ガラガラガラ
誰もいない街中を、冷たいアスファルトの上を通る台車が、騒がしい音を立てて夜の寒空に響き渡る。
「何事だ!?」
その様子を不審に思った警察官が一人、それを押す人物の元に駆け寄ってきた。
「あ、これはどうも。深夜の警備、ご苦労様です」
その人物は深々とお辞儀をすると、ニコッと笑った。
「なんだお前は?」
警官は不審そうにその人物をジロジロと眺めた。
どこかの清掃員だろうか?小汚い服を着て帽子を深々とかぶっている。声の質から若い女性だということが感じられた。
「私、このビルを掃除しにやってきた清掃員です」
「そんな話聞いてないぞ?」
「あれ?おっかしいなぁ……私、ここに来るように連絡を受けたんですが」
「本当か?」
「本当です」
頷く不審者に、警官は疑念を抱く。
「怪しい奴だな……ちょっと来てもらおうか」
「そ、そんな。本当に怪しい人間じゃないですってば」
警官の言葉に、不審者は嫌がるそぶりを見せる。
警官は、ますます強い疑念を抱いた。
「黙れ!いいからこい!!」
「わかりました……あの、お巡りさん」
不審者の口元が、わずかに緩む。
「なんだ?」
「何故、予告状が届いたんですか?」
「そんなのこっちが聞きたいくらいだ」
「本当に、怪盗はやってくると思いますか?」
「さあな。しかし予告状出したところみると、くるんじゃないか?」
「今までの手口と、違うと思いませんか?」
「確かにそうだが、裏をかいてくると言うことも考えられる」
「そうですか……それじゃあ、おやすみなさい」
「えっ?」
警官に対し、その不審者はスプレーでプシューっと霧状の液体を拭きかける。
「うっ!」
警官は目をとろんとさせ、全身の力が抜けているような姿勢をとった。
「では、その物が保管されている場所まで案内してもらえますね?」
「……はい」
警官は頷く。もはや、操り人形と化していた。
「それじゃあお願いしますね」
その人物、百合はクスッと笑うと警官に指示を出した。
「……はい……」
警官は向きを返ると、百合を先導するかのように歩き始めた。
(私を捕まえることなんて、できっこないのに……)
百合もその後を台車を押しながらついて行く。
「ん?なんだそいつは?」
入口にはいるところで、見張りの警官が声をかけてきた。
「ああ。掃除業者だそうだ」
「掃除業者?こんな時に、か?」
「ああ。確認はちゃんととった」
「ふーん。そうなのか。なら大丈夫だな」
「念のため俺も立ち会うから、ここの見張りは頼む」
「ああ、わかったよ」
警官は建物の中へと入っていった。百合も一礼すると中へと入って行く。
ビルの中はとても驚くほどキレイに掃除されており、清潔感が漂っていた。
(ここが日本料理界のドンが住んでる場所……流石ね……)
入口をはいって正面を進むとエレベーターがある。この一番奥のエレベーターが目当ての品物が保管されている部屋がある階、つまり最上階に直通するエレベーターだ。
(ニーナさんの調べたとおりね……)
警備の人数は思ったよりも少なく、明らかに罠をはっていると言うのが見え見えであった。
(それじゃあ、そろそろ始めよっかな……)
このビルは地上50階、地下10階の構成となっている。おそらく警備の人達の大半はその50階にいるであろうと、百合は考えた。
「それじゃあ、早速お願いします」
「はい……」
百合に命令されるまま、警官はトランシーバーを手に取ると最上階にいる警備の責任者に連絡をとった。
「あっ、警部殿ですか?」
「どうした?」
「実は、怪盗黒薔薇を地下10階の機械室に追い詰めたのでありますが、ヤツは制御室の扉を閉めて篭城してしまいました!応援をお願いします!」
「な、なにぃ!?でかした!!今すぐそっちに行くから、そこを離れるんじゃないぞ!!」
「はっ!!」
プチっと応答が途切れる。
