<2-6>
やってきたコウは、最初から元気がなかった。
来週から試験が始まると言う今日、金曜日の夜十時。結局大きな鞄を抱えたコウは、遅れてごめんと一言言って俺の部屋に入ってきた。そのまま俺と祐一の言葉に適当に相づちを打ち、ただ一か所空いている俺のベッドに上がってたてた膝の間に参考書を載せている。こっちに来いと言う俺達の言葉を、邪魔しそうだしとやんわり笑って断ってくる。だけどその目は決して笑ってはいなかった。
「どうしたんだよ、いったい」
この二日ほど、コウに会う事が出来なくて悶々としていた俺を気にして、どうやってかコウを連れてきてくれたのは祐一だった。だからコウのこのうつ状態の理由を知っているのではないかと思ったのだが。
コウはもともと陽気なタイプではないけど、こんなに暗く沈み込むのも違う気がする。それには祐一も同意見だった。
「うーん。家族と外食で遅くなるって聞いてたけど……」
コウがベッドの上で丸くなっているのをいい事に、俺達は部屋の真ん中に広げた机の上でこそこそ話し合っていた。
もっとも、何も分からないからいくら話し合おうと思ってもどうにもならない。結局何があったのかともう一度思い悩むことしか出来なかった。
ただ、コウは一番最初に声をかけたあの雨の日と同じ泣きそうな顔をしている。だから今この状態の原因はきっとあの時と同じだと思う。思いはするが、それが何かはやはりまるで見当が付かない。
「俺、やっぱり帰る」
結局ごそごそと喋りながら、コウを気にしていてほとんど勉強には手付かずになっていた俺達にそう言って、コウはベッドから滑り降りた。持っていた参考書を鞄に直し、そのまま肩にかけて部屋を出ていこうとする。俺は慌ててその腕をつかんでいた。
「ばか、なんで……」
「二人とも、俺の事気にして勉強が手付かずになってる」
……はい。実際その通りなんだけどね。だからってコウが帰ったからってそれが改善されるわけでもないし。
「そうだな」
祐一っ! お前は何でそこで簡単に頷く!?
「ということで。今日はもうやめてとっとと風呂にでも入って寝ようぜ。まだ先は長いし」
なるほど、そうくるのか。こいつのこういうところにはいい加減なれたつもりだったけど、時々驚かされる。俺も驚いたけど、俺が腕の中に捕まえているコウはもっと驚いていた。
「ほら智。幸司を風呂に連れていけよ」
「分かってる。ほら、コウ。着替え以外こっちに貸せ」
「……でも」
「いいから」
無理矢理奪い取るように鞄を取って、俺はコウを風呂まで連れていく。何度か来ているのだ、場所を知らないと思っているわけじゃないけど、放っておくとなんだか逃げられそうな気がした。
コウは大人しく付いてきた。風呂場でバスタオルを渡してやると素直にそれを受け取り中に入っていこうとする。だが、それが思い直したように立ち止まって振り向いた。
「ごめん。……うっとおしいだろう?」
そう言ってきた表情はまるで怒られるのを恐れる子供のようだった。そのあまりに頼りな気な様子を見ているとたまらなくなってきて、思わず手をのばして抱き寄せる。コウは一瞬身を堅くしたけど、それでもすぐに力を抜いて俺にもたれかかってきた。その仕草が甘えられているようで嬉しい。
「相談したくなったら言えよ。解決できるかどうかは分からないけど、聞くくらいだったら出来るから」
何かに悩んでいるのは分かっているから。そう言ったらほんの少し困ったような顔をして、それでもコウは頷いた。
抱き寄せたままそっと髪をかきあげ、そのこめかみに小さなキスを落としてコウを風呂に送り出してから、俺は部屋に戻った。
「なぁ、コウは俺の事どう思っていると思う?」
「さあ、なぁ? 少なくとも嫌ってはいないだろう?」
確かに。コウは俺の事がすこしは好きなんだと思う。この頃は何も言わずに抱きしめても、キスをしてもほとんど怒らずに大人しくその身を任せてくれる。最初は許可制だったのが、いつの間にかそうなっていた。嫌な時はハッキリと言うコウだから、嫌いだったらそんな事はさせてくれないだろう。
だけど。それでも俺に気を許してくれているわけではないらしく、彼自身の事は何も教えてくれない。祐一は何かを知っているふうだけど、あいつも黙りを決め込んでしまっている。こうなると聞き出そうとしても、まず無理だった。
「何があったんだろうな?」
教科書を片付けながら、ぼんやりと祐一は呟いた。
何かがあったのは明白でも、俺達はそれを相談してもらえるほどの仲ではない。もちろん俺はそうなりたいと思っていても、コウの方にはまだ歩み寄る気がないようなのだ。彼の、俺や祐一に対するその頑さから、原因は人間関係じゃないかと当たりを付けている程度のもの。それに相談してくれたとしても、力になってやれるかどうかはまた別の問題だ。
「家族と喧嘩でもしたかな。それとなく聞いておいてやるから、幸司の後、お前風呂入ってこいよ」
ちょっと笑ってそう言う祐一に、俺は頷くしか出来なかった。
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