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朝から直樹が浮かれている。
少なくとも久志にはそう見えた。正確に言うと浮かれていたのはもっと前からかも知れない。とにかく平田が来るというこの週に入ってからそわそわとしているのに久志は気付いていた。
その週は金曜が創立記念日で休みで、ついでに土曜も休みと三連休になっていた。平田が篁の家を訪ねてくるのはその連休の最初の金曜日。夕食を食べると言っていたが、その後どうするかを久志は聞いていない。男は泊まるのか、帰るのか。直樹はどうするのか。すべては謎のままだ。
直樹の機嫌が良くなるのに比例して久志の機嫌は悪くなっていく。その感情がどこからくる物か久志にも分からなかった。そして直樹が久志の不機嫌に気付かないことが事態を悪化させていた。いつもなら間違いなくその不機嫌に気付き、声をかけてくると言うのに……。
その上何がいまいましいといって、まだ昼を過ぎたばかりだと言うのに楽しそうに夕食の準備をしているところだと久志は一人ごちる。滝野がきた時は味は十分であっても、直樹の手料理を食べ慣れた久志にはそれが手を抜かれたモノであったことがすぐに分かった。だが、今はいっさい手を抜いてなどいない。家を片付け、部屋を片付け。もちろんそれはいつも直樹がしていることだ。だけどそれが今日は特別なもののように感じられてますます久志をいらだたせる。
「偉く張り切るじゃん。いつも通りでいいんじゃないの?」
そんな嫌味も、適当に聞き流される。こんなことなら、滝野を呼んでおけば良かったと久志は舌打ちする。そうすればここまで暇で直樹の動きを追うこともなかっただろうし、ここまで嫌な思いをすることもなかったはずだ。その時の久志の思考の中に、恋人とともにいる楽しい時間という考えはない。ただ、今の直樹を見ていたくなかったのだ。
相手なんて嫌なヤツに決まっている。直樹はきっと騙されているんだ。久志は何度目かのその結論に渋い顔で紅茶を飲み干した。
そして夕方にやってきた男は。
会社勤めのサラリーマンとかで、スーツを着用していた。仕事帰りにそのままよったらしい。その割にはずいぶん早い時間だといぶかしむ久志に、男は外回りの仕事を終えての直帰だと説明した。この間すれ違うようにあった時には気付かなかったが、男は校内でもかなり背の高い部類に入る久志自身とかわらないほどに背が高い。それもただ背が高いわけではなく、きちんと筋肉で補強されている。直樹などやすやすと組み敷けるだろうと下衆な勘ぐりをして、思わず頭をふってその思考を払う。
玄関まで迎えに出ていた直樹が伴ってきた男は、先導の少年の肩や腰にさり気なく手をまわしている。そしてそれがちょうど楽な姿勢なのだと言わんばかりのその態度にも久志は腹を立てた。
「君が弟くんだね。平田です。よろしく」
一応初対面ではない。一度挨拶だけはしている。それなのにそんなふうにしたり顔で挨拶をされて、腹を立てる。きちんと名前があるのに、「弟くん」だなんて言い方をされるのにも腹が立つ。もちろん、名前で呼ばれたりしたらそれはそれで怖気が走っただろうが。
直樹が睨むからと「篁久志です」と名前と小さな会釈だけで挨拶をかえしたけど、言葉などかわしたくなかった。
とにかく。何をしても、何もしなくても平田と言う男は久志のカンにさわったのだ。
「俺が気に入らないって感じだね」
直樹が食事の用意を再開しに台所に消えてから。直樹が出していったお茶をひとくち含み、平田は口元に笑みを浮かべながら言った。その笑みが、またカンに触る。言われた内容にも。
「気に入らないよ? 引く手数多の直樹の相手が、なんであんたみたいなおじさんなんだってね」
