<2-4>

「幸司、面白いよな。智の前だと、ほんとに年下見たいに見えた」
 あれなら間違っても仕方ない。俺にはどうにも出来ない重苦しい沈黙を裂いてくれたのは、本多の方だった。それでもその言葉も、きっと無理矢理ひねり出したものに違いない、どこか空々しい明るさがあった。
「……どういうつもりだよ?」
 何を考えているのか分からない本多に業を煮やして、俺はついに聞いてみた。あんなに必死に藤井の思い人を探していた本多だ。絶対に真実を語ると思っていた。
「藤井に話すつもりだったんだろう?」
 それはしゃべらないでいてくれるのはありがたい。だけど、本多にはそうする理由はないはずだ。彼は暫く何も言わないで何かを考えているようだった。それでも俺が答えを促すようにずっと視線を外さずに居ると、しぶしぶというように口を開く。
「幸司が智をからかってるんなら、全部ばらしてたよ」
 ある事ない事含めて全部ね、というその表情は恐いくらいに真剣だった。俺が暇つぶしで藤井に付き合っているとでも思ったのだろう。
 おしてそれはある意味では当たっているだけに、俺は何も言えない。
 だけど、それならなぜ、さっき俺の変わりに藤意に年の事を伝えてやるなどと言ってくれたのか? 彼の行動は今ひとつ良く分からない。
「智の奴、お前にべた惚れだし。あれじゃ、何言っても聞きゃしない」
 藤井がおれにべた惚れだというのは、彼自身が勘違いをしているせいだと思うけど。
「……幸司も、好きで嘘ついてるわけじゃなさそうだし」
 …………それは、違う。
 確かに俺は好きで嘘を吐いているわけじゃないけど、わざわざ自分から言ったわけではないけど、自分の都合で勘違いをたださずにおいている。藤意に嫌われないように、自分を悟られないように。
「俺は、ずるいんだ」
 ぽそりと行った俺の頭を、本多は慰めるように何度か叩いた。まるで年下の子供にするかのように。暫くはされるままになっていたけど、いつまでたってもやめようとしない上、くしゃくしゃと髪をかき回しはじめる。しばらくは優しい手が嬉しかった俺も、だんだんそうも言っていられなくなってきた。
「やめろよ」
「いいだろ。なんか可愛いよ、幸司」
 静止の声も聞かずに返された言葉にむっとしてにらみ付けると、そう言うところが、と本多はまた笑みを深くする。
「そうやって自然にしてろよ。学校では自分を作ってるだろう? 絶対、こっちの方がいいよ」
 いいよ、と言われても困る。困ってそっぽを向くと、本多はまたクスクスと笑い出した。
 作っている。そんな風に言われたのは初めてだった。俺には今まで特に親しくする友達とかはいなかったから。家と学校の俺の差を言い当てるものなんていなかった。確かに学校に居る時と、家に居る時とは違うだろうけど、それほどの差があるとは思えない。そのうえ、藤井と居る時の俺の方が本質だと言うなんて。
 どうしてだろう?
 そんな事を言い出した本多が分からなくて、その上その彼にどう対応していいのかも分からなくなって。俺は結局、ただ前だけを見て歩く。
 そんな俺の様子を本多がおもしろそうに見ているのが、気配だけで分かる。分かるけど、やはりどうしていいか分からない。どう声をかけていいのかが分からないのだ。人と並んで歩くなんて、久しぶりすぎる。
「智の事、頼むよ」
 駅までついたところで、本多は急に俺の肩を抱き寄せた。耳元に囁くように、そっと言葉を置いていく。
 頼む、と言われても。俺にどうしろと言うのだろう? 別れるなと言う事なのか、それとも騙すつもりなら最初から関わるなと言う事なのか。
「そんな顔するなよ。幸司のしたいようにすればいいんだから」
 俺がよっぽど変な顔をしたのか、本多は苦笑まじりにそう言ってきた。だけどその、したいようにが分からない。
 どうしていいのか分からないのに、本多はそれ以上の答えをくれない。自分で考えろとその目が語っている。
「いつでも相談には乗ってやるから」
 そう言ってくれた言葉だけが、唯一の救いだった。






