昔々、マーカスが野良猫の親子を拾って来たことがあった。

「好きにしろよ。ただ、エサとクソの世話はテメェですんだぞ」

愛護精神に秀でていた訳でもないバクーはちらりとダンボール箱のなかで猫団子になったトラたちを一瞥し、意外なほどすんなり許可を下ろした。しばらくして貰い手が現われるまで、母猫と六匹の仔猫を文字どおり猫可愛がりし、彼女たちは猫らしからぬほど、マーカスになついていた。膝の上に四匹、両肩に一匹ずつ乗せ、いっせいに喉を鳴らして擦り寄る猫たちに、正直困ったような笑みを浮かべる無骨なマーカスの顔は、悪くなかったと思う。

そして、今の自分も、案外悪くないんじゃないかな、ジタンは思う。ただ、一歩間違えれば、かなり危うい雰囲気があるであろうことは否めなかったが。

「……全員、そうなわけだ」

サラマンダーが頷く。

「そう。全員が全員、そうだ。……お前がアホになる程に惚れてた、あのビビだ」

ジタンの肩によじ登ったり腕や尻尾を引っ張ったり、五人が五人、好き勝手にジタンに纏わり付く、『ビビ』。ただ、膝の上は開いている。

「それでも俺は幸せだと思うんだけど……」

「そんなことは解かっとるわ。……その顔を見ればな」

フライヤの指摘した「顔」、何だか潤んでしまっている目に、赤味の差した頬。

「……間違いなくその子らは、ビビじゃ。お主に会いに来たと言っている。……そうじゃな?」

フライヤは、『ビビ』たちの中から最も強気な、リーダー格らしい『ビビ』に、訊ねた。

「そうだよ。オレたちは、ジタンに会いに来たんだ。ビビがオレたちに変えた思いを届けに来たんだ」

こころなしか、彼女らが見知っている『ビビ』より目線が強い気もするその黒魔道士はきっぱりと答えた。

「ビビは、もう生きられない自分をそのまま、オレたちって形で残したんだ。さっきも言ったとおり、それはビビだけじゃなくて、クジャや、288号の力も、必要だった。みんながみんな、いっぱい、魔法をかけて、オレたちを、生み出したんだ。だからオレたちは、ビビの子供で、クジャと288号の子供でも、

あるんだよ」

ふぅん、エーコが椅子からピョコンと飛び降りて、かつての『ビビ』と同じく、自分とほとんど身の丈の変わらぬ少年に訊ねた。但し、昔と違うのは、彼女の身長の方が少しだけ、少年たちよりも高くなっていることだ。

「でも、解からないわ。なぜ、あたしたちのことを、そんなに知っているの? ビビがあなたたちに教えたとしても、あなたたちが知っていることは、すごく詳しいし、細かい。そんなにビビの言ったこと、覚えてるの?」

少年は首を振った。

「オレたちは、ビビじゃないけれど、ビビの見てきたもの聴いてきたこと、思ったり、感じたりしたことは、全部知ってるんだ。ビビがオレたちを、生み出したときに、それはもう、備わってたことなんだ。クジャがオレたちにそれを、教えたんだ」

「……よ、よく解からないアルよ」

「だから、つまり、俺たちは六人……いまひとりいないけど……全員が、ビビと同じだってことだよ。ビビが知っていることはぜんぶ、俺たちも知っている。ビビは、みんなと旅をしていたことを、すごく幸せだと思っていて、自分の中の記憶が、大切で大切で仕方が無かった。もちろん、……ジタンのことが好きだって思いも。ビビは、自分の思いを、どうにか、残したいって思ったんだ。 記憶を一つの形に留める方法を知っている人が、ひとりだけいた。それがクジャだった。288号はビビのことを愛して、クジャはジタン、あんたのことを愛した。愛した者が悲しむのを放っておけるほど、288号もクジャも、強いひとじゃなかった。だから、ビビの記憶を、クジャの作り出した、まったく同じ黒魔道士の卵の中にコピーして、想いを残した、方法はそれだけしかなかったから」

「……壮大、だな」

サラマンダーはジタンをちらりと見遣り、言った。

ジタンは腕を組んで、自分の膝の上を見ていた。そこは、誰かが座りやすいように、カラッポになっている。

先程までは、いたのだ。六人の中で、一番気が弱そうで、ただ、控えめにジタンのことを見る目が、他の誰よりも、彼の知っている『ビビ』を思わせる、黒魔道士のこどもが。

「でも、アイツがね」

リーダー格が言う。

「オレたちのなかで、一番、ジタンに関するビビの記憶を強く受け継いでいるんだ。つまりアイツがそのまま、ビビって言ってもいいくらいにね。オレたちの記憶は完璧じゃない、知らないことも、少しはある。でも、アイツはそうじゃない。ジタンに関して言えば、本当に、すべてを、覚えてるんだ」

エーコが頷いた。

「確かに。あの子、すっごく頼りないカンジ。だからかな、すっごいビビって感じしてた」

「想いの比率。同じように記憶を分けたはずなんだけど、それでも差は生まれた。ひょっとしたら、クジャが意識したのかもしれない。……たとえばオレは、もちろんジタンに会いたいって気持ちもすごいあったけど、……ダガーとスタイナーに会いたい、って気持ちが、あったんだ。だからかも知れないけれど、オレの記憶もたくさんあるけれど、一番はっきりしてるのが、ダガーに関るものなんだ。……たとえば、コイツ」

ジタンのしっぽを咥えて、弄繰り回しているひとりを指差した。

「こいつはね、クイナのことを一番憶えてる。こいつはフライヤ姉さんのことを憶えているし、そいつはスタイナーを、そこの奴はエーコのことを、そしてこいつはね、サラマンダーのことを憶えてる。ひとりひとりが、一緒に仲間をして楽しかった思い出を抱きかかえて生きていくよう、生まれてきたんだ。多分、ひとりに記憶をギュウギュウ詰めにして生み出すよりも、ずっと楽だったんだと思う。きっと、瀕死の身体で出来たのは、それが精一杯だったんだと思うんだ」

カラッポのままの膝の上を指して、リーダー格は笑った。

「そこに座っていいのは、ひとりしかいないんだ」

ジタンは苦笑いして、その空白、重みがあるんだかないんだか。

「……帰ってきたようじゃな」

扉の向こうが俄かに賑やかになった。

「ビビ殿ッ、自分はッ、自分は片時もビビ殿の事を忘れたことはありませんでしたぞっ、自分は、自分はっっ」

「おっさん、うるせーよ。もう遅ぇんだからそれくらい考えろよオタンコナス」

「あ、あの……この部屋」

むせび泣く騎士殿と悪態を吐く盗賊の前、腰の高さの身の丈の黒魔道士『ビビ』は、振り返って指差した。ノブを捻って広がる奇妙な光景に目を回す、騎士殿と盗賊に一頻り焦る。『ビビ』を形成する上で欠くことのできない、『気弱さ』を存分に受け継いだ彼は、ジタンと仲間、そして兄弟たちの姿を見るや、無事戻ってこれた安堵感に、一目散に『定位置』に収まるや、ぐすぐすと鼻を啜り始めた。

「……お帰り、ビビ」

やさしく抱きすくめられることが何よりの幸せであると、それがそのまま生きている理由にもなると、信じていた彼らのこころが、その場所でやさしく弾けるのだ。


top next back