<5-4>
藤井の言葉通り、俺の鞄を持ってきてくれた本多は俺達の様子など気にする風でもなく部屋に入ってきた。ベッドを背にひとかたまりになってしまっている俺たちをちらりと横目で見ただけで何も気にせず、藤井の机の上に俺の鞄を乗せる。
「とりあえず話は終わったんだな?」
そのままぎしりと音を立てて、机に付属している椅子に座り込んでしまう。俺はひっついたままの男から離れようともぞもぞと動いてみたけど、それも無駄に終わった。諦めてその、胸にもたれると、随分と気持ちよくて落ち着いた。
「用がすんだなら帰れよ」
俺を抱き寄せたまま、藤井が明らかに不機嫌そうに言う。だけど彼が言った言葉のせでここに本多がいるのだから、余り強くもでれないらしい。
「はいはい。ウマに蹴られたくないから、すぐ帰るけどね。お前ちゃんと同意を得てからにしろよ?」
「もうもらったよ」
何の? と思ったのは俺だけだったらしい。藤井はちゃんと返事を返していた。だけど、それを聞いても俺にはやはり何のことを言っているのか分からない。
「ん。後で説明する」
藤井の方を見て説明を促すと、彼は随分と嬉しそうにそれだけ言って顔を近づけてきた。……っ、ちょっとまて。今はまだ本多がそこにっ……!
あわてて抗議の声を上げる前に唇をふさがれていた。そうなるともう抗うことも出来ず、ただされるままになってしまう。年上の威厳なんてあったものじゃない。年齢なんて関係なく、俺は子供扱いされているのかも知れない。
「おあついことで。邪魔みたいだから、俺は帰るよ」
本多のあきれた声に続いて、椅子のきしむ音、ドアの閉まる音が聞こえる。
「幸司。無体なことされそうになったら、ちゃんと逃げろよ」
藤井が俺に無体な事なんてするわけないじゃないか。
言いたかった言葉は藤井の唇に飲み込まれていった。
結局、俺はその日家に帰らなかった。このごろ外泊が多いとは思うけど、家に帰ったって心配する人がいるわけでもない。それでも今日は一応家に電話してみた。誰もいなかったけど。それなら一人で家にいるよりも、いっそ藤井といられる方が良いと、彼の泊まっていけという言葉に素直に頷いた。
その時は、藤井がそんなことを考えているなんて思わなかったから。言われるままに食事をして、風呂に入って。貸してくれた寝間着に袖を通した。
そうして藤井の部屋に戻って、あれ、と思う。いつも出されている泊まり用の布団が、隅に固められたままだったのだ。今までだと俺が風呂を使わせてもらっている間に藤井が用意してくれていたのだけど、今日は時間がなかったのだろうか? ぼんやり部屋に座っていてもすることがないので、とりあえずその布団を述べて準備した。そうしてからその上に座り込む。しばらくすれば藤井も戻ってくるだろう。
それにしても。
こんな風になるなんて思っても見なかった。藤井が許してくれるなんて思わなかったし、俺が自分の気持ちを藤井に伝えられる事も予想外だった。藤井を信じようと思うことが出来るなんて、考えても見なかった。
『俺のこと、どう思ってる?』
そう聞いてきた藤井の声が蘇る。今思い起こしてみれば、あれは俺が聞いたのと同じ台詞だったんだ。言われてみて、初めて分かった。あんなに答えにくい物だとは思っても見なかったから。
『抱きたい、セックスしたいって思う』
俺が聞いたとき、藤井はそう答えた。それを思い出して顔に熱が上る。
放ったらかしにされていた布団。今日は泊まれとやけに熱心に勧めてくれた藤井。それはもしかすると、そう言うことだったんだろうか?
それは、あのときの俺はどうしても藤井が一時でも俺の物だという証が欲しかったから。だからしても良いなんて言ってしまったけど。それは、今だって別にどうしても嫌だって訳でもないんだけど。
「何赤い顔してんだよ、コウ」
急に藤井が部屋に戻ってきて、俺は文字通り飛び上がって驚いた。そんな俺を見て、微かに笑った藤井は、ベッドの横に述べられた布団を見て少し不満そうに唇をゆがめる。
「コウ、今日そっちで寝るつもりなのか?」
俺の横に座って肩に腕を回して抱き寄せながら、藤井は耳元でささやいた。さも心外だというように。
「……だって……」
言い訳をしようとする唇が、急にふさがれる。言葉ごと飲み込まれてしまった。
「……ッ、ちょッ……、まっ、て」
何とか話そうとする口の中に舌が潜り込んで来て、今までよりも激しく絡め取られる。離れようともがいても腕を抱き込まれてあがくことも出来ない。そして何よりも、気もよかった。このままどうなってもいいやと思うくらいには。藤井が俺のことを思ってくれているのが分かるから、抵抗する力も次第と抜けていく。
俺の抵抗が弱まったのが分かったのか、藤井の手が寝間着のボタンを一つ二つとはずしていく。中途半端にはだけられたシャツの胸元から手が滑り込んできて、今まで何の意味もないと思っていた胸の飾りをゆっくりと優しくなで上げられる。それだけで体の芯からじわじわとしびれてきて、俺は身をこわばらせた。
「……んっ……やっ」
自分でも信じられないような声がのどからこぼれる。止めようと思っても、止めることも出来ない。藤井の手だけじゃなくて自分自身の声にまで煽られて、身体がどんどん熱くなっていく。
「……っや……だっ……」