挑発するようなその口ぶりに久志はうかうかと乗ってしまい、つい思っていたそのままを口にする。直樹が選んだ相手ならとどんな相手でも我慢するつもりでいたのに、そんな自制はすぐに吹っ飛んだ。男だからダメだと言うわけじゃない。この男がダメなのだ。直樹のそばに似合うのはもっと……。
そこまでで久志は一度思考を放棄した。その先は、考えてはいけない場所のはずだ。そうして、なぜ認めるじゃなくて我慢なのかも、きっと考えてはいけないこと。
「確かに直樹はいい子だから、俺にはもったいないだろうけど。それでも俺は直樹を受け止めてやることができるよ」
お前では無理だ。そう笑われている気がして、久志はむっつりと唇を塞ぐ。のんびり、まるで自宅でくつろぐかのようにソファに体をしずめる平田を上目遣いに睨み、この男のどこが良かったのだろうと考えてみる。顔は確かにいいかもしれない。背も高い。服装からすれば、収入もそれなりだろう。だけど、直樹の基準がそんなところにはないことも久志は知っている。
「なに? もしかして見とれてる?」
「まさか。いったいどこに接点があったのかと思って」
じっと睨み付けられていて見とれているもないだろうに、平田はまた冗談めかして笑みを深くした。足を組み換え、もったいつけるようにして焦れる久志をさらに焦らし、やっと口を開く。
「行きつけの店でばったりね。それ以上は直樹に聞くといい」
それは嘘にはならない範囲の言葉。だが久志にしてみれば答えをはぐらかされたようなもの。平田に対するいら立ちがまたもつのっていく。
「俺、あんた嫌いだ」
「そう。ちょうどよかった。俺も君が嫌いだよ。君は直樹をひどく傷つけた」
そうして口から出てくるのは、当然のように相手をはねつける言葉。ただ帰ってきたのは言った本人すら予想してなかった返事。
平田は言いおいて出されたお茶を飲み干し、立ち上がる。そのまま直樹が消えた台所に向かおうとしているのが久志にも分かった。歩み去ろうとしているその腕を、久志は慌てて掴む。
「ちょっとまて。どう言う意味だよ?」
「あまり大声を出さない。直樹に聞こえるよ。それに……」
食い下がる久志に苦笑を浮かべ、掴まれた腕をそっとはなさせた。
「……自覚がないのは分かってた。だけど、本当に何も分かってないなら、やっぱり腹が立つ以外の何ものでもないね」
久志の追求から簡単に逃れ、平田は台所で作業をする直樹のところへと足を向けた。
「直樹、手伝うことは?」
まるで何度もきたことがあるかのように部屋の中を渡り、平田は台所の直樹の背後に立つとゆっくりと肩から胸の辺りに手をまわした。そのままゆったりと抱き締め、髪に顔をうめる。
「ないよ。いつも一人でしてるんだし。それよりさっき、義弟とやり合った? なんか騒がしかったけど」
「別に。意見の一致を見ただけだよ」
軽く肩を竦めて平田は先ほどの出来事をそれだけで済ませることにした。確かに意見の一致を見た場面もあったにはあったのだけど、それだけで済ませていいような和やかな場面であったとは言いがたい。それでも、かろうじて嘘にはならないだろう。
「ならいいけど」
平田の言葉に足りない部分を見つけた直樹は諦めるように息をつく。喋る気のない平田から何かを聞きだせたことなど、一度もない。早々に諦めるのが得策というものだ。
「尚志さん、今日泊まっていく? それなら部屋用意するけど」
鍋の中身をお玉でかき混ぜながら、直樹は背中越しに尋ねてみる。そのことは、最初から決めていなかった。直樹自身は後片付けなどがあるから、今日は家を出ることはできない。さっさと片付けて平田の部屋に行くことを考えないでもなかったけど、それはあんまりな気もする。
「泊めてくれるなら直樹の部屋がいいけど?」
