようやくジタンから解放された『ビビ』を邸に招じ入れていくのを見送ると、彼らの前には案ずるようなエルエイの姿が残った。

「ビビ、……お怪我はありませんか?」

「ん、うん。大丈夫だよ。……ていうか、僕はあんまり何にも……」

「この子のお陰」

 ブランクはビビの言葉を遮った。

「この子の魔法がなかったら今頃どうなってたかな。俺らみんなやられてたかもしれないね」

 そうそう、とジタンも調子を合わせる。「何てったってこの子はすっげー強い黒魔道士だもんな。メイドさんのカッコしてたってそんじょそこらの盗賊なんか相手にもなんねーよ」

 誉めそやされて、紅くなったビビに、エルエイは尊敬するような目を向ける。其れがとても面映くて、もじもじとしてしまう。

「この子が頑張ったから、君の働くお邸も無事だったわけだ。この子はそんだけ君のことを大事に思ってるってことだよ」

 ジタンも、ぎゅ、とビビの髪を抑えて言った。「じ、ジタンっ」……好きとかそういう、そういう感情ではなくて……、言うべきことに戸惑っているうちに、エルエイの頬がぽうっと紅くなった。

 だって、だって、だって、

「女の子だもんっ、男の子が護ってあげなきゃいけないんだよ!」

 慌ててビビが叫んだ。288号は、少年の雄々しく凛々しい言葉に感じ入ったように、その愛らしい相貌を見詰めていた。

 が、

「だってさ」

 ブランクはポケットから煙草を取り出して、火をつける。「エルエイ?」……エルエイははっとした顔で、自分を見るジタンとブランクの顔を交互に見る。

「ビビ、あのね……」

 さすがに少し躊躇われるのか、言わなくてもいいことまで平気で言うジタンにしては珍しく、言葉に詰まった。

 それでも彼は膝を付いて、ビビの耳元で言う。

「エルエイは、『女の子』じゃないんだよ」

「へ?」

「え?」

 ビビと288号が、揃って声を上げた。

「……お……、女の子じゃない、って……」

 288号がエルエイの顔をまじまじと見詰める。それは、どこからどう見たって美しい少女の相貌、ジタンの口にした言葉は突拍子もなさ過ぎて、冗談の域にも至らないし、そもそも冗談にしては悪すぎる。

 しかし、立ち尽くすエルエイは否定も肯定もしなかった。

「エルエイは、お前と、……俺らと同じ、男の子だ」

『彼女』は、しばらく口を噤んでいたが、やがて静かに背を向けて、

「私だけではありません」

 と普段と変わらぬ声で言った。

「……この邸に働くメイドたちの半分近くが、男子です。皆、髪を伸ばして、化粧をして、揃いのメイド服を着て、……女子の振る舞いをして。誰も、気付きはしません」

「だけど、俺は会っちゃったからね、『男の子』のときの君に。化粧落として髪下ろしたら、可愛い男の子だった」

「……気付かれたのは、あなたが初めてです」

「だって、俺はいっつも可愛い可愛い男の子がメイド服着てくれてんの見てるから。……まあ、見てても気付かん奴は気付かんけどね」

 ジタンは呆然とする288号の顔を見てそう言った。

 ビビは背を向けて立つエルエイの立ち姿が、「男の子」と言われても未だに信じられないで居る。ここ数日の自分の中に在ったものが、ひょっとしたらジタンやブランクや288号に向けるのに等しい「恋心」だったのではないかということを、この瞬間に初めて思って、……余計に、深い混乱へと誘われていくようだった。


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