アウトサイドワークス
02

 シド夫妻、そしてエーコとの久々の再会を祝っているうちに、飛空艇は常夜の街トレノへと着いてしまった。お陰でその間ブランクたちが口に出来たものといえば高級紅茶とビスケットが二枚だけである。「あのテーブルに並んでた肉は何だ。イミテーションか」とぶつくさ言うジタンを、「しばらくは飽きるほど美味いもんが食える」と諭したブランクの案内で四人は豪奢な屋敷の前まで辿り着いた。見上げるような高さの門に、ビビがぽかんと口を開け、288号はいかにも気後れした様子が見て取れる。ブランクはリンドブルム国王からの書状を掲げて門を潜り、見事な白髪に口ひげを備えた老執事の案内で、館の主に面会する。

 ふかふかの紅い絨毯敷きの部屋一つで、四人の暮らす家が丸ごと納まってしまうような部屋の一番奥、指紋一つ付けただけで怒られそうな机の向こう側で、栗色の髪をした男が大儀そうに立ち上がった。背はすらりと高く288号と同じほどか。国家を相手にマネーゲームを繰り広げる豪商というイメージから、勝手に「おじさん」をイメージしていたビビと288号は、その男が随分と若く見えることに驚いていたが、その態度はやはり生活水準の極端に高い者らしく尊大である。

「ご苦労」

 とよく響く声で言う。

「お久しぶりでございます、社長」

 ブランクが頭を下げたのに応じて、ジタンも頭を下げる。ビビも慌てて其れを真似たら、ぽろりと帽子が転がった。288号は既に脱帽している。

 四人に頭を下げられても、「社長」と呼ばれた男は何の返答もしない。ただブランクは数秒の沈黙を少しも心苦しく思っていない様子で、恐る恐るビビが顔を上げる頃になってようやく、

「ミ・ロード」

 とブランクが発した言葉に応じて、

「ああ、久しぶりだな、ブランク」

 言った。何と言う尊大な男であろうと、288号が驚きのあまり思わず頭を上げ掛ける。

「お前一人ではなかったのか」

「私一人でも十分な仕事かと思いましたが、偉大なるミ・ロードから享け賜わった以上、念を入れすぎるということは無いと判断いたしましたので」

「……ふん、ごろつきと、黒魔道士が二人か。……一人はまだ子供ではないか」

 言葉の矛先を向けられたビビはきゅっと小さくなる。元々こんな改まった場は不慣れな少年である。ブランクにしろジタンにしろ普段どおりの――ジタンは礼儀として両足に靴下を履いて出てきた――格好で居るのだから、二人がこの「ミ・ロード」をさほど重い相手と思っていないらしいことは確かだが、なんだかこの人、苦手だな、とビビは思う。三人は三人とも、とても穏やかで優しくて気楽な空気の持ち主である。

「お言葉ですが、ミ・ロード」

 ブランクは穏やかな声で言う。「国王の信頼を勝ち得るだけの黒魔道士です。あの方が貴方様の依頼にただの子供を寄越したりなど致しません」

 そういえば、ブランクがこんな言葉遣いをするシーンを見ることだって初めてだ。というか、ブランクとジタンは敬語を使えないのだと思っていた。失礼な思い込みであったことを心の中でビビは詫びる。

 ブランクは堂々と顔を上げて、尊大な社長に相対する。

「仕事の内容は判っているな」

「心得ております、ミ・ロード。このところ近辺に不審な人物が跋扈しており、私たちはその者の捕縛及び貴方様の警護に参りました」

「その通りだ。元々この街の治安は悪い。私の持つ秘宝の話が何処から漏れたか判らんが、其れ目当てに人の安眠を脅かす輩が居る。つい先日、門番が負傷したばかりだ」

「不埒者がどのような者であろうと、私たちにお任せください。捕えて、然るべき措置を致します」

「当然だ。それだけの金を払って、そのために呼び寄せたのだからな」

 綺麗に撫で付けた栗色の髪は長く、肩に掛かる。双眸には自信が満ち溢れていて、声は力強く、肌艶もとびきりいい。ジタンやブランクとは、全く違う種類の人なのだなとビビは学ぶ。

「では、その者を確保するまで、お前たちには此処に居て貰うことにする。屋敷の一室を貸そう。それから……」

 社長は手元のベルを鳴らした。すぐさま、何処に控えていたのか数人のメイドが現れた。靴にしろカチューシャにしろ、ビビが買い与えられて普段着ているものとはまるで値段の違う物だということは、幼いビビにも判った。

 しかしそれ以上に驚いたのは、そのメイドたちが自分より少しだけ年上か大差のない、子供であるということだ。みな物静かな表情で、主の言葉を待っている。

「そのようなみすぼらしい格好で居られては困るのでな、部屋に戻ったらすぐに着替えるように。この屋敷には取引先の人間が出入りする、相応しい格好で居てくれなくては信用に関わる」

