♯24アフター 『愁霖』 (3)繰り返す思いは、とまりを憔悴させる。 ――もう、今は…あたしがあたしでいるのがつらいんだ…… 膝の上で握りしめていたの手の甲に、ひとしずく、ぽとりと涙が落ちた。 ――あたしが先でいいだろ……、はずむ…… 雫は続かなかった。それで終わりだった。終わりを感じた時、とまりは誰かが声を出す のを聞いた。 「抱かないの……?」 男は背を向けている。缶ビールを口にしたまま、動作を止めた。 「抱くんじゃないの……?」 抑揚のない女の声が、こぼれる。身体が、熱かった。 「そのつもりで、待ってたの……」 モニターに映る洋画から、異国の女の声で、一人語りが流れている。 男が、どちらを聞いているのか分からなかった。缶ビールを持つ手をゆっくりと下げる。 脱力したようにも見えた。 言い知れない昂ぶりに押されて、とまりは叫んだ。 「もう、抱いてッ…」 少女の声が、高く響いた。男は、その余韻が消える前に振り向いた。ベッドの端に腰掛 けた小さな身体は、俯いて肩を震わせていた。無言でそれを見つめた。 「あたしのこと、好きに抱いていいから。言われた通りにするから。だから……!」 怯えを含んだ声で、とまりは言った。そして顔を上げる。男の顔が見えた。そこに柔和 な表情はなく、視界に入ったとまりの瞳を、平坦に見つめていた。 「もう…あたしのこと、変えてほしいの……」 千切り棄てるように言った。 「あたしじゃなくなりたいの……」 誰に告げた言葉か分からなかった。それに男は、ただ頷いた。 「特別優しくは、出来ないよ」 穏やかに、冷たく告げた。 「いいんです」 見ず知らずの優しさなんていらない、と思った。 「恥ずかしいことも、言える?」 「…いいます」 「いやらしいことも、できるの?」 「…やります」 「痛いことも、あるかも知れない」 「…がまん、します」 「途中では、止められないよ」 「…はい」 男は表情を変えない。淡々ととまりに問いただす。ひとつひとつの言葉には、何の感慨 もなかった。問われるまま、頷いていた。 「……リクエスト、あるなら聞くよ」 それは、どう抱かれたいのかを、聞かれているかのようだった。とまりは男に試されて いるように聞こえた。心の襞を、汚泥のようなものがどろりと流れつたっていく。 ――誰に抱かれても、同じ…… 目を閉じて、思う。 ――誰が抱いても、同じ…… 男と女の、肉体だけが交わる。ただそれだけ。 男と女の、本性だけが互いの肌を求め合う、ただそれだけ。 ――誰に抱かれても、きっといやらしいあたしになっていく…… そんないやらしい自分を、はずむはどう思うのだろうか。 女の、淫らな本性に狂う自分を、はずむはどんな気持ちで見るのだろうか。 軽蔑し、汚いものを見るように顔を背けるだろうか。 それとも、淫猥なとまりの姿に、はずむも感じて、性を刺激されるのだろうか。 ぞくりと湧き上がる背徳感に、とまりは身震いした。 そして、その湧き上がるままを答えていた。 「……あたしを、写真に撮って」 意外な言葉を聞いたように、男の目に感情が流れた。 「写真を…?」 「抱かれる前のあたしと、抱かれてるあたしを写真に撮っておいて欲しいの……」 男は少女の意図を掴めなかったが、彼女の瞳に異質な光を感じ、問い直しはしなかった。 ソファーの脇に投げ出してあったビジネスバックから、小さなデジタルカメラを取り出 し、少し指で撫で回した後、とまりに示した。 「これで、撮るから」 とまりは小さく頷いた。そして、エチケット袋からおもむろにヘアバンドを取り出す。 バンドといってもヘアターバン並に幅広で、部活で使っているものだった。額の汗を吸っ たせいか少し埃っぽかったが、構わない。 「これで……、あたしを目隠ししてから抱いて下さい……」 俯いたまま、手だけでそれを男に差し出した。 「目、隠し…かい?」 男が、何かの誤解を確認するように聞き返す。とまりは、はいと答え、続けた。 「抱かれてる間、何も……見たくないの」 冷え冷えとした、自分の声だった。なのに顔も身体も、上気していた。 自分の心も、身体も、もう自分のものでなくなっていた。 