 それからの俺は、ほとんど毎日藤井と会っている。あんな事があったせいか、彼はしきりに俺の連絡先を知りたがったけど、今のところ教えてはいない。どうしてもという事態になったと思えば、きっと従兄弟思いの本多が教えるだろうという保険も出来たからだ。第一の理由は、藤井が俺の事を知って彼のそばにいられなくなるのが恐かったからだと思うけど。
 学校が終ると、まっすぐあの喫茶店に向かうのがこのところの俺の日課。藤井がいてもいなくても、喫茶店の店長である、とてもあんな大きな子供が居るようには見えない藤井のお母さんが俺を彼の部屋にあげてくれる。そうして藤井の顔を見ては、家に帰るのだ。顔を見せるだけでもいいと言っていた藤井も、出来るならもっと長く話したいと、俺を必死で引き止めてくれた。だから特に早く帰る必要のない日は彼の要望どおりバイトの終わる時間まで待っている。藤井がバイトをしている間は、俺は彼の部屋で好きにしている。本を読んだり、勉強をしたり。それでもそう長い時間を一緒に過ごせるわけではない。
「コウ、とりあえずすこし休めよ」
 五時を過ぎた頃、藤井はいつもココアを持って部屋に上がってくる。彼自身の休憩時間らしい。俺が部屋を出て喫茶の方に居座っていない日、彼は必ずと言っていいほど部屋に戻ってきて俺の前で休憩時間を過ごす。そうしてくれるのが分かっているから、俺もついここに居座ってしまう。ここはひどく居心地がいい。
「うん。ありがとう」
 藤井はこんな事をしていて楽しいのだろうか? もちろんこれは彼の方から言い出した事だ。その上俺はすごく楽で、居心地が良くてここにくるのを楽しみにしているくらいだけど。藤井にとっては? いい加減、飽きてきた頃ではないだろうか? 
 一生懸命バイトして、やっとほんのすこし息を抜く事が出来る時間まで俺のために使ってしまって。
「気にするなよ。あいつは好きでやってるんだから」
 何日か前、やってきて一緒に宿題を片付けていった本多は、そう言って笑った。だけど気にするなと言われても、やはり気になるものは仕方ない。それにこうして俺の気持ちが落ち着いてきたと言う事実は、藤井と別れると決めた日が近付くと言う事を意味する。
 藤井と別れる。話もせず、顔も見ない。そう思うだけで胸が痛んだ。だけどこんな都合のいい付き合い方をしてもらっていて、騙していた事がばれた後でも同じように付き合ってもらえると思うほど俺も楽天的じゃない。
「あいつのこと、少しも好きになれそうにない?」
 そう聞いてきた本多に、俺は笑うしか出来なかった。たぶん、もう好きになってしまっている。あんな出合い方をしていなければ、こんな事にはなっていなかったかもしれないと思うと胸が痛い。だけど今さら告白をする勇気なんて、どこからも出てこない。情けない事に。
「幸司、智の事見くびってない?」
 分かってるよ、本多。だけど俺は、こんな俺を好きだと言っているからこそ藤井を信じる事が出来ないのだ。
「……ウ、コウ」
 急に肩に手を置かれて、俺は跳ね起きるようにうつむいていた顔を上げた。藤井の顔が間近にまで迫っていて、思わず赤く染まってしまいそうな顔を慌ててそらす。すると、俺が怖がったと思ったのだろう、藤井は小さなため息を漏らした。
「ごめん、何?」
 急いで表情を取り繕って、藤井の方に向き直る。本来なら顔を引っ張ったり叩いたりして表情を元に戻したかったところなのだけど、彼の前でそれをしていては意味がない。
「いや。何考えてた?」
 さり気なく俺の横に座りながら、藤井は聞いてくる。肩が触れあうほどの至近距離。それだけで俺はどぎまぎした。だからこそ、ことさらなんでもないようにふるまおうと必死になる。
「うん……その。疲れてない? あ、だから、学校終ってからいつもバイトだし。立ちっぱなしだろ」
 何が、と言う顔をしている藤井に俺は慌てて説明する。説明をしながらも、なぜか視線をそらしてしまう自分にイライラした。藤井はいつも、あまりにもまっすぐに俺を見てくれるのだ。
「まあ、疲れてはいるけどね。もともとまたコウがこないかと思ってはじめた手伝いだし。止めるに止めれなくなったけど、このところ毎日コウの顔見てるからその疲れもふっ飛んでる」
 言いながらも藤井は俺の頬にそっと唇を落とす。最初の約束はどこへやら、いつの間にかちょっと肩を抱くと言うような行為や、こう言った軽いキスは許可制ではなくなっていた。一度不意をつかれて怒るすきを逃してしまい、そのままなし崩しになってしまっている。
 ……多分、俺が嫌だと思っていないのも原因だとは思うけど。
「でも、ま。手伝いの方もそろそろ休まないと、俺はテストがヤバい」
 いつの間にか肩に手がまわされていた。びくりと俺が震えても、その程度の事では藤井はもう気にもしない。
 本多に教えてもらえば、と言うと、藤井は心底嫌そうな顔をした。それでも最終的にはそうなるか、とこぼす事も忘れない。
「コウは大丈夫なのか、テスト」
「ん。俺、頭いいから」
 学校のテストなんて、範囲が決まっている。それくらいならどうとでも出来た。小さい頃からほめられるのが嬉しくて、暇に飽かして勉強をしてきた。それだけが俺の取り柄だった。もっとも、笑って人にこんな事を言ったのは初めてだったけど。
 初めて言ってみた台詞は、思いのほか相手に感慨を与えないようだ。藤井はただ苦笑を浮かべるだけですませてしまう。つまらない。
「コウ、キス……」
 急にまじめな目で見つめられて、ため息のような声が囁く。言われて俺は、いつも条件反射のように目を閉じてしまう。それは、いいよという合図になってしまい、待つまでもなく藤井の唇がおりてくる。そしてそれは、当然のように優しく重なる。
 藤井はいったい何を望んでいるんだろう? 
 それから、俺は?
 何もかもが分からなくなってきていた。





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