からかうように言われて、直樹はむせた。その背を平田に撫でられ、なんとか落ち着きながらも、それもそうかと今さらながらに思ってしまう。滝野だって、直樹にとってはいまいましいことに、泊まる時はいつも久志の部屋だった。わざわざ客間を用意する方が妙なのかも知れない。
「そうか。恋人で、わざわざ他の部屋用意するのって、変?」
「確かに変だけどね。今のは冗談だよ」
冗談、の一言に直樹が眉を寄せる。どこが冗談だったのか分からなかったらしい。真剣に思い悩む表情がまた、平田の笑みをさそう。平田はガスレンジに手をのばして火を止め、背中から抱き締めていた直樹の体をぐるりと自分の方に向けてしまった。
「尚志さんっ」
緩い拘束ならいつものことだから作業に影響は出ないが、こうなると話は違う。邪魔をするなと抗議の声をあげる直樹を軽く抱き寄せ、額に、頬に、瞼に口付ける。半分は自分の欲求のまま。そしてもう半分は今平田が歩いて来たその後ろからやってきた人物に見せるため。
「今日は大人しく帰るよ。……なにもしないでいられる自信、ないからね」
冗談半分のからかい口調でいう平田の足を、直樹はスリッパ越しで思いきり踏み付けた。そうして抱き込まれながらも睨むようにして見上げ、平田の肩ごしにきつい視線をおくる義弟の姿を見つける。
そういえば久志は今日の朝から機嫌が良くない、と直樹は今更思い当たる。だが、その理由の方にはまるで心当たりがない。滝野と喧嘩でもしたのかと当たりをつけてはいるけど。
「凄い目で睨んでるだろ? 直樹を取られるのがよっぽど悔しいらしい」
そういって平田はまた直樹の肩を抱き寄せた。今度は本当に見せつけるためだけに。直樹の視線の向こうで、見られているとも知らない久志がぎりりと唇を噛む。
それは、本当に平田の言う通りの様にさえ見えた。自分はそれほどまでに兄として慕われていたのかと直樹はふと苦い喜びにかられる。両親がほとんど留守という中での兄弟だから、普通よりは結びつきが強かったのだろうか、とか、毎日食事や家事とこの家を切り盛りしているから頼られているんだろうか、などと冷静に分析してみる。だがどれが正解なのかは分からない。久志に恋情を抱いてしまった時点で、直樹には自分の気持ちを一般に当てはめることは出来なくなっている。
「もしかして、逆効果なのかな?」
恋人と楽し気にしているところを見せて、久志の自分に対する口を塞ぐつもりだった。なのにこうも睨まれてしまっては……。今まで以上に居心地が悪くなってしまいそうだ。
「……絡まれたり、したの?」
背中越しながらも睨んでいることが分かるということは、つまりそう判断出来ることがあったということ。何しろ、役者が違う。絡まれたところで平田が軽くあしらってしまうことなど目に見えているが、嫌な思いをさせてしまったかも知れないと直樹は伺うように平田を見上げる。
「別に、たいしたことじゃないよ。絡まれたっていう程でもないしね」
余裕の笑みを浮かべる平田は、それでも本当に楽しそうに直樹を抱き寄せて久志に嫌がらせをする。それがさらに絡まれる原因になることを予想できても、止める気はないようだった。意外に大人気ないと直樹は小さく息をつく。
「……っ尚志さん」
呆れて見上げるほほを大きな手のひらが滑り、そのまま顎を捕らえられて何を言う間もなく唇を塞がれる。はじめ目を見開いた直樹も、次の瞬間にはゆったりと目を閉じ平田に体を預けた。観客の存在を思い出したこともあるし、こう言ったキスはすでに日常になっていて、今さら驚く程のことでもなかったから。
そして目を閉じていたから、直樹は分からなかった。その様子を久志が凄い形相で見ていたことを。
食事の時間は空々しく過ぎた。前回、滝野を挟んだ食事も他の二人にとってはともかく、直樹にとっては空々しいモノだったが、今回はそれ以上だ。一度呼べと言っていた久志は結局自分から口を開くことはなく、場は終止平田が持たせた。