手にしたヘアバンドを受け取りに、男がとまりに歩み寄る。ベッドの傍らまで来た男を とまりは上目遣いで見上げ、ヘアバンドを差し出す。手が震えていた。男の手がそれに重 なった。とまりはぎゅっと目を閉じて、男が顔までヘアバンドを潜らせるのを待つ。顔へ の緊縛感を伴いつつ、瞼の向こうが暗く閉ざされる。闇にあって、とまりの胸に怯えが生 じ出す。そこを、男の手がとまりの髪を撫でるように動いたので、心臓が跳ね上がった。 男はゆっくりと指でとまりの髪を櫛梳り、ヘアバンドの向こうへ流し出した。その仕草は 穏やかで、不安が少しだけ和らいでいく。男が、この長い髪を褒めてくれていた事が、ち らりと脳裏を掠めた。 「これで、…いいんだね」 男の囁きが、耳元近くで聞こえる。無言でとまりはうなずいた。 何も目にしたくはない。何も瞳に焼き付けたくない。 変えられていく自分を、記憶に刻みたくはなかった。行為の後は、残った心を消して闇 に堕ちようと思っていた。 次の朝に目を開けた時、それまでの自分こそが、夢だったのだと思えればいい 「写真、どう撮って欲しいんだ」 男が、聞く。 とまりは、心が疼き上がっていくのを感じる。写真…、記録…、今……そして、その後。 ――これまでのあたしが変わっていくのを、そして変わってしまった事を、誰に宛てて残 したいんだろう…… はずむに見せつける。はずむに背負わせる。そして最後の時まで、はずむの心を思いを 自分に縛り付ける。 ――あたしを、おいていってしまう罪と、……その罰。 はっきりと、浮かび上がる憎しみと復讐を知ってしまった。 ――はずむには、置き去らて、また置き去られるあたしへの罪を感じて欲しいんだって とまりは、いなくなるつもりのはずむを知ってしまった。 ――あたしからはずむは消えないのに、はずむはあたしを消してしまえるんだ。だから…… はずむは、とまりの事を諦めてしまえるのだった。だから、何も言わず微笑んでいられる のだ。 はずむは、自分のいなくなった世界でとまりがどうなってしまうのかが分からない。想 像すら、やめてしまった。だからあんなに残酷になれる。誰かにとまりを託してしまえる。 あの時、屋上で鉢植えとおしゃべりしていたはずむの姿。…声。 ――許せない とまりは、くやしかったのだと気付いてしまった。はずむから寄せられる想いより、自 分の想いが強かったことが悲しかった。 とまりは今、目を閉じて思う。 女の自分を意識した。女の自分が、想い人に何を刻みつけようとしているのかを。 ゆらゆらと揺れていた情動が、闇の中で像を結んだ。 ――いなくなるあたしを、想って悲しめばいい… 温度の無い光が、魔を伴ってとまりの心を染めた。 ――ひとり、満ち足りて逝かせたりしないから 女として愛することが叶わない人がいる。いや、女の自分を受け止めて欲しかった人は、 もう消えていたのかも知れない。なら、女の自分に未練はない。紙屑のように、そこらに 投げ捨ててもいい。捨てるつもりなのだから、どんなに汚れても構わない。 ぼろぼろに、どろどろになっても、見合った仕事をさせてやる。そしてそれを、はずむ に見せてあげるのだ。 とまりの悲しみを、幾分かでも思い知るに違いない。 ――互いに喪いあって、ふたりともいなくなろう とまりは、奈落への踏み板に足を掛けた。 「いやらしいのを……」 闇色の決意が挫けてしまう前に、自分を追いやってしまおうとした。 「男の人があたしのことを、……いやらしい女と思うように、写して」 男の方を振り仰ぎ、とまりは答えた。声に感情は出なかったが、舌が震えていた。 目元の隠れたとまりの表情は、男にはよくは分からなかった。 ややあって、男は口を開いた 「……じゃ、僕の言うとおりに、するんだ」 「はい」 「いやらしいこと、恥ずかしいことも、たっぷりとしてもらう…。いいね」 「……はい」 「泣いても、嫌がってもいいけど、……最後には言うとおりにするんだ」 「分かり、ました」 繰り返されるそれは、確認の言葉ではなかった。契約だった。男に促されるまま、とま りは契約の言葉を口にする。 