アウトサイドワークス
04

 ジタンは門番の咎めるような視線を感じながら、

「退屈だなあ」

 と呟く。そろそろ腹が減ってきた。飯の支度を自分でしなくてもいいのは有難いが、その分好きなときに好きなものを食べられない、戸棚の中のキャラメルをひょいと摘むことだって出来ない。ビビから見れば「大人」であるはずのジタンだが、そんな自分を飼い慣らすために随分と力が要るのだった。

 ジタンはこういうときに、ビビのことを頭の中で転がすのが好きだ。

 ……メイド服だったなー、あの「ミ・ロード」は虫の好かん男だけど、そういうセンスはいいよなー……、などと。

 そもそも、真ッ当な神経をした男が、子供たちにメイドなど着させるはずがないのだ、と思う以上は当然ジタンだって、自分たちが真ッ当な神経をしているとは思っていない。ただ、ビビはどう足掻いたって可愛すぎる、抗う術など持てようはずもないではないか。

 メイド服。メイド服、……いつも着てるのと値段以外はそんな変わりないけどな。あとでちょっと抜け出して、ブランクが言ってた店に行って下着買ってきて穿かせよう。いつもしていることではあるが、清純そのものといった感じのメイドさん、だけどパンツがすげーエロい、……ワンパターンだけど俺そういうの好きだなー、どんなパンツにしようかなー。

 どんなパンツだってビビは穿いてくれるのだ。あの少年はいつでも男たちの欲に対して、期待以上の答えをくれる。そうして生み出した悦びを受け取った男たちとしては当然返してあげなくちゃ申し訳ないと思うから、三倍にして返すのである。これなるは麗しき幸福の連鎖なり。だからね、俺としても誠心誠意、ビビのおっぱいを舐めるわけだ、ビビのお尻を愛するわけだ、ビビのちんこを。

「……お」

 馬鹿なことを考えているから勃起した。

「あー、何でもないです、気にしないで、こっち見ないで」

 ポケットに手を突っ込んで、何やらまさぐっているジタンを見て、門番は非難するような眼を向けた。ジタンはうへへと気色悪い笑みを浮かべて、ようやく落ち着くポジションを見つけると、咳払いをして背筋を伸ばした。不審者は誰かと言えば、いま門の脇に立っているのだ。

 いや、決して不真面目ではない。ビビのことで頭が一杯であっても、不埒な輩を見つければ即座に反応することが出来るくらいには、この不埒な輩だって真面目であるし、恩義のあるバクーの顔に泥を塗るわけには行かないとは思っている。

「なあ、あんたさ」

 隣に立ってから一言も発さない門番に、ジタンは声を掛けた。「あの男の『秘宝』って何だか知ってんの?」

 門番は、ジタンの倍ほどの年の、いかつい男である。銀の鎧を身に付けた彼はスーツ姿の無礼なジタンに対して、しかし一応は「客人」と知らされているのだろう、咳払いをひとつ挟んで、

「自分は、何も存じておりません」

 と硬い声で言った。

「ふーん。でも、何かあるわけだ、この屋敷ん中に」

 門番は不要なことは口にしなかった。

「まあ、其れが外に漏れちゃってるから狙われてるわけだよね。でも」

 ひょい、と門の向こうの玄関を覗く。今は硬く閉ざされた扉の向こうのホールに、老女を描いた肖像画が飾られていた。あれだって十分過ぎるくらい価値のあるものだろうと鑑定眼のないジタンだって判る。

 俺ならあれ狙うけどね。いや、探せばもっと、宝石貴金属の類は一杯在りそうな家だけど、あの絵の出来はいい。

 今でこそ俺たちが居るけれど、普段の警備はもっと手薄なのだろう、忍び込むことなど容易いに違いない。きっと、ちょろいよな。

 良からぬことを考えるジタンを、門番はどうしてこんな男が警備の応援に寄越されたのだろうと訝るように見ていた。仕立てのいいスーツのボタンは全開だし、ネクタイをポケットに突っ込み、ワイシャツのボタンを二つ開けている。

 通りから此方へ向かってくる人影が眼に入ったのはそのときだ。

「……別にアレが不審者だとは俺も思わんよ」

 ジタンは軽口を叩いて、ポケットに手を突っ込んだまま、「御用でしょうか」と打って変わって慇懃な口調で訊いた。

「兄ちゃんは……?」

 薄汚れた――と言えるほど普段いい格好をしている訳ではないジタンは勝手に思う――衣服を着た少女が、不安げにジタンを見上げて言う。「兄ちゃん?」と訊き返したジタンの横に、門番が厳しい顔付きでやってきて、

「彼はまだ仕事の最中だ」

 といかめしい声で答え、「……この屋敷で働いている者の、妹です」とジタンに補足する。

「あー、そうなん? ……なんだよ、じゃあ入れてあげりゃいいじゃん」

「それは……」

 戸惑ったように視線を動かす門番は、こうして間近に見ると人の良さそうな顔をしている。ジタンが反射的に想像したとおり、彼はかつてこの少女を屋敷に入れたことが「ミ・ロード」の耳に入り、叱声を浴びたことがあるのだ。

