アウトサイドワークス

16

 

 実際問題大して美味くない紅茶でも、水よりは多少味気と言うものがあるのであって、ジタンもブランクも288号も其れを仕方なしに飲んで、気付けば今朝からこれで四杯目だ。或いは一種の麻薬性・中毒性の効能が在るのかもしれない。紅茶も一種の嗜好品であるから、この茶葉に特にそういう作用が強い側面が在っても不思議ではない。

 夕食後の紅茶を飲み干し、ブランクは煙草を一本吸ってから、何も言わずひょいと立ち上がると「そろそろ行くか」と288号に言った。

「今夜、新月だからな。来るかもしれんべ」

「え……?」

「盗賊やってりゃ新月の日を狙うのは定石だ」

 ブランクが言う。

「ついでに言やあ、前回連中が入ってきた時だって逆算すれば新月の夜だ。街を塞ぐ暗闇は盗賊の姿を隠してくれるし、追っ手をまくのにも都合が良い」

 と、ジタンも解説した。288号とビビは顔を見合わせ、結局二人に「盗賊」の正体を告げぬままこのときを迎えてしまったことに、少々の不安が過ぎる。

「……そうだね、行こうか」

 288号も杖を持って立ち上がる。「僕も」とビビもソファから立ち上がると、少し思案したようにジタンが、「お前も?」と問うた。

「だって、僕だってお仕事しに来たんだよ」

「んー……」

 彼は結論をブランクに委ねる。決断を迫られたブランクも少々困惑したように立ち止まるが、「じゃあ、一緒に行こうか」とすぐに決めた。メイド服姿でも、きちんと杖を持てば一応黒魔道士である。

 既に邸は闇の底に浸っていて音一つ無い。宝物庫に鍵の掛かっていることを確認し、四人は邸を東西南北に分かれて囲う。南にある正面玄関にブランクが陣取り、東にビビ、裏口のある北にジタン、そして西に288号。異変を見つけたらすぐに声を上げると約束をして散会する。

 街の方はまだ明るいが、中心から少し出外れた邸の周りは静かで、とても暗い。ビビは緊張しながら油断なく周囲に気を配り、やってくる不審者が「あの二人」でないことを心底から願っていた。あの二人は何か別の目的で偶然トレノを訪れただけで、この邸の「秘宝」になど興味は無いのだと。

 エルエイは既に邸を後にしているはずだ。妹の側にいるのだろう。

 僕が護る。

 そんな、大それたことをビビは思った。女装に身を固めた小さな体には不似合いな凛々しい思いは、それでもビビの心に漲っている。もし仮に、……相手が恐れているような存在であったとしても、僕が護らなくてはいけないのだ、と。

 だから、林の中から「彼」が姿を現したときにも、ビビは少しも揺らがずに済んだ。動揺しているのは寧ろあちらの方だ。当然だろう、

「何て格好をしてるんだ……」

 サラマンダーの『ビビ』は、ジタンたちがこちらに来ていることが判った時点で当然ビビと288号までもが護衛に当たっているであろうことは察していた。だから其処に自分と同じ顔の少年が居たとしても驚きはしない。

 ただその『ビビ』が、ことも在ろうに愛らしいメイド服姿で居るなどとは、想像するはずがない。

「僕の、仕事だから」

 ビビはきっぱりと言い放つ。そして後ろ手に杖を握ったまま、

「何をしにきたの? 此処には君の欲しいものなんて何も無いよ」

「……なるほど。僕たちがどうして此処に来たのか、判ってるんだね」

 同じ顔をした黒魔道士――片方はメイド服――は、同時に邸の反対側から魔法の弾けるような音を耳にした。

288号っ……!」

 思わず声を上げたビビの隙を突くように、黒魔道士が掌に浮かべた暗黒球を、ビビに向けて放った。反射的にビビも杖を掲げて其れを打ち消すが、土煙が消えた後には、黒魔道士の足音が残る。

「あっ、こらっ、待って!」

「待たないよ! 待つわけ無いでしょ」

 裏口目掛けて駆け出した黒魔道士の後を、走りにくいヒールの足元を叱咤してビビも追う。「どうして! どうしてこんなことをするの!」

「必要だからさ!」

「こんなっ……、悪いことを!」

「悪いこと? 人聞き悪いな」

 黒魔道士の不敵な微笑を見て、……自分の表情筋がそんな風に動くなどとビビは想像したこともない。身体能力も遥かに上回っているようで、かなりの速度で走っているのに黒魔道士は息一つ乱さない。

「いけないんだよ……、いけないんだよっ、人の物を盗んだりするなんて、どこからどう見たっていけないことだ!」

「『どこからどう見たって』?」

 黒魔道士が、足を止めた。

「君に何が判るの? 君に何が見えるの?」

「な、何って……」

 肩で息をして、どうにかそれを飼い慣らすビビに憮然とした表情で黒魔道士は言う。

「ヴァイカウント=タウンゼントは、アレクサンドリアから盗まれた宝珠を隠し持っている。其れがダガーのお母さんが、ダガーの為にずっと大事にしていたものだと知っても、君は同じ事が言える? 彼女も知らないところで、其れは彼女に渡されることもないまま今この邸に隠されているんだ、……ダガーのおかあさんの形見だよ! それでも君は同じ事が言える?」

 ビビは打たれたように言葉を失った。

「だから、僕らは此処へ来た。タウンゼントの手から宝珠を取り戻すためにね。仮令相手が君たちで在っても、僕らは引くわけには行かないんだ」

 自分が出したことの無い声を、同じ身体の『ビビ』が発する。その迫力に一瞬、身を強張らせた。

 『ビビ』はその隙を決して見逃さない。ビビが反射的に飛びのいたところに、暗黒の焔の球が燻って弾けた。

「次は外さない。僕らの邪魔をしないと言うなら僕も手を出さないでおいてあげるよ」

 その言葉が本気かどうかは、その目を見れば判った。ビビだって、カタチは少し違えど、同じ類の目をするときは在る。

 手袋をした小さな少年の掌に、暗黒の波動が集約される。

 とんでもない破壊力の魔法を放つつもりだ。……サラマンダーと生活しているうちに、非常識なほどの魔力を手に入れたのかもしれない。

 いや。

 ……僕だって。

 ビビは素早く印を結ぶと左手を掲げる。

「負けないよ……!」

 護らなければならない。あの子の、愛する人の、宝物。

 手袋をしていない、その分だけ、掌がちりちりと熱く感じられる。地・水・火・風、四つのエネルギー素が、集まる。

 波動の大きさに、『ビビ』が怯んだ。

「何……?」

 ビビの、銀の髪の先がびりびりと闇の力で逆立つ。カチューシャが弾みで、音を立てて砕けた。

「……ッ、ダークフレア!」

「エレメンタルフレア!」

 二つの力、真ッ向からぶつかり合った場所で弾ける。轟音の後に残ったのは、二人の黒魔道士が尻餅をつく音だ。

「……そんな力を……!」

 僅かに震えながら、『ビビ』が立ち上がる。ビビも呼吸を整えながら立ち上がった。二つの魔法球のぶつかり合ったところ、地面は黒く焦げ、抉れている。濛々と立つ土埃はいまだ収まらない。顔を顰めて『ビビ』が再び掌に魔法の力を篭め始めた。

「今度は……、今度は本気だよ! もう、絶対に外さにゃっ」

 しかし言葉は、途中で跳ねた。

「可愛いの発見!」

 鬼ごっこ、鬼より強い者が居る。言うなればそれは変態である。『ビビ』の身体が「ふにゃあ!」宙にひょいと攫われた。


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