君のためにできること(3) 

 鹿縞山の指定された場所に二人はいた。  素直に夕焼けを名乗らせるには分厚く黒い雲が邪魔だった。    「段々秋の空になっていくな」 「そう、なんでしょうね」  とまりの言葉に何も見ていない目でやす菜は答える。   彼女の閉ざしていこうとする心が風景さえも狭めているのだろうか。  何か話し掛けなければ。急かされる思いでとまりは再び口を開く。 「あのさ、やす菜……」  言いかけた瞬間。頭上から閃光が二人に刺さる。 「きゃっ!」 「うあっ。な、何だ!」  とまりが右手で光を遮るようにしながら天を仰ぐ。それはいつか見た。 「宇宙船?」  光の塊は光度を徐々に弱め、やがてその姿を明らかにする。  それはとまりの言ったとおり、宇宙仁が乗って地球にやってきた宇宙船だった。  そこから一条の光が伸び、とまりとやす菜の前に届く。  光に包まれて人影がゆっくりと降りてくる。  とまりが息を呑む。  あれは幼い頃から自分の慣れ親しんできた……。 「はずむ、お前はずむだよな」  少しはにかんだような笑顔。  とまりにとってとても懐かしい笑顔。 「久々に着たよ、この制服。おかしい所とかないよね」  自分の身なりを確認するようにしてはずむが言う。  そうして正面に向き直る。 「よかった。また二人に会えた」  はずむが二人の方に歩いていこうと一歩踏み出した瞬間。  怒ったような声色でとまりが言う。 「男に戻るのなんて簡単に出来たわけじゃないんだろ」 「え……そんな事、な……」  とまりは下を向いているからはずむからは表情が見えない。  困ったようにはずむも視線を落す。  とまりの両手の拳は固く握られている。  本気の証拠だ。  案の定うやむやとしたはずむの物言いでは通用しない。 「嘘はつくなよな。今、会えてよかったって言っただろ」  まいったな、そんな様子で頭を掻きながら答える。 「……うん、本当は『再生できない場合も十分考えられる』って。何度か宇宙人 さんに『私は推奨できない』って言われた」  俯いたまま呟く。 「お前は小さい頃からそうだ。いつも無茶ばかりして」  否定するように胸元で両手を小さく振りながらはずむが言う。 「いつもなんて。そんな事無いよ、僕はとまりちゃんの影に隠れてばっかりで」  とまりは怒り顔ではずむを見て言う。 「そんな事無くない!」  握り拳のまま、ぎゅっと手首を外に返し、はずむに向かって続ける。   「自分の事をからかわれた時はすぐに泣くくせに、あたしとか大事な人の事になる と平気で自分のことを考えなくなるんだ」 「………ごめんね」 「いちいち謝るな!」  小さく首を横に振る。 「その事だけで謝ってるんじゃないんだ」  はずむはゆっくりと歩き出す。 「だって。僕がこの姿に戻ったのは二人のためだけじゃないから」  とまりとやす菜の方に向かって。  「いつだってさ、二人を困らせてるくせに、悩ませてるくせに、それでも僕は――」  はずむは自ら歩を進める。地面を踏み締めるように。とまりとやす菜は暗示でも 掛けられているかのように動けないでいた。そして。 「――二人を抱き締めたかったから」  はずむはついに二人の前につく。 「……おんなじ強さで」  そう言って、自分の右手でとまりを、左手でやす菜を掻き抱いた。  今、3人は互いの息遣いすら感じる距離にいた。 「やめろ。はずむ」  苛立ちを押さえ込むような低い声でとまりが言う。 「とまりちゃん? まだ怒ってる?」  はずむが不思議そうに言う。 「……はずむ、駄目だ……あたしはここにいる資格なんかない」  とまりは力強いはずむの抱擁から逃れようと身を捩らせる。  はずむはそれを押さえ込む。男の持ちうる力で。 「離せよ、あたしみたいなバカ放っておけよ」 「駄目だよ」  はずむにしては珍しい強い口調。  「とまりちゃんはいつだって皆を動かしてくれるんだ、今だってやす菜ちゃんをここ に連れてきてくれた」  そんな言葉を聞きながらも、とまりは自分を抱くはずむの右手を必死ではがそうと はずむの腕を掴む。 「だって、あたしが勝手な思い込みをしてなきゃ、やす菜がこんな事にならなかった んだし……」 「違うよ」  はずむの躊躇いの無い断定にとまりは動きを止める。はずむはとまりの背中に回し た手でそのまま彼女の頭を撫ぜる。 「違うんだ。とまりちゃんがあのまま動かなかったら、自分を押さえ込んでいたら、 きっと僕もやす菜ちゃんもあのまま時間を動かせなかった」 「はずむ」 「とまりちゃん、ここにいてほしい、僕を許してくれるのなら」 「許すも許さないもあるか……バカ」 「ありがとう」 「バカって言われて御礼なんか言うなよ………」  やす菜は二人のやり取りを目を固く閉じたまま聞いていた。  正確に言えば、光の中に淡いはずむの輪郭を認めたときから、その瞳を閉ざしていた。  これ以上自分の記憶の中からはずむが抜け落ちていくのが怖くて。   ひたすら春が来るのを願い、雪の中長い眠りにつくリスのように、ただ身動き一つせ ずにじっとしていた。   そんなやす菜にもはずむは話し掛ける。 「やす菜ちゃん。僕を見て」  目を閉じたまま、小さく首を横に振る。 「はずむ君、私、あなたの事が見えないのよ、目を開けたって意味が無い」 「僕が見えたって見えなくたって、変わらないよ。僕はここにいる。それはわかるでしょ」 「そうね」  それでも。 「僕の言葉だって届いてるでしょ」  ええ、心の深いところまで。 「だから目を開けていいんだ。やす菜ちゃんを包んでる世界はきっと優しいから」  やす菜は思う。  優しいのはあなたの言葉だ。  きっと現実の世界はもっと残酷で。それでも。  それでも、せめて今あなたがここにいてくれるなら、受け止めよう、あるがままを。  怯えながらもゆっくりと目を開ける。  彼女の眼前にはまだ緑の葉を濃く残す木々。そして。 「うそ――」 「え? やす菜ちゃん?」  傍らには愛しい人。  あの時と同じ、共に屋上で時を過ごしていた、はずむ君。 「なんであなたが見えるの? 誰も見えなかったはずなのに……男の人は絶対に見えない はずだったのに……」  夢……? そんなはずはない。  私の夢の中はいつもセピアがかっていてこんなに鮮明な事はなかった。  何より感じられる……暖かさ。他人の体温。 「嘘……世界が広がっていくの」  自分と一緒に抱き締められているとまりの嬉しさのあまりに、今にも泣き出してしまい そうな顔も、今ははっきりと見えた。 「また会えたんだ三人で」  とまりがそう言ってやす菜に向かって笑いかける。  その拍子にとまりの目に限界まで溜まっていた涙が目尻を伝い溢れ出した。

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