03

 

アウトサイドワークス
03

 気丈な言葉を発した手前「帰りたいよう」なんて言うわけには行かない、ビビはそんなに弱い男の子ではないので。

 しかし、既に里心がついている。他の三人と離れてしまったことが一番大きい。ブランクと288号は屋敷の外庭、ジタンは門でそれぞれ警備に当たっているが、メイドが外をうろうろしているのはおかしいということで、ビビはメイドたちの控え室で居心地悪く座っているだけだ。

「あのう」

 何もせずに座っているのも心苦しいので、ビビは近くに居たメイドに訊く。

「僕も、何か、……お仕事、その、お手伝いできること、ありませんか……?」

「ございません」

 ガラスのように澄んだ声のメイドは、休憩時間なのだろうか、先ほどこの部屋に入ってきて、しかしリラックスした様子も無く、少しも乱れない。ビビが少し窮屈な靴の先で絨毯をくりくりと擦るのとは対象的だ。

「そもそも、あなたは客人なのですから、お仕事をさせたりなどすれば、私がミ・ロードに叱られてしまいます」

 少しどきどきするくらい、綺麗な顔をした女の子だった。

 ビビだって、愛くるしい大きな瞳に長い睫毛、誰もが口付けしたくなるような唇を持った美しい少年である。しかし、元々同世代の「ともだち」が居らず、寧ろ自分よりずっと年上のジタンやブランクと長いこと過ごして来たから、歳の近い子供と話すことに慣れていない。

 それに、どちらかと言えば女の子があまり得意ではない。どういう風に話をしたらいいのか、分からなくて。

「それから」

 黒髪のメイドは立ち上がると、少し厳しい目をした。美しく整った顔をしているものだから、そういう顔はなんだか、極端に怖い。

「その姿で居る以上、あなたも私と同じ、メイドです。仕事はしていただかなくても結構ですし、屋敷の中を歩いても宜しいですが、無駄口は一切叩かれませんよう」

「ふあ……、はい」

「……それでは、私は仕事へ戻ります」

 ビビには歩きにくい高さのヒールを易々と履きこなす彼女は、美しい所作で身を翻した。その、長く細い足に案外短い丈のスカートの先に思わず眼を奪われて、慌てて「あのっ」ビビは声を出した。とがめるように振り返った彼女に、

「え、ええと、僕、は、ビビです。ビビ=オルニティアです。十歳です。あなたは」

 一瞬、身に付けたブラウスと同じほど白かった彼女の頬がぱっと紅くなった。

「……申し遅れました、エルエイと申します。この屋敷のメイド長をしております。……十三歳です」

「メイド長……」

 十三歳で……。

 エイエルは深々とお辞儀をすると、すぐに出て行った。ビビはその後姿が、なんだか全く別の世界の生き物のような気がして、しばらくぽかんと口を開けていた。

 どうしよう。とても退屈なのだ。家に居れば掃除や洗濯など、何かしらするべきことはあるし、ビビは恋人たちのために働くのが好きな少年だった。ぽっかりと空白の時間が生じれば、そのときには本を読む。世界にはまだ、未知なることが溢れていて、少年は知識に対してとても貪欲で、また勤勉な心根の持ち主でもある。

 でも、勝手に本なんて読んだら怒られちゃうかな……。

 そんなことを思いながらも、このままこのメイドの控え室でじっとしているのも苦痛である。ビビは意を決して、普段履いているものに較べて少々高いヒールに四苦八苦しながら控え室を出た。左右、こんなに長い必要ないのになと思うほど長い廊下を見比べて、思いのままに足は左に向いた。任せるには少々覚束ない足に任せて、時折現れるドアを鍵穴から覗いたりしながら。それで居て、他の屋敷の使用人と擦れ違うときには品良く会釈もする。

 ところで、不意にビビは便所の存在感というものを学ぶ。其れは単純に、手近なドアの鍵穴を覗いたら、奥に陶器の洗面台が見えたからだが、何となく「ここはトイレなんだろうな」という予感があった。

 住居の中における便所というものは、出来る限り隠しておきたいと思う一方で必要不可欠なものでもあるから、奥まったところにこっそりと在るのが一般的であろう。実際、ビビの住んでいる家にしてもそうだ。

 中に入ってみると、こんなところでおしっこしたら落ち着かないだろうなあと幼いビビもしみじみ思うような立派な便所である。最早それは一つの「部屋」であって、便室とでも呼ぼうか。洗面台には大きな鏡があって、ポプリの入った洒落た瓶なども備え付けられていて、なんだかいい匂いがする。時と機が合致したから鍵を閉めて、ビビも思い切ってその広いトイレで用を足すことにしたが、普段はメイド服姿でも立ってする少年は、なんだかもじもじと落ち着き無く便座に腰掛けて済ませた。

 手を洗って、備え付けのタオルで拭いて、はぁ、と溜め息を吐く。窓からは中庭が見下ろせて、冬枯れの夜窓にちらちらと庭を照らすためだけの灯が覗ける。幼いビビでも其れが贅沢に過ぎる景色だということは判る。ましては此処は、トイレである。おしっこをするための場所なら、こんなもの見られなくたっていいのに、と呆れてしまう。

 あの「ミ・ロード」は、いったいどういう人なのだろう。

 エルエイの、何か子供離れした様子も含めて、ビビは此処が自分とは全く無縁の場所だということを感じる。

 ああいう人たちを前に、堂々としていたブランクを眩しく思う。お兄ちゃんはいつもはのんびりしてるけど、やっぱり僕なんかよりもずっとずっと大人なんだなあ……。

 まだ十歳のビビは、将来自分がどんな大人になれるのかということに思いを巡らせて、なんだか途方も無いような気になる。いまのところはまだ、ブランクたちの翼の内側に居る、庇護されて居ればいい子供だけれど、いまは小さなその身体もやがて大人のそれとなる。いつまでも気弱で泣き虫な子供で居てはいけないわけだ。だってエルエイは僕と三つしか違わないのに、あんなに大人っぽい。

 しかし、大人への階段の第一歩という定義が可能かどうかは判らないが、ビビはいま、仕事をしているのだ。「客人」の立場ではない、ちゃんと仕事をしに来ているのだ。その点ではエルエイと違いはない。

 ビビは背筋をしゃんと伸ばして、便所を出た。ただ宛ても無く屋敷をぶらつくのではない、ブランクたちがしているように、怪しい者を見つけたらすぐに報せられるよう、警邏をするのである。「退屈だ」なんて思ってはいけない。ビビは再び歩き始めた。

 


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