アウトサイドワークス

10

 

 生まれてこの方、異性というものを間近に感じたことなど一度もない。ダガーは大人だったし、エーコはビビの目にも幼すぎるように見えた。エルエイはビビの三つ上、住んでいる棚はまるで違えど、同世代であると言える。ビビは男尊女卑論者でもフェミニストでもなく、そもそもそんな考えを抱く必要もないような場所で日々生きている。288号にブランクにジタンという、何れも男の「恋人」たちに代わる代わる抱かれて幸福を享受する生活に、一片の不足もない。寧ろこれ以上を望むことは貪欲であるとも思っている。

 だから、エルエイのスカートの中を見て勃起した自分が、何だかとても恥ずかしいし、悔しくて許せないような気がした。

 ミ・ロードの鎮静剤となるハーブをアイテム屋に渡し、代わりに既に出来た鎮静剤を受け取った帰り道、「お腹の具合はもう大丈夫ですか?」とエルエイが気遣う。頬を赤らめて頷いたビビを、エルエイが「少し、休んでから帰りましょうか」と意外なことを言った。通りの外れにある、其処は小さな喫茶店だった。

「ああ、いらっしゃいませ」

 綺麗に撫で付けた髪に、少々白いものも混じる店主がエルエイに微笑む。「お邪魔致します」と礼儀正しく頭を下げたエルエイに、ビビも従う。ただ、エルエイが深々と頭を下げるたびに、丈の短いスカートが気になって仕方がない。

「こちらのお店では、いつもミ・ロードのお紅茶をブレンドして頂いているのです」

 エルエイが窓辺の席に腰掛けて、向かいの席をビビに勧める。きょろきょろしながらもビビは客の少ない店内に馥郁たる紅茶の香りが満ちているのを嗅いで、少しく気が落ち着くのを感じた。

 店主が二人分の紅茶をテーブルに置く。普段は一人で来ているのであろうエルエイが、珍しくもう一人を連れて来たことに、興味を隠せない様子の店主を汲み取って、

「新しく邸に来た子です」

 と簡単に紹介する。

「……んと、ビビです。はじめまして」

「少しの間だけ、私の手伝いを」

「ほう、それはそれは……」

 店主は人好きのする笑みを浮かべて、「いつでも寄って下さい」と年幼いビビに対しても敬語を使った。

「ミ・ロードのお茶はすぐに用意しますからね」

 カップから馨る紅茶は、邸で呑むそれよりも、遥かにビビの舌に馴染む味がした。口には決して出さないのだろうが、エルエイも其れを美味しそうに呑む。真っ白だった顔に、微かに紅の色が差すと、とても人間的に見えて、……そして綺麗で、ビビは揃えた自分の膝に眼を落とす。

「ストレスに、なっていますか?」

 不意にエルエイが訊いた。

「え?」

「……あなたにとっては、不慣れな環境でしょうから」

 ビビはすぐに首を横に振った。「そんなこと、ないよ。大丈夫」

「そう……、ならば、良いのですが」

 其処で。

 あろうことか。

 ビビはエルエイが微笑むのを初めて見た。それはとても控えめで淑やかで、思っていた以上にずっとずっと優しいものだった。

「……ビビ?」

「あ、は、はい」

「……どうしました? やはり具合がよくありませんか?」

「んん、ん、だいじょ……」

 誤魔化すように外に眼を向ける。見たことのあるような男が通り過ぎていくのが見えた。世をひねたような猫背、双眸を隠すほど伸ばし放題の蓬髪は焔の燃える色をした……。

「サラマンダー!」

 声を上げて、ビビは思わず立ち上がった。拍子に、手にしていたカップから紅茶が零れて、「ひゃ!」スカートを濡らす。慌てて店主が布巾を持って駆け寄って「大丈夫ですか」と案じる。エルエイが店主の手を押し留め、ビビのスカートを拭く。幸い、もう風呂の湯ほどに温くなっていたから、火傷はない。

「う、う、ん、だいじょ、ぶ……」

 動顚しながら、ビビはいま見た横顔が間違いなくサラマンダーだったと確信する。

 慎重にビビのスカートを拭くエルエイに、

「……ごめんなさい」

 と真っ赤になって失態を詫びる。

「火傷はしていませんね?」

「ん、ん。だいじょぶ……、ごめんなさい」

「邸に戻って、スカートを替えましょう」

 店主がミ・ロードのための茶葉を封じた袋を持って来た。怒った様子は無く「今度はもっとゆっくり呑んでくださいね」と微笑んで、ビビとエルエイを見送った。

 裾の濡れたスカートを気にしながら、ビビはもう一度いま見たものを整理する。焔の髪のサラマンダー、かつてジタンに執着していた人。

 もちろん、同じ旅の仲間でもある。二人きりで過ごしたことなど一度も無かったが、少なくとも小さな子供に過ぎないビビやエーコを疎んじたことなど無かった。言葉は交わさなくとも、きっと悪い人じゃないんじゃないか、そんな風にビビは思っていた。

