全部覚えてる〜忘れたくないU〜(2)  

「ここに来るのも久しぶりだな」  僕は河原に来ていた。土手の斜面に三角座りをして川面を眺める。 「そっかー、やす菜ちゃん外国に行くんだー」  独り言。自分の気持ちを整理するように。 「フルート…やす菜ちゃんの夢だったもんね」  やす菜ちゃんは旅立って、僕はここに残される。 「僕がいない世界の方が、やす菜ちゃんは幸せになれるのかもしれない」  ぎゅっと自分の身体を抱き締める。 「その方が…やす菜ちゃんのため、なのかな」  このまま膝を抱えていればいいのかもしれない。少なくとも時は流れる。  忘れてしまえと強く願い続ければ、きっと二人の痛みは薄れてくれる。   川から吹く穏やかな風が僕の周囲を包み、僕の考えを後押ししてくれてるようにすら 感じてしまう。  僕はそのまま身体を小さく丸めるようにして俯く。  どれぐらい経っただろう。 「おい、はずむ」  頭上から聞き慣れた声。何を言われるかなんてわかりきってる。  それでも俯いたままでいられるわけも無いから。僕はゆっくり顔を上げ、わざと間抜 けな事を言う。 「あれ?とまりちゃんも河原に用事?」  腰に手を当てたままで僕の事を上から覗き込むようにしてとまりちゃんが言う。  「そんな訳無いだろ!お前を探してたに決まってるだろ!」  久しぶりに見たとまりちゃんの怒った顔。不謹慎なことだけど、少し嬉しい。 「よくここだって、わかったね」 「明日太が、お前が制服姿で学校とは逆の方に走ってった、って言うからさ」  とまりちゃんがさっきの僕のように川面を見つめながら、呟くように言う。 「山とも違う方角だし……昔はよく悲しい事があるとここに来てただろ」  僕は少し笑みながら言う。 「そう言えばそうだったね…明日太、何か言ってた?」  とまりちゃんは腕を組んで首を傾げ、思い出すように言う。 「えっと『俺も追いかけたいけど、はずむにクリティカルヒットを喰らったから動けな い』ってさ。何をしたんだ?」  答えられない僕を気にすることも無く、とまりちゃんが口の端をわずかに上げて言う。 「『見事にはずむを説得できたらバイキング奢ってやる』だってさ。まったく明日太は 何とかの一つ覚えというか」  僕はお尻についた草を払いながら立ち上がる。 「明日太はさ、僕のことが親友だからほっとけないんだって」 「へぇ……」 「とまりちゃん、男の時の僕の事、好きだったんだよね」  女の子になってから、僕は何となくその事に気付いた。皮肉な話だ。 「そう、だな」  とまりちゃんは僕に背を向けてぶっきらぼうに答える。 「どんな所が、好きだった?」  無神経な質問。そう気付いていながら僕は訊く。  後ろ向きのまま、とまりちゃんは考え考え僕に話す。 「んと。どんなってさ……一生懸命なとことか、他の男子と違って、あたしの事、男勝り とか言わなくて…いつも一緒で……優しくて、護ってやりたくて…」  ズキン。予想していた通りの胸の痛み。たまらない気持ちになって僕は言う。 「僕はさ、それでもやっぱり男だったんだよ……抱き締めたいと思ったり…もっと先の 事だって求めてしまうような……実際そうしたし…」 「……」  とまりちゃんは何も言わない。 「今の僕はもう、全部が女の子のくせに…女の子の筈なのに、ちっとも綺麗な気持ちにな れないんだ。どうしようもない思いが心の奥底で澱んでるんだ…それで…」 「綺麗な気持ちなんかじゃなくていい」  僕の方にとまりちゃんが向き直る。 「え……」   僕の戸惑いにも構わず、とまりちゃんが僕の胸に飛び込んでくる。 「それでも、その気持ちをやす菜に知られたくないって言うんなら――あたしの事を代わ りに抱いてくれてもいいんだ」 「とまりちゃん、僕は…」 「浮気でもいいよ、やす菜には言わない」  僕の胸に顔をうずめたまま、僕の腰に両手を回し、ぎゅっと力をいれてくる。  苦しいぐらいに…でもとまりちゃんが抱き締めている腰よりも、直接触れられるはずの ない心のほうがもっと苦しい。 「…そんなの……とまりちゃんらしくない…よ」  やっと出せた喉の奥から搾り出すような、かすれた声。自分の声とも思えない。  僕がとまりちゃんの肩に手を置いて距離を置こうとするのを、とまりちゃんは全身で振 り払い、そのまま胸元にすがりつき、僕の制服をぐっと掴む。 「『らしさ』なんかどうでもよくなるぐらい、今のはずむが心配なんだ」  ぽすん。僕の胸に自分の頭を押し付ける。   「はずむ、もう俯かないでよ。前を見て……見てくれるのはあたしじゃなくたっていいから」  必死に訴えかけてくる。とまりちゃんの肩はとても小さくて、反射的に抱き締めてしまいた くなるのを僕はどうにか抑える。 「やっぱり駄目だよ。僕の勝手な気持ちをとまりちゃんにぶつけることは…もう出来ない」  僕の言葉に肩をぴくりと動かし、とまりちゃんが顔を上げる、穏やかな笑顔で。 「ほら、答えは出てる」 「?」 「誰にならいい?誰にだったら……自分の気持ちをぶつけられる?」 「あ……」  トン。僕の胸をとまりちゃんが右手で軽く押す。そして僕に向かって言った。 「走れ、はずむ!」 「うんっ!」 「へへっバイキングいただきぃ」  とまりちゃんの目尻に涙を浮かべた笑顔でブイサインをしてみせる。僕はもう一度頷き、 そして走り出す。

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