「ご苦労様。それじゃああなたは先に地下に行ってください」
「はい……」
トロンとした目つきの警官が、百合に命令されるまま隣のエレベーターで地下へと降りて行く。
間もなくすると、エレベーターがせわしなく動き始めた。この直通エレベーターは1階止まりで、地下にいくためには隣のエレベーターに乗り換えなければならない。しかも、地下に行くエレベーターはこれ1基だけだ。
「作戦通りね」
百合はエレベーターから死角になるところに身を隠すと、その様子を窺った。
エレベーターが到着すると沢山の警官が降りてきて、乗り換えて地下へと降りて行く。その中に先ほど警官が連絡をとった警部と呼ばれたらしき人物も混じっていた。
(これからは時間との勝負ね……)
百合は人が居なくなったのを見計らって、地下に行ったエレベーターを呼び寄せると、持ってきた台車をドアが閉じないように挟みこんだ。
「とりあえずはコレでよし、っと」
エレベーターはドアが閉じなければ動かない。もし陽動が見破られてもこれでかなりの時間を稼ぐことができることになる。
百合はパンパンと手を叩き、エレベーターに乗りこんだ。
目指すは最上階。先ほどの陽動で警備が手薄になったことを見越しての行動だ。
最上階につくと、やはり百合の作戦が功を総したのか、警備の警官の姿はなかった。
「ここまでは予定通りね……」
気配を殺しながら、絨毯の上を一歩一歩慎重に歩を進める。
やがて警護と思われる警官が二人、行く手を阻むかのように立っている部屋を発見した。
(あの部屋が例の物がある場所ね……)
百合はポケットから一輪の黒薔薇をとりだすと、警官目掛けてそれを投げた。
風を切り裂く音を立てながら、黒薔薇は警官の足元に鋭く突き刺さる。
「なっ!?黒薔薇!?」
警官は驚きの声をあげたが、同時にその薔薇が爆発すると、たちまちのうちに二人の警官は夢の世界へと落ちて行ってしまった。
「美しい花には棘があるんですよ……そう、この黒い薔薇が危険な薫りを発するようにね……」
百合は小悪魔のような微笑を浮かべると、ためらうことなくそのドアを開いた。
中は絢爛豪華な装飾が施されており、中央の大きな椅子に青年が鎮座している。
「だ、誰だお前は!?」
「初めまして、龍ケ崎虎瀬さん。私は……」
百合はクスッと笑うと、着ていた作業着をバァッと脱ぎ去った。
「怪盗黒薔薇よ」
そこには黒を基調とした怪盗コスチュームに身を包んだ百合の姿があった。
「お、お前があの噂の!!」
虎瀬は絶句する。
予告状は誰かの悪戯で、まさか本当に怪盗が現れるとは思っていなかったのだ。
「そう。予告通り戴きに来ました」
「ふん!まさか女だったとはな……自ら正体をあらわすとは、バカな奴め!!」
「はたして、そうでしょうか?」
「バカ以外になんと言うんだ!?私はお前の正体を知った!もう、どこにも逃げられないぞ!!」
「クスッ」
百合の微笑みに、虎瀬は狼狽する。
「な、なにがおかしい!?それに、この特殊金庫は、お前では絶対に開けられん!!」
「その心配には及びません。何故なら、その中に入ってるものは、あなたが私に手渡してくれるのですから」
「なんだと!?」
百合の表情が変わった。冷たく、人を射るような視線で虎瀬を見る。その独特の迫力に、虎瀬は一瞬ひるんだ。百合はその隙を見逃さなかった。
「はぁっ!」
黒い薔薇を、虎瀬に向かって投てきする。
すると黒薔薇はダーツに変わり、茎が変化した針の部分が、虎瀬に腕に刺さった。
「くっ!!」
虎瀬は苦痛に表情をゆがめ、腕に刺さったダーツを抜き取る。
「貴様!!」
「そんなにいきり立たないでくださいよ。もうすぐ、その痛みが快感に変わりますから」
「なにぃっ!?……うっ……!?」
虎瀬は持っていたダーツを床に落とす。
彼はこの時になって初めて気がついた。
自分の手足が思うように動かなくなっていることに。