 サラマンダーは、一人ではなかった。少年を一人、連れて歩いていた。それはへたれたとんがり帽子を目深に被った、……黒魔道士。

 つまりは、ビビと同じ命の器を持つ、「ビビ=オルニティア」である。

 いまのビビはかつての身体の器が停止の時を迎える際、創造者であるクジャによって生み出された記憶の塊である。この身体は年とともに成長もするし、器官全てが人間と変わらない。終焉の時の近づきを迎えていたクジャが最後に残した良心であり、幸せを生み出す黒魔道士として生を享けた存在である。

 しかし一人の「ビビ=オルニティア」の記憶は、一つの身体に収まるものではなかった。そのためクジャは、その記憶と心身の情報、そして感情を全て遺漏なく移植するために、六つの「器」を必要とした。

 此処に居て、恥ずかしい下着を穿きメイド服を着ている「ビビ」が、最もオリジナルの感覚を色濃く備えている「ビビ」である。

 だから、他に五人。

 ダガーとスタイナーの記憶を特に濃く受け継いだ少年は、アレクサンドリアの城で、衛兵魔道士として過ごしている。

 同じ城の中でコック長として働くクイナと共に、日々料理の腕に研鑽を重ねるビビも居る。当然彼は、クイナの記憶を最も良く引き継いでいる。

 リンドブルムに居る少年は、当然エーコの記憶を持っている。昨日は会えなかったが、元気に暮らし、シドとヒルダの側近として立派にやっているという話だ。

 フラットレイとの再会を果たし、手を取り合ってブルメシアの復興に尽力するフレイヤのもとには、当然彼女の記憶を最もよく持つビビが居る。

 そして。

 当然のように、サラマンダーの側にはサラマンダーのことを覚えているビビが居るのだ。つい先ほど、メイド服少年の居る喫茶店の窓の外を、サラマンダーに従うように歩いて言った黒魔道士の少年こそ、ビビと記憶を分け合う同じ命なのだ。

 六人の「ビビ」はそれぞれ自分の記憶の根拠となる者と共に過ごしている。六人が会うことはこれまでのところ一度もなかった。或いはメイド服少年以外のビビたちは、例えば同じ城に住む二人のビビは日常的に顔を合わせて居るのかもしれないが、離れ離れのところに居る以上、会う機会は皆無だ。ジタンにしたって、エーコと会うのは随分久しぶりだったぐらいで、世界は斯様に広い。

 だから、他の者たちが日々をどんな風に暮らして居るのかと言うことに関して、所在のはっきりしている者たちは、まあいい。然るにサラマンダーと共に過ごすビビが、あの住所不定の男と共に一体どういう生活をしているのかということに関しては、自然、無頓着にならざるを得ない。

 あとで、ジタンたちに相談しよう……。邸のメイド待機室に着いて、ビビはそう思い決めたが、いま一つ、困惑が待ち受けていた。

「……申し上げにくいのですが」

「ん?」

「……スカートを、脱いで頂いて良いですか」

 新しいスカートを用意したエルエイが、そっぽを向いて言う。

「……その……、下着、も、濡れているでしょう。……ですから、……洗って差し上げます」

 ビビは真ッ赤になってぶんぶんと首を振るう。「いい、いい、いいよ、だってっ、部屋に戻れば替えのパンツとか、ちゃんとあるしっ」

「そのような格好で邸の中をうろつかれるのは困る、と申し上げています」

 エルエイも紅い顔をして言う。

「よろしいですか。……幸い、勝手口から此処までは誰の眼にも触れていません。ですが、あなたたちの部屋まではミ・ロードのお部屋の前を通ります。……この時間帯はお客様が見えていることも多く、そのような格好で居るところを見られたりしては」

 エルエイは有無を言わせぬ口調ではあるが、怖れのようなものも見え隠れする。メイドとしての部下の失態は、当然メイド長である彼女の責任にも発展するのだろう。

「……う、う、……わかった、……で、も、……」

 ビビに言えた、せめてもの抗いは、

「自分で……脱げるし、自分で穿けるよ、だから……見ないで」

 と。この上あんな下着を――ほぼ下着ですらないが――エルエイに見られるという屈辱に、ビビは耐え切れそうになかった。わかりました、とエルエイが背を向ける。ビビは耳まで紅くしながら、スカートの中に手を入れて、下着とは到底呼べない布切れを身から剥がす。サイドリボンに無駄なファーなど付いた其れは幸い、ほとんど紅茶の被害を免れてはいたものの、脱いで見ればやはり不必要に芳しいミルクティの匂いがした。

「……脱ぎました、か?」

「ん、ん……」

「では……、代わりにこれを」

 エルエイの後ろ手から、新しい下着――其れにしろ、やはり女の子のものだ――を受け取り、足を通す。ひんやりぴったり吸い付くような感触が、とても不慣れだった。

「穿いた……、よ」

 エルエイが振り返る。ビビが手にした淫靡な下着を、見ないようにしながら「では……、スカートも穿き替えましょう」と、ぎこちなく言い、ビビのウエストに手を掛けた。彼女も、大いに顔が紅い。「いいよ、自分で、脱げるし、穿けるよ……」とか細い声でビビは言うが、実際のところは自信がなかった。家でメイド服を着るときには、いつも誰かに着させて貰って居るのだ。

