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坂を昇りきると喫茶店。学校を出てからけっきょくなにもたべていない俺たちは、店の方で何か食べる事に決めていた。
目的地に近くなるにつれて、足が重くなる。逃げたいと思っている出来事はすぐ目の前まで迫ってきているし、隣に居る男は俺の敵前逃亡をきっと阻んでしまう。
店の前までやってきて、習慣のように藤井が居るかどうかを窓からのぞいて探している。この一か月ほどですっかり見なれてしまった姿がない事に今日の俺はほっとしていた。
「ランチと、……サンドイッチをお願いします。あと、ココアと」
本多が注文を取りにきたバイトの少女に、俺から答えを聞いて注文をしてくれる。おかげで俺は何も言わなくて済む。彼と一緒に居ると、いつもこうなった。妙に気楽だ。
本多のそばに居るのは、俺に取って随分と楽だった。藤井のそばに居るのとは別の意味で。藤井のそばに居ると、俺は甘える事が出来る自分に気付いた。本多のそばに居ると飾らずにられる。学校にいても、本多がそばに居るだけでなんだか周囲が違って見えて、呼吸が楽になる。
「コウ、来てくれたんだ」
語尾にハートマークが飛んでいそうな声がして、俺と本多はその声の方に振り返った。藤井が、笑いと困惑の表情を浮かべている。まだ制服を着たままで、少し息が上がっている。坂の途中から走ってきたらしい。
「何だ、幸司が見えたから、坂を駆け上がってきたのか?」
「そう」
何のてらいもなく、藤井は頷く。その素直さがみょうにくすぐったかった。心の底から信じたくなってしまう。だけど、恐くて……。
永遠なんてどこにもないのだから。それを俺は、見てしまったから。
「それ食べたら、上に行こう。ちょっとはゆっくり出来るんだろう?」
「できるできる。幸司は今日、泊まり」
え!? っと思ったのは多分俺だけじゃない。藤井もびっくりして本多を見ている。だけど俺はぎょっとしたからだけど、藤井は違うらしい。妙に嬉しそうに俺の隣に腰を下ろす。
「やった。もう聞いたからな」
遠慮会釈なく俺にすり寄りながら、サンドイッチをつまみ出す。、そういえば藤井も何か食べないと、腹が減っているんじゃないだろうか。
「無理だよ。着替えも何も持ってきてないし、家にも何も言ってきてない」
「借りりゃいいし、今から電話しろよ」
「そうそう。着替えも電話でも何でも貸すから」
こうなると既に何を言っても無駄だった。
俺の感情を散々に引っ掻き回すだけ引っ掻き回した本多は、食事を終えて藤井の部屋でお茶を飲んだ後、早々に引き上げてしまった。最もテストの結果がどうだとかいろいろと話しながらもお茶だったから、彼が引き上げたのは四時ぐらいだっただろうか。
部屋に二人残されてしまった俺と藤井は、特にする事もなくお互いバラバラに本を開いたりして時間を潰していた。退屈を紛らわすために藤井がかけた環境音楽が静かに流れる中、俺は妙に藤井を意識している。本の内容などほとんど頭に入ってこない。
本多が言うように、今日打ち明けてしまわなければ俺はきっと告白をずるずると先送りにしてしまう。そしてその結果、最悪とも言える形でばれる事になるのだろう。だから、彼の言う通りに今日きっちり打ち明けてしまった方がいいに決まっている。
それは分かっているけども。
抱きしめられ、好きだと言われてキスをされて。
ここ数日会わなくて今日久しぶりに顔を見た。いつの間にかそれ以上を期待している自分に気付いてしまった。彼に触れたい、触れられたいと思っている。自分から終わりを告げると決めたと言うのに、今さらのようにそんな事を考えている事が情けなかった。しかも本多によってもたらされたこの状況。
一晩、二人きりになってしまうのだ。
俺の気持ちを告げる事なく、彼に触れる事が出来るだろうか? 気付くとそんな事を真剣に考えていた。
好きだと言ってしまえば、ほんの一瞬でも両思い担ってしまう。それからすぐにふられる事に今の俺は耐えられそうにない。なら、そうなる事なく、今以上の思い出だけを手に入れる事が出来ないだろうか?
笑いが込み上げてくる。随分卑怯な事を考えているのが自分で分かった。だけど、考える事を止めるこもも出来ない。今まで特に欲しいと思ったものなんてない。優しい家族も、温かい家庭も、欲しいと思ってもあきらめる事が出来た。
だけど、藤井だけは。
彼だけはなぜか諦められない。欲しいと思う。真剣に。
……いっその事、真実を告げる前に最低最悪の卑怯者になってしまおうか?
結局その後俺達は適当な無駄話をして時間を潰し、夕食を食べた。
「コウ。聞かない約束だったけど、一回だけ聞かせて。フルネームと、電話番号」
「……ごめん。もうちょっと待って」
食事の最中に藤井が遠慮がちに聞いてきたけど、俺は結局それをはぐらかしてしまう。約束を破ったと攻める事は出来ただろうけど、結局俺は走破せずに待ってくれとだけ答えた。その答えに一応満足したのか藤井は笑ってくれたけど、俺は笑う事が出来ない。
だけど、待ってもらうのももう少し。明日の朝にはきっと言おうと思っている。
風呂を借りて着替えて、制服からゆったりとしたシャツとズボンに着替えるとなんだか高ぶっていた神経が少し落ち着いてきた。出してきてくれた布団を藤井のベッドのすぐそばに敷きながら、これからどうしようかと考える。
藤井が俺の事を、……抱きたいと思っているのは知っていた。多分、随分最初の頃からそう思っていたはずだ。そしてそれを特に意識する事こそなかったけど、嫌だと思っていなかったからこそ俺は抱きしめられてもキスをされても抵抗しなかった。それ以上の事を仕掛けられても、俺はきっと絶対に嫌じゃない。
藤井は今風呂を使っている。寝床の準備は出来た。せっかく落ち着いた気分がまた高ぶってくるのが分かる。
俺はそっと、震える手で電気を消してしまう。
馬鹿な事をしようとしているのは分かっていた。だけど、止められない。俺は藤井が欲しい。それが駄目だと分かっているから今以上の思い出が欲しい。
こんな事をして彼が何と言うか分からない。もしかすると、いや、もしかしなくても軽蔑されて終るだけかもしれない。だけど、止めない。止められない。どのみち明日の朝告白してしまえば嫌われる。それなら嫌われる理由を一つ増やしたところで、何が変わると言うのだろう?
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