自分の身体の自由が奪われてしまったことに。
「こ、これは……」
「どうです?操り人形になった気分は」
百合は楽しそうに小悪魔のような笑みを浮かべている。
「ま、まさか……お前が今まで正体が謎に包まれていたというのは……」
「ご察しのとおりです。私の黒薔薇は、攻撃した相手の記憶を消す効果があるんですよ。便利でしょ?」
百合は冷たい視線で相手を見た。
「それでは目的の物、いただけますか?」
「く、くそっ!!」
虎瀬の意思と反して、手が勝手に金庫の番号をあわせ始めた。助けを呼びたくとも、うめき声程度しかだすことができない。
やがて金庫のロックが解除され、扉が開いた。
虎瀬はその中に大切に保管されていた一冊の本を取り出すと、恨めしそうに百合に手渡す。
「ありがとうございます。これは私からのささやかなプレゼントです」
百合はそう言うと、いつものように盗んだことを証明するカードと黒薔薇を一輪、デスクの上に置いた。
「もうすぐあなたは深い眠りに落ちます。次にお目覚めになった時は、私のことは忘れているので安心してください」
「くっ!!くそっ!!何故それを盗む!?」
「それは聞かないほうが懸命ですよ。それじゃ、おやすみなさい」
百合はフッと笑うと、その場を後にしようとした。
しかし、その時であった。
バン!!と勢いよく扉が開け放たれた。
「!!」
百合は瞬時に反応して咄嗟にデスクの下に身を隠す。
「そこまでよ!!」
続いて威勢がいい元気な声が部屋中に大きく響き渡る。
その声には百合には聞き覚えがあった。
「怪盗黒薔薇……うまいこと考えたようだけど、詰めが甘かったようね。今日こそ観念してもらうわよ!!」
(み、三森ちゃん!?)
それは百合の大親友、赤羽三森のものであった。
(ど、どうしてここまで……はっ!?ひょっとして……)
「さ、逃げ場はないわよ。おとなしく正体を暴かせてもらおうかしら。三笠君、カメラの準備オッケー?」
「う、うん」
その後方では三笠通の声も聞える。
(ど、どうしよう……あの二人に攻撃するわけにはいかないし、だからって正体がばれるわけにもいかないし……)
いつもであれば御得意の黒薔薇を使った攻撃で記憶を消去することができる。が、その対象が親友となると話は別で、百合にとてもそんな真似はできなかった。
百合がそう考えてる間にもジリジリ、と近寄ってくる気配が感じられる。
最早絶体絶命の大ピンチだ。
(こうなったら……)
百合はあらかじめ用意しておいた遠隔操作できるスイッチのボタンに手をかけた。
「さ、ブラックローズ……観念なさい!!」
(三森ちゃん、通君、ごめん!!)
百合はスイッチをおした。途端にビル内の電気が一斉にダウンする。
辺りは一気に暗闇に包まれた。
「ちょ、ちょっとなにこれ!?」
突然の出来事に、三森は戸惑いの声をあげた。
百合は脱兎の如く出口に向かう。
「あっ!!三笠君、そっちにいったわよ!!」
「えっ!?な、何も見えないよ!!」
二人ともすっかり冷静さを失っていた。
慌てふためく通の横を百合は過ぎていく。
停電状態にあるため、エレベーターはつかえない。
百合は屋上に向かった。
「ま、待て!!」
その後を必死で三森と通が追いかけてくる。
(なんとか、なんとか逃げなくちゃ!!)
百合は屋上への階段を駆け上がり、扉を開いた。
すさまじい強風が轟音を立てながら百合に襲いかかる。
「神様、ありがとう!」
百合は隠しておいたパラグライダーを装着すると、厚い雲が覆う夜空へと飛び立った。
一気に風にのり、グングンと加速して行く。
「もうちょっとだったのにぃ!!ブラックローズ、覚えてらっしゃい!!この次は必ず正体暴いてやるんだからー!!」
遥か後方で三森の悔しがる遠吠えが聞えた。
「ゴメンね三森ちゃん。私、捕まるわけにはいかないの」
百合は後ろ髪ひかれる思いで、そのまま家へと戻っていった。