 言葉を其処で切って、「ミ・ロード」は背を向けた。メイドたちが瞬時に「こちらへ」と先立って歩き出す。ビビはなんだかぎくしゃくした動きで最後に退室し、広い広い屋敷の中で方向感覚が狂ってほとんど迷子になりかけた頃に、ようやく部屋に通された。その部屋にしたって、暮らす家のベッドルームとはまるで懸け離れたもので、部屋の端から反対の壁に居る相手に話そうとすれば、お腹から声を出さなければいけないだろう。

「お着替えはクローゼットの中にご用意致しました」

 メイドたちは、純然たるメイドとはこういう所作をするのだということをビビに学ばせるような礼をして部屋を出て行った。しばらく立ち尽くしていたジタンとビビと288号は、申し合わせたように一斉にソファに沈み込んだ。

「……うぜーな、あの野郎」

 ジタンが腹の底から毒っぽい溜め息に混ぜて言った。ブランクは苦く笑いながら「ああいう男だ。人より自分が偉いと思ってるような、馬鹿だよ」とこれまた先ほどまでとは別人のような悪辣な言葉を並べる。

「ミ・ロード、……とは? あの人は、何かそういう、……貴い立場に居る人だったの?」

 288号はまだローブを解かずに訊く。

「っていうか」

 ブランクは用意されたお湯で四人分の紅茶を淹れながら、答えていく。その紅茶の香りは飛空艇の中で振る舞われたものよりも更にふくよかである。

「そう呼ばねーと返事しねーから。別に爵位なんてもんはねーし、金の力でリンドブルムにもアレクサンドリアにも口が利けるってだけのことだよ。ただ」

 ブランクは各々に紅茶を配り、一口啜って「美味くねえな」という呟きを挟んでから、

「あの男の名前がヴァイカウントっていう」

「ああ……、なるほど」

「つっても、ロード・トレノなんて呼んだらやっぱり答えねーんだ。純然たる貴族じゃねーってことさ」

 美味くねえ、とブランクが吐き棄てたとおり、その紅茶の味はビビの舌にもあまり馴染まなかった。高級であることは間違いない。恐らくこの紅茶一杯だけで、普段自分たちが嗜む紅茶を一月分は賄えてしまうだろうというところまで判断出来る。然るに、自分好みの味ではない。幼いながらに紅茶の味を判別することの出来るビビだが、別に通人ぶる訳ではなくて、単にこの味は好みではないと思うのだ。

「ビビ、しんどいか?」

 ブランクが案ずるように顔を覗く。

「しんどいなら、288号と一緒に家で待っててもいいんだぜ? 聞いた通り、大した仕事じゃねーし、俺とジタンだけ、ぶっちゃけ俺一人でも全然構わないんだ」

 すぐにビビは首を横に降った。

「いるよ、僕」

 大丈夫、と微笑んでみせる。本当はあの「ミ・ロード」はなんだか怖いし、こんな広い部屋、広すぎる部屋、落ち着かないのだけれど。

「だって、……悪い人が来るんでしょ? お兄ちゃんはその人と戦わなきゃいけないかもしれないんでしょ? だったら、僕もそのお手伝いをしたい。お兄ちゃんが怪我したら嫌だから」

「金なんてなくてもなー」

 ジタンが蜂蜜を丸呑みして僅かな苦味を感じたときのような笑みを浮かべて、帽子の跡のついたビビの銀髪を撫ぜた。

「さて、と。じゃあ、着替えますか。体面気にする『ミ・ロード』のご希望だからね」

 クローゼットには急に四人に増えた護衛たちのための衣服が、急支度とは思えない形で整えられている。ジタンとブランクと288号は揃いのスーツ。288号はすらりと長身だから其れが良く似合う。銀髪に元々美しい相貌をした男だから、そのたたずまいは此方こそ本当の貴族なのではないかと見紛う程だ。一方でジタンとブランクは、恐らくミ・ロードに見咎められれば顔を顰めるに違いない着崩し方をする。

 ただ、三者三様、ビビの着た服を見て。

 ジタンは無邪気に「おお、似合う似合う」とはしゃぐ。

 ブランクは「悪趣味だ」と呟く。

 288号は、声もない。

「……ど、どうして? 僕……、男の子なのに……」

「……まあ……、たまたまお前くらいの年恰好の子が着る服が其れしかなかったんだろうな」

 ビビは先ほどのメイドの子供たちと同じ、紺色のプリーツスカートに純白のブラウスに、白のストッキングにぴかぴかの革靴。

「こんな屋敷の中に普通の子供が居るのも変だしな。木を隠すのは森の中とも言うし……、着慣れてる分良いだろ」

 ブランクがそう総括する。要するにビビが着ているのはこの屋敷で働く子供たちと同じ、メイド服なのだった。


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