藤井の手がどんどん下に降りてきている。そして俺はいつの間にかベッドに横たえられて、服を綺麗にはぎ取られていた。
「コウ……かわいい」
煽られて。痛いくらいに張りつめてしまった俺の物に手を伸ばしながら、藤井が耳元でささやく。
「やっ。……やだっ」
ほんの少し触られただけでそんなになっているのが恥ずかしくて、それでもあまりの快感に逃げることも出来なくて。両腕で何とか顔だけ隠していた俺は、ほんの少しだけ身をよじる。すると藤井は俺の手を取って自分の首に回した。そのまま指をやんわりと動かしながら、何度も何度も口づけてくれる。
「だめ……も、はなし、てっ」
信じられないくらい早く最後が来ている。何がどうなっているのか分からない。目の前が真っ赤になって、気づいたときにはぐったりと身体から力が抜けていて、藤井の手を汚していた。
「ね、コウ。気持ちよかった?」
荒い息をついていて、何がどうなっているか分からない間はまだよかった。だけど少し落ち着いて、恥ずかしくてどうしようもなくなっているときにそんなことを聞かれたから。どうしていいか分からなくて、ただ自分の顔を隠したいが為に藤井にしがみついた。
結局何も答えることが出来なかった俺を藤井は責めることなく、ただ落ち着くまで頭を撫でてくれた。そうして、本当にどうして良いか分からないくらい恥ずかしくてしょうがなくなっている俺に何度もキスをして宥めてから、身体を離して俺の下肢を拭いだす。
「いい。……そんなことしなくても」
恥ずかしくて。逃れようとしても身体が思うように動かない。
「コウ、動ける? もう一回風呂に行く?」
すべての作業を終えた藤井は俺の身体にタオルケットを掛けながらそう聞いてきた。一瞬、何を言われているのか分からなかった。もう一度風呂にはいるか? 今? だけど、どうして? だって、まだ終わっていないのに。
いくら俺だって藤井が何をしたのかくらいはわかる。何をしたいと思っているのかも。そしてそれはまだ終わっていない。多分入り口に足をかけた程度。
「な……んで? どうしてここで放り出すんだよ?」
気が付いたらそんなことを口走っていた。悔しい。涙が浮かぶ。どうして途中で止めるなんて言うんだろう?
いきなり泣き出した俺に驚いたのか、藤井はあわてて涙を拭ってくれる。泣くなと言いながら何度も頭を撫でて、それでもダメだと思うと慰めるようなキスを数えられないくらい顔中に降らせてくれる。だけど。
「……かえる」
「へ?」
居心地の良い腕を振り切って、俺は手早く服を着替え始めた。脱がされたままだ、着るだけで済む。そう思えばさっきのも無駄ではないなどと悔し紛れに考えてみる。
あんなことしておいて、その気にさせて。俺だけしっかりその気になっていれば、バカみたいじゃないか。
「ちょっと待てよ、コウ。なんで帰るなんて言い出すんだ?」
あるかなしかの荷物を鞄に詰め込み始めた俺を、藤井が後ろから抱きつくようにして止めてくる。最初俺が何をしようとしているか分からずに呆然としていたらしい藤井も、やっと俺が本気で帰ると言い出したことに気づいたようだ。
「……俺だけ……」
「コウだけ?」
逃れがたく居心地の良い腕の中で、俺は思わず呟いていた。
「俺だけその気になって、……その気にさせといて、放り出すから……。どうせその程度なんだろう? 遊びだったら、放っておいてくれよ」
こんな事を言うつもりじゃなかった。こんな情けないこと、言うつもりじゃなかったのに。だけど、止まらない。好きだなんて言っておいて、放り出す藤井が許せない。
「……コウ、自分で何言ってるか分かってる? それ、誘ってるのと同じだよ?」
「……そうだよっ!」
言われたことにカッと真っ赤になってしまったけど、それでも自覚があったから怒鳴りつけるように俺は肯定していた。
「自分から仕掛けておいて、逃げる気か? それともやっぱり男なんて冗談じゃない? 俺がこんなに女々しいとは思わなかったか? 何にしても安心してくれていいよ。帰る。もう二度と会わな……っ」
会わないと続くはずだった言葉は、藤井の唇に飲み込まれてしまった。そのまま押し倒されて組み敷かれ、むさぼるように口づけられる。
今更、どうしてこんな事をするのか分からなかった。分からないのに、喜んでしまっている自分が悔しい。こんな風に求められているのだと錯覚しそうになる。
「……人がせっかく、理性で押さえ込もうとしてたってのに。どうなっても知らないからな」
やっと息を継ぐことを許された俺の耳元で藤井がささやく。それだけで、腰に来るようなすごく甘い声。
「コウがまだその気じゃないみたいだからって、人が必死で我慢してたのに煽るんだから。もう止まらないから、覚悟しろよ」
ささやきと共に、優しい手が俺に触れてくる。そりゃ確かに、はじめはその気じゃなかったけど。最初に煽ってきたのは藤井の方なのに。そんな言われ方をするのは心外だったけど、することに異存がある訳じゃない。俺は小さく頷くと、自ら藤井の首に腕を回して唇をねだった。
「……だいすき」
近づいてくる顔にそっと囁くと、満面の笑みと優しい口づけが答えてくれた。
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