アウトサイドワークス

 翌日の午前、ビビは早速エルエイに許可を得て、一人で街にお遣いに出かけた。賢い少年はサラマンダーともう一人の『僕』がどこかに投宿しているはずだと考え、メイド服を気にしながらも街中の宿屋を一件ずつしらみつぶしに探ったが、サラマンダーの紅い髪も、黒魔道士のとんがり帽子も見付けることは叶わなかった。

 街の外のテントで休んで居るのだろうかとも考えたが、少なくとも街の入口から少し外に出て見ても、それらしき影を見つけることは出来なかった。杖も無く、この格好でモンスターと立ち回るのも憚られたので諦めて街に戻ったところで、帰りの遅いビビを案じたエルエイと鉢合わせた。

「何処まで行っていたのですか」

 心配そうな彼女の顔を見て、素直に「ごめんなさい」とビビは謝る。結局サラマンダーと『ビビ』を見付けることは出来ないまま、邸に戻ることとなった。邸の外庭で警備に当たっていた288号に首を振って、溜め息を吐いた。何処を塒にして居るのだろうか。或いは、たまたまこの街に立ち寄っただけのことで、邸の宝のことなど眼中にないのかもしれない。

 それなら、いいのだけど。

 控え室でビビが密やかに吐いたつもりの溜め息は、エルエイの耳にも届いている。彼女は少し戸惑いながら「あの」と、意を決して話しかけた。

「……何か、あったのですか?」

「……ん? んん、なんでもない」

「そうですか……。顔色が優れないようです。まだお腹の調子は良くありませんか」

 ビビは慌てて笑みを作り、「大丈夫だよ」と首を振る。実際、ビビはさほどお腹の強いほうでもないが、かといってそうストレスに弱いわけでもないのだ。

「……昨日の下着は、もうクリーニングが終わっています。後でお部屋に届けさせます」

「あ……、うん……」

 ビビはぽうっと頬を赤らめた。

 彼女は自分の為に淹れ始めた紅茶なのにビビの分まで注いだ。相変わらずの少々強すぎる香りが部屋の中にあっという間に充満する。エルエイにとっても一番美味しい紅茶はあの店で飲むものだろう。

 白手袋の細い指の先がソーサーの縁を辿った。言葉がすぐ其処にある気配を、もちろんビビは感じている。

「……あの」

 形のいい唇から小さな耳へと、遠慮がちに言葉が零される。

「……あなた、の、お腹の具合が悪かったのは、その、そういう、ことを、なさっていたから……、ですか?」

「はい?」

「いえ、その……」

 エルエイは純情そうに頬を赤らめて、ビビの真ん丸い目から逃げるように顔を逸らした。

「……ごめんなさい、私……、おかしなことを」

「ああう、あう、あの、ち、違うの、その、えっと……」

 ぎこちなく、小さな二人の間に途切れ途切れの言葉が往来した。どちらも小さな掌でぬるつく言葉を掴み損ねていた。

 慣れているのは、どちらかと言えば、年は下でもやはりビビだった。

「えと、その、……お腹、は、……そんな、痛くは、ならないんだ……よ?」

 しかしそのビビも、大いに恥ずかしい。

「……みんな、は、その、僕のこと、ちゃんと……、思って、いろいろいつも、してくれるから、お腹、そんな痛くなったりは、しないよ。その……、最初の頃は、ちょっと、大変だったりした、こともあった、けど」

「……大変……」

「やっぱり、その……、ね、例えばエルエイが誰か男の人と、その……、えっとつまり、女の子が、そういうことするときと、違うから、……だからやっぱりちょっと無理があるって、ジタン、ゆってた。だからその分、工夫をしなきゃいけないんだって……えっと」

 互いにもじもじしながら話をし、話を聴くというこの奇妙な空間は、別のメイドが休憩に入ってきたから自動的に中断した。エルエイより年下、ビビよりほんの少し年上の少女が、おかしな二人に意識を向けることなく紅茶を飲み始めたから、ビビとエルエイは何となく居辛くなってどちらからとも無く席を立つ。仕事に戻るエルエイの後を手持ち無沙汰で歩くビビも、先に立って歩くエルエイもぎこちなく、中断した会話はなかなか再開されなかったし、恐らく再開しなくても良かった。

