そんなドタバタしたやりとりが続いた十数分後。
 三人は通の部屋で、テーブルを囲んで座っていた。
「……あのなぁ。勉強を見て欲しいのは沙絢だろ?なんで僕の部屋でする必要があるんだ?」
「えー?だってお兄ちゃんも成績よくないじゃん?百合ちゃんに勉強見てもらえば、きっとよくなるよ」
「お前の成績がよくないからって、四阿さんを巻き込むことはないだろ!?ごめんね四阿さん。せっかくの休日なのに、妹が無理なお願いしちゃって」
「い、いいえ。私は別に構いませんが……」
 百合はもじもじした様子で、通を見る。
「それじゃあ、始めましょうか!」
 そんな百合の様子を見てニヤリと笑った沙絢は、おもむろにノートを広げた。
「それじゃあ百合ちゃん、早速数学教えて。ここの問題なんだけど……」
「あ、はい。これはですね。この公式を当てはめて……」
「うんうん」
 百合は沙絢に勉強を教え始める。
 通は二人のほほえましい光景にホッと胸をなで下ろすと、自らも参考書とノートを開いた。
 しばらくの間、百合の声と、ノートに書き込むシャープペンの音が響き渡る。
 程なくして、部屋のドアがコンコンとノックされた。
「はーい。どうぞー」
 沙絢が待ってましたとばかりに顔を上げて返事をする。
 返事を待ってから、部屋のドアがガチャリと音を立てて開いた。
 そして、ドアの向こうから、お茶菓子とジュースをのせたお盆を持った、少しカールのかかった長い黒髪の女性が現れた。
「あらあら。すみませんね。うちの息子のために勉強見ていただいているなんて」
 その女性はニコニコしながら百合に話しかける。
「紹介します。うちの母です」
 沙絢が百合にそう告げた。
「はは、初めまして!」
 百合は立ち上がって、深々と頭を下げる。
「と、通君のクラスメイトの、四阿百合と申します」
「初めまして。通と沙絢の母です」
 母親も軽くお辞儀をする。
「百合ちゃんはお兄ちゃんと付き合ってるんだよ」
 そこへ沙絢がとんでもないことを口走った。
「え、ええええっ!?」
 百合は驚きの声を上げながら、沙絢を見た。
 沙絢はニコニコしながら百合を見ている。
「ちちち、違うよ母さん!僕と四阿さんは、ただの友達で!」
 ワンテンポ遅れて、通は立ち上がって必死に弁解する。
(ただの友達……)
 その言葉に、百合は少し悲しみを覚える。
「あらあら。それじゃあ邪魔しちゃ悪いから、ごゆっくり」
 母親はにこやかな表情でお盆を机の上に置くと、そそくさと部屋から出て行き、ドアを閉めた。
 百合と通は座り、沙絢を見る。
 三人の間に、しばし沈黙が流れる。
「沙絢、どういうつもりだよ?」
 最初に口を開いたのは、通であった。
「お前、いきなり四阿さんを呼んだり、母さんにあんなこと言ったり。理由によっちゃ、僕だって怒るぞ?」
「うーん……」
 しかし沙絢は人差し指を口元に当てると、宙を見つめた。
「聞いてるのか沙絢?どうして四阿さんを困らせるんだって聞いてるんだ」
「そう、それ」
 沙絢はすかさず通を指さす。
「お兄ちゃん、百合ちゃんとは友達なんだよね?」
「あ、ああ」
「親友、なんだよね?」
「えっ?」
 一瞬通は言葉に詰まる。そして横目で百合をちらりと見やって
「ああ」
 と答えた。
(親友じゃないの……?)
 そのわずかな迷いの態度に、百合は不安を募らせる。
 しかし、次の沙絢の言葉を聞いて、そんな不安は吹き飛んだ。
「じゃあどうして、名前で呼ばないの?」
「えっ!?」
「えっ!?」
 百合と通は同時に声を上げる。
「私と百合ちゃんは『百合ちゃん』『沙絢ちゃん』って呼び合ってるのに、どうしてお兄ちゃんは『四阿さん』なの?百合ちゃんだってお兄ちゃんのこと『通君』って呼んでるのに。ひょっとしてお兄ちゃんは百合ちゃんのこと、親友だって思ってないの?」
「そ、そんなことないぞ!僕は四阿さんのこと友達だって……」
「じゃあどうして名前で呼ばないの?」
「うっ……」
「ねぇ?どうして?」
「そ、それは……」
 通は言葉に詰まる。
 そして瞳を輝かせながらじっと見つめる沙絢に、観念したように言葉を発した。
「……わかったよ。名前で呼べばいいんだろ?」
「そうそう。早く呼んでよ」
 通は百合を見る。
「そ、その……百合、さん……」
「は、はい」
 百合はドキンと心臓を高鳴らせて、返事をする。
「駄目だよお兄ちゃん。男なんだから、呼び捨てにしないと」
 しかし沙絢からすかさずだめ出しが入った。
「わ、わかったよ。そ、その……ごめんね、百合。妹がいろいろと迷惑かけちゃって」
「い、いいえ。私、迷惑だなんて思ってませんから……」
 百合は顔を赤らめて、通から視線を外す。
「それじゃあ、勉強の続きをしましょうか!」
 沙絢は満足そうに頷くと、再びペンを手にとって参考書をさした。
「百合ちゃん、ここの問題なんだけど」
「は、はい。ここの問題はですね……」
 百合は沙絢にわかりやすく解説を行う。しかし心は別世界へと飛んでいた。


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