それでも久志も平田の素性には興味があるのか、平田の言葉の端々に質問をのせ、彼の仕事や生活ぶりを探る。それで分かるのは平田が明かしてもいいと思うものだけなのだけど、それすらも久志にとっては貴重な情報となった。
会社勤めのサラリーマンで、26才。マンション暮し。身長や体重までは聞き出さなかったが、学生の頃バレーボールをしていたと言う体は適度に筋肉がついて均整のとれたスタイルをしている。会話の内容やテンポからも頭の良さが伺えて、いっそう久志をいらだたせた。
このままこの男が今日泊まって帰るなら絶対に外泊をしてやる、久志がそう思っていた矢先、平田は立ち上がった。
「それじゃあ、今日はそろそろ失礼するよ。ごちそうさま、美味しかった」
そうして久志を無視するように、笑って直樹の頬に手をのばし引き寄せて軽く口付ける。その上勝ち誇ったような----久志にはそうとしか取れないような笑みを浮かべて久志をみる。
「それじゃあ、また。馬鹿なこと、しないようにね」
直樹は俺のものだよ。そう続くのが分かる表情。久志は歯噛みして男が直樹を伴って出ていくのを見ているしかなかった。
玄関まで歩いた平田は、靴を履く直前、ふりかえって後ろからついてきていた直樹を軽く抱き締める。驚きに少し体を固くしても、すぐに力を抜いて身をゆだねてくる。そんな直樹が可愛くて仕方なかった。だから、忠告をしておかないといけない。
「直樹。弟くんに気をつけて」
軽く唇をあわせた後、睦言のように囁く。直樹は一瞬、言われた意味が分からなかった。だから、問うような視線を向ける。そうするとまた、唇がおりてきた。
「気をつけてくれたらいいんだ。今日少し、変だっただろう?」
それは事実だったから、直樹は小さくうなずいた。だけど平田も、訳は言えない。言いたくなかった。それは自分にとってとても都合の悪いことだったから。たとえ大人気ないと言われても、自分の邪魔をするつもりにはなれない。
今までに聞く話の端々から、久志が直樹に恋人を会わせた理由を平田なりに考えてみていた。そうして、会って、自分に向けられる敵意から確信した。久志が、平田と同じように直樹を見ていることを。恋人の存在なんて関係ない。彼が恋情を寄せている相手は、直樹だった。
そうしてその彼の前で、今日平田はこれ見よがしに直樹を自分のものであるかのように扱った。イライラがつのっているのは見ただけで分かる。最後など、噛み付きそうな目で見ていたではないか。あおるだけあおったのだ。直樹に八つ当たりしないとも限らない。
それが分かっていればあおったりしなければ良かったようなものだが、そうもいかなかった。行き過ぎたのは平田も自覚している。だけど、それがもともとの直樹の依頼だったから。
「大丈夫。あいつ気分屋なところあるし。明日になったらきっと戻ってるよ」
「ならいいけどね。明日、来る?」
「お昼には」
それ以上説明することもできず、話題を明日にかえた平田に、直樹は笑顔で即答した。その笑顔に平田も笑みを浮かべ、ゆっくりと抱き寄せ、もう一度軽く唇を重ねる。そうしてから靴を履き、玄関のトビラをあけた。
「直樹。本当に気をつけて」
すぐそばまで見送りに出てくれた少年の額に小さく口付けて、平田は篁の家を後にした。自分の不安が直樹にきちんと伝わり、さらにその心配が杞憂で終わることを期待しながら。
平田が帰った後も、直樹はいつもとさしてかわらないように久志には見えた。そんなことよりも驚いたのは、平田が帰ったことだ。あの男が泊まるか、直樹が泊まりに行くか。とにかくどちらかだと思っていた。あれだけ仲のよいところを見せつけておいて、せっかくの連休に別々になるとは思ってもなかった。