 エルエイが興味を持つ理由は、ビビにも少し判る気がするのだ。

 無垢なる少女は、恐らくそういったことに触れる機会もなくこれまで育ったのだ。然るに十三歳、ビビよりももう少し大人に近いところに居る。そういった情報を耳にするのは初めてであったとしても、興味自体はずっと在ってしかるべきだ。其処に、また極端なほどベクトルの狂ったビビが現れて、しかも尋常ならざる形状の下着を身に着けていたならば。

 ビビはエルエイよりも三つ年下だが、積んだ経験において――ある特殊な一分野に限っては――大いに上回っているので、それぐらいの想像ならば出来るのだ。

「……エルエイは、……『ミ・ロード』のことが、好きなんだよね?」

 昨日、ビビがブランクと共にした便所の掃除に取り掛かったエルエイの側で、何となくビビも手伝いながら訊く。メイド長なのにトイレ掃除を率先してするのだ、きっと他のメイドたちの尊敬の的だろう。

「……それは……」

 窓枠を拭く手を止めて、彼女は少し答えに惑った。

「……それは……、はい、そうです」

「……ミ・ロードと……」

 飲み込みかけた言葉は、硬く喉につっかえた。これならば出してしまった方が楽だろうか。

「こんなことを、訊いていいのか判らないけど……、エルエイはミ・ロードとそういう、……僕がみんなとしてるみたいな、ああいう、ことを、……するっていう、そういうところまで含めて、好き、なの?」

 ビビには判らない。賢く優しいこの少年に判っているのは、自分がジタンたち三人としていることがどの角度から見ても「おかしい」と言われるであろうということぐらいで、しかしそういう刃から身を呈して自分を庇い、自分を最大限幸せにしようと努力してくれる三人のことが心の底から愛しいということだけだ。

 十三歳の少女が、性的なことに関してどういうスタンスで居るのかということについては判らない。

 エルエイは少し怒ったように顔を赤らめる。

「私のようなものが」

 白手袋を外し、冷たい雑巾を手にした白い指は、冷えて赤く染まっている。

「そのようなこと、考えるだけでも畏れ多い」

 エルエイはそう、硬い声で言い放った。しかしビビの小さな耳は聞き分ける。畏れ多いことではあっても、彼女はミ・ロードのことが好きなのだ。そして恐らく、その感情の先にあるところまで含めて「好き」と思って居るのだ。

 ビビは鏡を拭きながら「好きっていう気持ちは」言う。

「きっと、……僕たちが、そうであったみたいに、……つまり、男の子同士でそういうことしても、僕たちが幸せでいるように、その気持ちで何もかも乗り越えられるものなんだと思う。……だから、エルエイがミ・ロードのことを好きだと思うなら」

「お待ちください」

 ぴしゃりとエルエイがビビの言葉を遮った。

「……確かに、私はミ・ロードのことをお慕いしていると、そう申しました。ですが、私はミ・ロードと、あなた方がなさっているようなことをしたいと思ったことは一度もございません」

「え……?」

「それに」

 一旦、彼女は唇をきゅっと結んで言葉を切った。微かに膨らんだ胸に手を当てて、其処を諌めるように抑える。

 しかし、彼女の掌は恐らく役には立たなかったのだ。

「ミ・ロードのことを真に、愛しているのは、私の……妹です。……来年、私に替わってこの邸に入ります。私の妹は、初めてミ・ロードにお会いしたそのときより、ミ・ロードのことが愛しくて病に倒れました」

「……え……? 病……って……?」

「『お邸の、美しい人とずっと共に居たい』と、私の妹はそう申して居ました。『あの美しい人と片時も離れることなく共に』……一刻も早くミ・ロードのお側で働くことを夢見て、寂しさに駆られて居るのです。ミ・ロードも、私の妹が此処へ入ることを楽しみにしていらっしゃいます。ですから」

 エルエイは再び雑巾で窓枠を拭き始めた。

「私はミ・ロードのことをお慕い申し上げています。ですがそれは、真に敬愛の念であり、あなたが、あなた方が抱いているものとは質の異なるものです」

 きっぱりとそう言われて、ビビは言葉をなくした。

「……仕事中です。無駄口は叩かれませんよう」

 言われるまでも無く、並べられる言葉はビビにはもう無かった。


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