<5-1>
藤井の家から逃げ帰った俺は、急に外泊して、また急に帰ってきた息子に驚いている両親を無視して自分の部屋に駆け上がった。
そう、俺は結局逃げてきてしまった。
ちゃんと自分の口で言おうと思っていた事も、手紙に残しただけ。だけど、あれが事実の全て。きっと藤井は俺の事なんて忘れてしまうだろう。もし直接文句を言いたいと思えば、本多にでも聞く事だろうし。
「馬鹿みたいだ。うまくいく可能性なんて、まるでなかったのに」
唇に指を当てるだけで、俺は藤井の唇の感触を思い出す事が出来る。目を閉じていると、藤井の声を思い出せる。そのまま体を抱きしめれば、藤井の腕を思い出せる。
「俺は、馬鹿だ……」
軽蔑されると分かっていてあんな事をしたんだ。当然の結果が巡ってきただけではないか。
「本当、馬鹿だ……」
制服を脱ぎ捨てて、藤井のシャツにくるまれて。俺は柔らかな布団の中に逃げ込んだ。
「幸司。友達から電話よ」
家に帰り着いてから数時間眠っていたらしい俺を、母さんが起こしにきた。手には電話の子機を持っている。
「……だれ?」
聞きながらもなんとなく誰かは分かる気がした。わざわざ家にまで電話してくる相手など一人しかいない。それでも布団に潜り込んだまま、起き上がりもせずに俺は聞く。起きて顔を見せる事は出来ない。今は一目見て分かるくらいみっともなく泣き崩れた顔をしている。
「本多君」
用件は分かるような気がしたけど、無視したら押し掛けられそうな気もする。仕方なく俺は顔を隠したまま子機を受け取った。母さんはおかしいと思いはしたのだろうけど、子供のように布団に潜り込んだまま保留を解除する。
「もしもし、幸司か? お前、いったい何しでかしたんだ?」
もしもし、と声をだすと、本多はいきなりそう聞いてきた。
何って、と口ごもると、大きなため息が聞こえてくる。
「智にちゃんと言わなかったんだって? うちに電話がかかってきたぞ」
そうか。本多は俺が何をしたのか聞いたんだ。彼も俺の事を軽蔑したんだろうか?
「じゃぁ、何したかなんて聞いただろう? 俺の事、軽蔑する?」
軽蔑されるか、あきれられるか。本多は俺に本当の事を言うようにと促してくれていた。勧めてくれていた。俺は確かに本心を言ったけど、多分やり方が間違っていたのだと思う。あんな事をされれば誰だって驚くだろうし、馬鹿野郎と思う。本気を感じられはしないだろうし、放り出したくもなるだろう。
「聞いてないよ。俺が聞いたのは、お前がふざけ手紙だけ残して黙って帰ったって事だけ。まあ、あの焦り方じゃあ何かあったとは思うけど。自覚あるんだろう? 何やったよ?」
自覚は、ある。あれをそうとうまずい程度ですませていいのなら。
「……それで、なんて言ってきてる?」
こうなる事は予想できていた。本多と同じ学年だと手紙に残してきている。それ以前に、本多とつながりがあるような行動を取っていた。何か知りたければ彼に聞く事は予測できていた。きっと藤井は学校で名簿を調べるという方法はとらないだろう。
「住所と電話番号教えろって。一応知らないって言っておいたけど。終業式の日は覚悟しとけよ。あいつ校門の前で張り込み位しそうだったぞ」
「休もうかな……」
「幸司」
つい逃げの台詞を言うと、かなり強く叱られた。分かっている。逃げていても仕方がない。だけど、恐くて顔を合わせる事も出来ない。逃げ際に話しがあるような事を藤井は言っていたけど、文句を言われるのは分かっている。そんな事ははなから覚悟していたとは言え、やはり聞きたいものではない。
つい黙り込んでしまった俺に、本多はもう一度優しく何をしたんだと聞いてきた。顔を見るとさすがに言えそうにもないけど、電話でなら言えるだろうか。
「その。俺のこと、どう思っているのかを聞いて……」
抱きたいって言ってくれたから、いいって言った。ぼそぼそとそれだけ言うと、盛大なため息が聞こえてきた。そしてそのまま、しばらく沈黙が続く。
「……言えって言ったの、祐一だろう。黙るなよ」
布団の中で丸くなってもそもそと動いて。あまりにも息苦しくなってきて、俺はつい恨みがましく言った。そりゃあ、ため息ついていて黙りたくなる気持ちも分からないではないけど。
「幸司、智に好きだって言ったか?」
言ってない。そんなこと、言えるわけがない。そう答えると本多はもう一度ため息をついた。
「終業式の日、来なかったら迎えにいくからな」
「……行くよ」
俺にはそう答えるしか出来なかった。
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