「今からの先は……もう、戻れないんだよ」 闇の向こうから聞こえる声の意味を一度だけ噛み締めて答えた。 「もう、決めたから。だから……」 おぞ気がぞわりと背筋を這い上がり、唇からこぼれた。 「あたしが壊れるまで、いなくなるまで……やってしまって」 血判の捺された誓約だった。おぞまし気な情念を滲ませ、少女は自ら誓った。 男から、もうその返答はなかった。代わって、命じた。 * * * * * * * * * * * 「バスローブの前を、はだけるんだ」 ゆっくりと、とまりは腰紐を解いた。前合わせの胸襟を手に取り、開く。 生肌の肩に、ブラジャーのストラップはない。それを目にし、男は少女がブラジャーを 着けていないのに気付いた。当たり前だ。自分がランドリーに出したのだ。意識して脱衣 籠の中は見なかったが、そういう事なのだろうと思った。パンティも、着けていないのか も知れない。そう思うと、男の鼓動は自然と跳ね上がった。 とまりは腰の辺りの内紐を解き終え、胸前を覆うバスローブを握り締めた。ぎゅっと力 が入り、固まる。自分の乳房をさらけ出す羞恥と不安に、手が止まってしまう。 「どうした…胸を、見せるんだ」 男の声に促がされ、とまりは小刻みに震えながらゆっくりとバスローブを開いていった。 最初に左の乳房が、その乳首が覗く。次いで、右の乳房もすべてが露わになっていく。 日に晒されたことの無い、真白い肌だった。男は息を呑んだようにとまりの胸の双丘を 見据えてしまう。二の腕の中途と首回りから下は、はっきりと質感の異なる肌具合だった。 照度の落ちた暖色光にも、その白さと艶めかしさが見てとれた。 乳房は小振りだが、たるんだ部分がない。余分な肉が落ち、発達した乳腺の上を女の肉 が適度に覆っているように感じられた。首筋や脇からの締った肉が引きあげている乳房は 、形よく天を仰いでいる。 乳房の大きさに合わせたように、乳輪や乳首も控えめだった。緊張したようにしこりを 帯びたそれが、はかなげに先端を揺らしている。薄いピンク色が、歳相応の可憐さを漂わ せていた。 美乳、と言っていい。 男は見惚れ、言葉も、行為も失っていた。 とまりは、くたりと両手を下げ、震えている。異性に肌を、乳房を見られる羞恥におの のいていた。男の沈黙も、怖かった。暗闇の中、心が縮こまっていくのを感じた。 「……あたしの胸、だめ…だよね?……ちいさいし、こ、子供みたいで……」 堪らずに言葉がこぼれる。 「こんな、小っちゃい胸…で、男のひとの気、惹こうなんて、無理だ…よね……?」 不安で消え入りそうな声を、男は耳にしていた。 「ごめん、なさい……あたし恥ずかしい……ごめん…ごめんなさい……」 少女の啜り上げるような呟きは、男の胸の、何色なのか分からない炎を煽った。 「…写真、とらなきゃね?」 「え…?」 「いやらしい写真、撮るんだよね…?」 「……は、い」 「じゃ、どんどん撮っていくから、言われた通りの事、するんだよ…?」 「…は……い」 カシャッ…とデジタルなシャッター音が響いた。 とまりの逡巡を介さないように、男は色々な角度からシャッターを切る。レンズが、肌 へ接近されているのを感じた。音が響くたび、とまりは心から、何かが剥がれ落ちていく のを感じた。 「綺麗だよ、きみの胸…」 ふいに、男が耳元で囁く。耳朶に、ぞくりとした感覚が流れた。とまりは形にならない 声を、小さく漏らした。 「白くて、なめらかで、形もいい……」 男の声が、脳髄を焼くように流れ込んでくる。 「うそだ…」 とまりは、流れ込む男の声を否定する。 「うそに、決まってる……」 「本当さ。綺麗で、いやらしくて、手のひらでくるんで揉みしだきたくてたまらないよ……」 「う…そ……」 「ピンク色の乳首も可愛らしくて好きだし…、はやく口に含んで、舌の上で転がしたい……」 「…や、だぁぁ」 男の言葉に、とまりは自分を失いそうになり、怯えた。時折響く、乾いたシャッターの 音が、とまりに灯りつつある火を煽り立てていく。 * * * * * * * * * * * ふいに男の手がとまりの肩を突いた。とまりは何の抵抗もできないまま、ベッドに仰向 けに転がされる。