「……一人で此処まで来たの?」

 ジタンは屈んで、ビビより年下に見える少女に視線を合わせて訊いた。不安げだった少女の頬から、微かに強張りの糸が抜けたように見える。こっくりと頷いた少女に、

「兄ちゃんは、もうちょっとしたら仕事終わるからさ。おうちで待ってようよ。こんな寒いのにそんな薄着で出てきちゃ風邪ひいちまうし、……俺がついてってやるから、一緒に帰ろう」

 ぴく、と反応したのは、少女だけではなく門番もだ、「客人」と思わず声を上げるが、「大丈夫だって、俺居なくたって他の二人……、いや三人居りゃ問題ねえよ」

 幼い眼は、その者の持つ邪性というものには極めて敏感である。少女はしばらくジタンの顔を見ていたが、「ほら」と伸ばされた彼の手をすぐに握った。

「冷たい手ぇしてんなあ。本当に風邪ひいちゃうぞ」

 ビビのことを変態的に愛するジタンではあるが、彼は少女に対してはもちろん、ビビ以外の少年にだって何の欲も持たない。ただビビだけが愛しくて馬鹿なだけの男なので、少女も当然気を許すのである。

 

 

 

 

 トレノの街は広い。ブランクでさえもまだ知らない路地があるくらいで、少女と一緒に彼女の家まで辿り着いたジタンは、「あれ、俺、どうやってここまで来たんだっけ」と首を捻る。

 少女の住む家には、幾体かのぬいぐるみを除けば、温かな印象がまるでなかった。外とさほど気温も変わらない寒々しい部屋に、ベッドが二つあるばかりで、テーブルには空になった皿が冷んやりと置かれていた。パンくずが散らばっていることから察するに、それは少女の夕飯であったのだろう。

 少女の名がアルコであること、ジタンが思ったとおり、まだ七つであることを知って、掌の中にあった冷たい手を思えば、ジタンも当然「不憫」という感情を導き出してしまう。

「アルコは兄ちゃんと二人で暮らしてるのか」

 こっくりと頷いた彼女が、通りのきらびやかな明かりの届かないこの部屋で、一人兄を待ち続けている間にどれ程寂しい思いをしているのかという点については、深く潜る必要もない。ランプに灯りを点して、「ちょっと待っててね」と言い残し、ジタンは近所のホテルでスープを買ってきた。子供ながらに遠慮を見せるアルコの唇に、匙で冷まして一口飲ませてやったら、後は何も言わなくても自分で匙を動かすようになった。

「兄ちゃんは、いっつもどれくらいに帰ってくるんだ?」

 スープを飲み終えた少女に、ジタンは訊いた。アルコは膝に乗せた猫のぬいぐるみを大事そうに撫ぜてやりながら、「もうちょっと、したら」と小さな声で答える。

「そっか、じゃあ今日が特別遅いって訳じゃないんだ?」

 アルコは少し頬を赤らめて、こっくりと頷いた。自分が寂しさに耐えかねて屋敷まで行ってしまったことを認めるのが心苦しいのだろう。

「……まあ、いいよ。兄ちゃんが帰ってくるまで、居てやるから」

 ジタンは子供の相手が得意だ。そもそもの彼の精神年齢が子供に近いという点は無視できないかもしれないが、元々相手が誰であろうと同じ「心」が在るのだからと彼は思っていて、だから分け隔てなど決してしない。幼子にだって真摯に向き合う。その点が彼の唯一と言っていい美点であると言えるかもしれない。

 アルコはジタンに安心したのか、しばらくぬいぐるみを抱いたままうとうとした。その肩に布団をかけてやって、それ以外は何もしない。相手がビビならばこうは行かない。

 ジタンも椅子に腰掛けて、少し眠ったかもしれない。気配を感じて眼をやれば、戸口に少年が立っていた。

「……あなたは……」

 質素な身形をしているが、顔はビックリするぐらい美しい。アルコの寝顔をちらりと見て、少女がそのまま成長したらこの兄と瓜二つになるのではないかという気さえする。

「ああ……、ごめん。あんたの妹さんがさ、屋敷の入口まで来たから。一人で帰すのも何だし、お連れした次第だよ。怪しいもんじゃない」

 少年は一度何かを言いかけて、それから深々とお辞儀をした。「ご迷惑をお掛けして、申し訳ありません」

「いいよいいよ、迷惑じゃねーし、門番で暇してるとこだったしね。つってもそろそろ戻んないとやべーかな」

 眠るアルコを起こさないように立ち上がる。少年はとても華奢で、黒髪を束ねて後ろに結んでいる。「兄」が帰ってくると知っていなければ、口説かなければ失礼に当たるかと迷ってしまうような端整な顔立ちだ。

「あんたも屋敷の中で働いてるんだって?」

 少年は、こっくりと頷いた。仕草が妹によく似ている。

「そっか、じゃあ……、そのうち会うかもな。そんときはよろしくね」

 おやすみ、と言い残してジタンは木枯らしの吹く路地に出た。さてどうやって戻るべ。今の兄ちゃんに訊くのも何だか気恥ずかしい。こうしてジタンは「訊くは一時の恥、訊かぬは一生の恥」という言葉を知る。大して離れてもいない屋敷に戻るのは、既に他の三人が食事を終えた後のことであった。


back next
top