僕はね、それでも生まれてきてよかったと、思うんだ。

人形だとしても、ジタンといる間は、僕はそうじゃなくて、人間だった、彼が僕を、そういう風に見てくれたから。こんな僕の事を、世界でたったふたり、同じ高さの世界で、見つめてくれた人。僕はだから満足だった、僕は愛されて、幸せだった。だから、本当は泣きそうだけど、停まってしまうのは恐くない。ジタンと一緒に過ごした、ほんの短い時間、だけど、永遠にジタンが抱いていってくれる記憶が、僕を生かし続けるから。

 

 

そこまで考えていたビビは、しかし優しさに縋り付いた。どうしても、開き直ってジタンのいない世界へ沈む事は、耐え切れない事だった。いや、耐え切れなくても、耐えようと、そう決意はした。だが、ほんの小さな子供である彼には、どだい無理な話しだった。 ビビの額に手を当てたまま、じっと、クジャは目を閉じ、ゆっくりとした呼吸で、命を削り、削った粉で、新しい命を創りだそうとしていた。それが全く苦痛でない事に、クジャは妙な満足感を感じていた。

「どうしろと?」

288号はクジャの質問に、険しい顔で答えた。

「……ビビの記憶を、コピーする。誰か、他人の精神と摩り替えて、違う肉体のビビを作る。…そして、黒魔道士として停まってしまった後のビビの精神に再び、その記憶を戻す。……うまく行くかどうかは解からないけれど……、それしか方法はない」

「ちょっと待ってくれよ。そんな、他人の記憶を摩り替えるなんて、僕に出来るわけ」

「だけど、君以外に頼れる人間がいないんだ。それに」

288号は、その苦しい方法しか思い付かなかった自分を少しも恥じることなく、言った。

「君はやる気だろう?」

 

 

記憶の洪水だ。

たくさんの言葉を、光景を、音を、人の顔、触れられる感覚、痛み、苦しみ、快感、セツナサ、泣きそうなときの震え、抱き締められて満たされてゆく気持ち、死への恐怖、それらが、クジャの体の中へと染みて来る。侵食されそうなギリギリのところで理性を保ち、ビビの記憶を自分の中に写し撮っていく。かれこれ三時間はこの体勢のまま、記憶を呑み込み続けている彼の額には、不似合いな汗が浮かんでいた。

やる気だよ、ああ、僕はやる気だとも。

僕は、ジタンの事が大好きだからね……。

そして、ジタンが愛したのなら、僕もこの子の事を、愛する。

『愛してる』 その言葉が、記憶の中にいくつもいくつも、反復して現われる。同じ声で、しかし、弾んでいたり、掠れていたり、不貞腐れていたり、泣きそうだったり。全部、ジタンの声だ。どんな風な顔で、言ったんだろう? そう考える事は、苦痛を紛らわせた。

「愛してるぜ、ビビ……」

僕も、君のことを愛してる、ジタン……ビビ。

ふっ、と、クジャは一つ息を吐いた。

「……終、った」

ゆっくり立ち上がったのに、ぐらりと視界が傾いた。岩壁に手を付いて、目をギュッと閉じ、開ける。霞む、焦点がぼやける。 迫り来る刻限は鼻先にあるのかもしれない。

だとしたら、急がないと。

「……クジャ」

ビビも、くたくたに疲れた声で言った。

「……ありがとう、クジャ……」

クジャは、目眩を堪えながらも、笑って見せた。

「そんな言葉、言ってもらえるなんて思わなかったよ。……まぁ、悪い気はしないけどね」

言って、目の奥がツンと痛くなった。

「……さぁ……、僕には、もう、時間が無いみたいだ。……僕たちの愛する人のために、早く済ませてしまおう」

六体の、ビビとまったく同じ姿の、小さな、黒魔道士の子供たち……を象った、人形。

最期の罪を、しかし、死という裁きを受けるために、クジャは自ら選んだ。それでもまだ、無関係の人間を巻き添えにするよりはいいと思ったのだ。ビビは最後まで拒んだが、自分の不在がそのままジタンの心を壊すことに繋がるのだと、クジャに説得されて、その子供たちに記憶を宿すことを、許したのだった。

「……この子達は、君を復活させる、鍵だ」

こんな事を考えることは間違えている、そう理解していたが、クジャは、それまで自分が作ったどの人形よりも、一番いい出来だと思った。

「教えてあげるといい。君の知っている、ジタンのことを……。君の大好きな、人のことを」

クジャは、自分の中に一時的に止めた記憶の流れを、ゆっくりと解き始めた。

最後だ。これが、最後だ。

見ていたい、と思った。

自分の魔法が、成功するかどうか。

ビビの子供たちは、きちんと命を宿し、ビビの記憶を持った形で、動けるのかどうかを、見届けたいと、思った。

体の中から、あらゆる物が波が引くように、持ち去られていくようだ。ビビの記憶とともに、自分の心も、どこかへ放出してしまうらしい。徐々に、感覚が鈍っていく。

指先が、やがて動かなくなる、腕すらも、自分の意志では、足も、膝も、腰も、我ながら女性のように魅力的だと誇れるラインも色を失っていく、身体がひんやり固くなっていく、徐々に徐々に、奪い去られていく…違う、ビビの子供たちに、与えていくのだ、次第に、胸が冷たくなり、膠着し、息が止まり、喉が塞がり、口の中がからからに乾いて行った、音も聞こえなくなり、思考が少しずつ、鈍くなっていくのが解かった。

しかし、心から喜ぶべきことに、目だけは、最後まで映していた。

六体の子供たちが、順々に、ぴくりと動き、平面的だったその瞳に黄金色の光が宿り、最後、ビビが、何事か叫んで自分に駆け寄り、顔に手を回した、光景を。

嬉しかった。

 

 

 

 

 

僕はね、それでも、生まれてきてよかったって、思うんだ。

短い命だったかも知れない、満足な事なんて何一つなかったかもしれない、たくさん間違えたかもしれない。人をいっぱい、死なせてしまった。人をいっぱい、悲しませてしまった。愛する人さえもこの手で、殺してしまうところだった。だけど、僕は気付くことが出来た、それだけで、十分なんだよ。

誰かの為に生きるということの、楽しさ、幸福感を知らないまま、色々を怨んで死ぬよりは、こちらの方がずっといい。どうせ僕の行く先は地獄だろうけれど、それでも、僕は誇れる。きっと、ビビは、ジタンは、幸せになってくれるだろうから。僕はたくさんの罪を犯したけれど、人を幸せにすることが、出来たから。


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