ぼふんと、ベッドが軋んだ。 バスローブは完全にはだけ、未だ隠していた下半身まで露わになってしまう。とまりは 突然の事の中でも咄嗟にバスローブの裾を戻して、女の部分を覆い隠そうとした。それを 男の声が見咎め言った。 「隠さなくて、いいんだ」 とまりは男の声を聞いても、ベッドの上でのろのろと手を動かし、秘部を男の視線から 隠そうとした。 「手をどけて。…恥ずかしいのを我慢するんだろ?」 男の意地悪な思いが、言葉に感じ取れた。とまりは唇を噛んで、バスローブから手を放 した。ぎゅっと閉じ合わせたふとももだったが、下腹部は外気に晒されているのが分かる。 パンティは、穿いていない。 恥毛を見られているに違いなかった。 ――い…、やだぁ…… 自分のそれが薄い事も、とまりの秘めたコンプレックスだった。部活の後のシャワーも、 何なりと理由をつけては皆の後でひとりで浴びに行っている。銭湯や大浴場といったもの には入らない。人目が、気になって緊張するのが嫌だった。他人とを、比べてしまう自分 も嫌だった。 少し大きめの鏡の前に立てば、見えた。細く、まばらな体毛は女の恥ずべき箇所を隠す にはいかにも頼りなかった。それが、自身の女としての幼さを際立たせているように、と まりには思えた。 人とは、絶対比べられたくはなかった。 それを、見られてしまっている。 震えと硬直が、全身の血を絞り上げる。タオル地のヘアバンドがそれを圧迫し、顔全体 を脈動させるかのようだった。 「足、…開いてみせて」 とまりは、男の言葉に小さくふるふると首をふる。シャッター音が聞こえた。 「…開くんだよね?」 イヤイヤをするように、うつむいて拒むとまりに男は、無理矢理は嫌だよね?と続ける。 分かっていた。無理矢理されたら、その後も最後まで無理矢理されてしまったら、その すべてはとまりにとって何の意味も無い事になる。 だから、自分の意志で足を、開くしかなかった。 薄い恥毛と、誰にも見せたことのない性器とを、自分から男に見てもらうのだ。 上半身をベッドに横たえたまま、強張った内腿を弛める。ベッド端から投げ出した膝を 解いた。つま先をカーペットに立てて、そして、ゆっくり足を開いていく。汗ばみつつあ る鼠蹊部が、空気に曝されたのが分かった。 「まだだ。もっと、一杯に開いて。……よく見えるようにね」 男に促がされるまま、今の体勢で可能な限りまで、とまりは膝を開いていった。もう、 女の秘めたる部分を、全てさらけ出している事だろう。男の好奇の視線が注がれているに 違いなかった。 シャッターの音が無慈悲に響き、とまりは耐え切れず、顔をそむけてシーツに埋めた。 膝の間に、男の顔が入ってきたのを感じる。その呼気が、内腿の皮膚に触れた。 「あ…、ぁぁ……」 慎ましやかに閉ざしている性器を、男がファインダー越しに見つめている。オートフォー カスの耳障りな音が繰り返され、幾度かのシャッターが切られていく。それを、とまりは 唇を噛んで耐えていた。 「…指を這わして、さすって」 股間の方から男の声がした。 ――え? 意味が分からず、とまりは反応できない。それを反抗と受け取ったのか、男は少し固く なった語調で続けた。 「自分の指でおまんこをさわって。…動かして」 「……え」 ――それって、自分でしろって事…なの? 経験が無い訳ではない。興味本位に試し、そして、想いに押し潰されそうになった夜に も何度か指を伸ばして得た、淡い快感。引き換えに味わった自己嫌悪。 ――今ここで…するの?本当にそう言ってるの? 「…何を、しろって…」 多分そうなのだと分かっていても、縋るように確認してしまう。 「君に、自分の指で、『おまんこ』をさすりなさいと言ってるんだ」 わざと卑語を強調し、繰り返す声には冷徹な響きがあった。男が生来持つ、嗜虐性に火 が灯りつつあったのだろうか。当たりが穏やかで優し気だったはずの男が、変わってしま っている。とまりを、その女の部分で服従させようとして、命じているようだった。 「は……、い」
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