「少しは落ち着いた?」
「うん……ごめんね。みっともないところ見せちゃって」
 沙絢は百合に借りたハンカチで涙をぬぐうと、静かにブランコに腰掛けた。百合も隣のブランコに腰掛ける。
「何かあったの?私でよければ相談に乗りますけど……」
「うん……」
 そう頷いたものの、沙絢の表情には明らかに迷いの色が浮かんでいる。話すか話すまいか悩んでいるようだ。
「そうだ、これ食べますか?」
 百合は持っていた紙袋の中からタイヤキを取り出した。
「少し冷めちゃってますけど、おいしいですよ」
「……ありがと……」
 沙絢はそれを受け取るとしばらく虚ろな表情で黙って眺めていたが、やがて少しずつ食べ始めた。それにあわせて百合もタイヤキを食べ始める。
「おいしい。流石評判のお店のことだけはありますね」
「そうだね……」
「知ってます?このお店って国内産の小豆(あずき)を使ってるんですよ」
「そうなんだ……」
「………………」
「………………」
 会話が続かない。元々百合は饒舌(じょうぜつ)ではないだけにこのような場所で会話を振ることを苦手としていた。
 しばらく沈黙の時が流れる。
 どこからともなくピアノの演奏が聞えてきた。近所の家で子供が演奏しているのだろう。その音程はどことなくはずれており、必死に練習中といった感じだ。
「……練習って大切だよね……」
 沙絢が消え入りそうな声ではあったが、ポツリ、ポツリと口を開き始めた。
「最初はみんな誰でも上手に弾けるもんじゃない。先生に怒られながら何度も何度も練習してどんどん上手になっていって、最初の頃は『絶対無理だよ』と思っていた曲でも簡単に弾けるようになる……」
「そうですよね。『私でも頑張ればできる』っていうあの達成感は何度味わってもいいものです。そう言えば沙絢ちゃんは吹奏楽部に所属しているんですよね」
「沙絢……バイオリン弾くのがとっても好きだったんだ。知ってる?バイオリンってとっても簡単そうなんだけど、すっごく難しいんだよ……」
「そうなんですか?あ、でも、確かに慣れない人が弾くと、変な音出ちゃいますよね」
「でも、もうダメ……沙絢もう弾けない……」
「え?」
「バイオリン……なくしちゃった……から……」
 最後の方は低い嗚咽が混じってよく聞き取れなくなっていた。
「沙絢ちゃん……」
 百合は心配そうに沙絢を見る。
 沙絢の持っているバイオリンは百合もよく知っていた。
 それは昨年の夏休み、吹奏楽部に入部した沙絢のために通がファーストフード店でアルバイトをして、そのバイト代で沙絢にプレゼントしたものであった。沙絢はとても喜んで、肩身離さずいつも持ち歩くほどその楽器を大切にしていた。
 沙絢の弾くバイオリンは上手とはいえなかったが、とても暖かみのある音で百合はとても好きだった。
 そんな大切な楽器をなくしてしまったとあれば、兄に相談することも出来ず、ただ一人で悩むのも無理はない。
「沙絢ちゃん、私も探しますから。きっと見つかりますよ」
「無理だよ……沙絢、一生懸命探したのに見つからなかったもん……」
「希望を捨てては駄目ですよ。まだ探してないところとかもあるはずです。一体どこでなくしたんですか?」
「学校の校舎裏……お昼休みに練習してたんだけど、ちょっと目を離したらその間に……」
「そうですか……今日はもう遅いですから、明日探しましょう。ね?あまり遅くなると通君も心配しますし」
「うん……そうだね。ありがとう百合ちゃん……」
 沙絢は力なく頷くと、そのままとぼとぼと歩き出した。
「沙絢ちゃん……」
 百合はそんな沙絢の背中を見守るしかなかった。
 


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