「見ません」

 エルエイはそう言って美しい睫毛の眼を伏せる。

「これで、宜しいですか」

「う……」

 そうまで言われて、嫌とは言えない。彼女は暗闇の中でありながら、慣れた手付きでスカートのホックを探し当てて、少年の穿いたスカートを脱がせると、代わりに清潔なスカートに足を通させる。それをウエストへ上げるまでの間、彼女は言葉の通り、一度も眼を開けなかった。

 ビビは、どきどきしていたのだ。

 彼女の目の高さに、丁度、下着のその部分が在る。

 先ほどまで穿いていたようなものとはまるで違う、安全で、且つ安定感のあるフォルムの、しかし女の子のパンツである。女の子のパンツであるからして、男の子の其れの輪郭は男の子のパンツ以上に浮かび上がる。

 其処が、微かに反応しているのならば余計に。

 だから、きちんとスカートを穿かせてくれてから開かれたエルエイの眼を、ビビは直視することが出来なかった。エルエイは大きな仕事を一つ終えたように、溜め息を吐いて、

「申し訳ありません」

 と跪いたまま、ぽつりと謝った。

「私が連れ出したりしなければ、このようなことには……」

「ち、違うよ、僕がドジなだけで……、エルエイ悪くないよ」

 慌ててビビも跪いて、首を振る。エルエイは心底から悔いるように今一度「申し訳ありません」と謝罪を重ねるが、ビビは目の前の少女が自分の穿いていたパンツを膝の前に置いていることの方が問題に思える。今すぐ隠してしまいたい、そうっと、其れを掴み取ろうとする手の先から、するりと逃げた。

「……この……、下着」

 僅かにエルエイの語尾が上がった。「も、……洗っておきます。明日の朝には部屋に届けさせます」

「うああう、それは、自分でするからいいよ……」

「そういう訳には参りません。……あなたは客人なのですから」

 融通の利かないエルエイは、下着を少年の穿いていたスカートで包んで隠した。立ち上がって、幾度かその唇を、開いて、閉じて。

 耐え切れないといった様子で、彼女の唇が言葉を紡いだ。

「どういう……、ことなのですか」

 相変わらず少女の端整な目元と耳は紅かった。

「これは……、その……、普通の下着では、ありませんね」

「う、……う」

 ビビはぺたんと座ったまま、口篭る。エルエイは聡い少女のようだ。そんな少年の様子を見て、恥じたように、

「いえ、失礼しました。余計なことを……」

 と素直に謝る。

 しかしビビは、一種露悪的な感情に駆られていた。やけくそ、と言うのかもしれない。

「僕、は……」

 そして自分を定義したい気に、なっていた。エルエイに反応するような自分ではなくて、……そう、僕は、

「お兄ちゃん……、ジタンと、ブランクと、288号の、恋人だから」

 はっきりと、ビビは言った。眼を合わせる気にはなれない。

「あの三人の、男の人の、僕は、恋人なんだ。……だから、……そのっ、つまり、三人と、……僕、が、そういうパンツ、穿いて、……ええと」

 えっちをする、と言って通じるだろうか。同世代の友達が居ないビビは、自分たちのしていることが十三歳の少女の理解してもらえる自信が無かった。

 恐る恐る伺ったエルエイの顔は、ゆだったように真っ赤だ。

「……そ、……っ」

 言葉に詰まって、一頻り咳き込む。思わずビビは立ち上がり、その華奢な背中を撫ぜた。

「……失礼しました。……それは、つまり、その、……同性愛、と、呼ばれる……、ものなのですか」

 こっくり、頷いたビビを、幾度も瞬きをしながら彼女は信じられないもののように見た。

「その……、私はそういったことに、詳しくはないので、判らないのですが……」

 そこまで言って、エルエイは口を噤んだ。「……ごめんなさい、不躾なことを訊き過ぎました」

「ううん……、いいんだ……。だって、普通の人から見たら、変かも知れないし、……でも、僕が幸せだから、それでいいんだ。僕は三人のことが、本当に、馬鹿みたいに、好きで好きで仕方が無いから……」

 エルエイは居住まいを正す。暫しの間、自分がメイドであることを彼女は忘れていたのかもしれない。足を揃えてきちんと立って、真っ直ぐにビビの眼を見詰めて言う。

「あなたが、ご自分のお気持ちに素直に従い、その気持ちに順じて生きて居るのでしたら、それは決して恥じることではないと私は思います」

 そして、ビビのスカートを抱えると、「洗濯をさせに参ります。あなたはまだお腹の具合も良くないでしょうし……、お部屋に戻って、ゆっくりとお休みになっていてください」と言い残して、控え室を出て行った。ビビは自分の心臓に掌を当てる。本当のことを余さず口にしたはずなのに、何かまだ、心臓の底の方に言葉が残っているような気がした。


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