とにかく気に入らない男だった。どこが、と言うのではない。何から何までだ。直樹がなぜあんな男とつきあうようになったのかが久志にはまるで想像もつかない。今までどんな好みでも大きくずれることはなかったのに、今回ばかりはどうしようもないのか? だいたい、週末でかけていたのはいつものことだったとはいえ、いそいそと出かけ日曜の夜まで帰ってこないのにも腹が立っていた。
部屋に引きこもって今日のことを反芻してさらにいら立ちをつのらせていて、久志はふと思い当たる。どうやって会ったのかは直樹に聞けと言われたではないか。直樹も先程風呂に入っていたぐらいだから、片づけは済ませているはずだ。今聞きに行ったところでなんら問題のあろうはずがない。
思い立ったら即実行。久志ははやる気持ちを押さえて部屋を出ると、直樹の部屋に向かった。
『俺も君が嫌いだよ。君は直樹をひどく傷つけた』
『……何も分かってないなら、やっぱり腹が立つ以外の何ものでもないね』
あれはどう言う意味だったのか。直樹を傷つけた。いったいいつ? 何も分かっていない。何もっていったい? 平田の言葉は謎だらけなのに、なぜか久志はそれを知らぬことと捨ててしまうことができなかった。こうして直樹のもとに足を運んでいるのもあの男の思うつぼなのかと思うと、またぞろ腹が立ってくる。
「直樹、いる? 今いいか?」
がんがんとかなり乱暴に扉をたたき、返事がある前から開けて中に入る。開ける前に声をかけているのだから、今日はましな方だ。いつもなら先に扉が開いている。そんなだから中にいる方も驚くこともなく、読んでいた本から顔をあげ、ベッドに横になった体を起こす。
「なに?」
寝そべってうつむいていたせいか、長い髪が首にまとわりついていた。直樹はそれを払いながら、久志に向き直る。
「珍しいじゃないか。こんな時間に。何かあった?」
言われて時計を見てそう言えばいつもは滝野と電話をしている時間だと久志はやっと思い至る。だが今日は滝野のことなどまるで思い出しもしなかった。
「聞きたいことがあったんだよ」
むっと顔をしかめ、ベッドに座る直樹のすぐ前にたった久志は義理の兄を上から見下ろした。こんなふうにゆっくり顔を見るのはずいぶん久しぶりかも知れない。のびた髪は緩く背中に流れ、いつの間にか艶のある表情、色のある目をするようになった。それが全てあの男の影響なのかとぎりりと唇を噛み締める。
「何をさ?」
一方見下ろされる方も、その相手のいらだった様子が伝わるせいでひどく落ち着かない気分だった。
今日一日中機嫌の悪かった久志。いつもならその理由を簡単に想像できるのに、今回に限っては分からなかった。顔にすぐに出る久志の不機嫌の理由が分からないのは、久志本人にもその理由が分かっていないからではないかと直樹は想像している。だが、だからといって同じ屋根の下、こんな不機嫌な顔をされては楽しく過ごせるはずがなかった。
明日になってもこの調子なら、話を聞いた方がいいかもしれないと思っていた。それに、平田の一言もある。
『弟くんに気をつけて』
いったい何に気をつけろと言うのかは分からなかったけど、その一言はほとんどはじめてあった平田にすら分かる程、久志の様子がまともではなかったと言うことだ。本人にこんな考えがばれれば、もっと簡単に、言葉通りにとってほしかったと嘆かれるだろうが。
「あの人と、どこで知り合ったんだよ?」
平田の名前を意地でも口にしたくなかった久志は、不機嫌な口調のままぼそりと呟いた。
「どこって……週末によく行ってた店だよ」
もともと酒をのみに行っていたことすら黙っていた直樹には痛い質問だが、考えれば同年代の少年だって週末になれば夜の繁華街に踊り出す。下手をすれば曜日など関係無しだ。週末に限定しているだけ、直樹はまだましだといえた。酒を過ごすこともないし、他人に迷惑かけたこともない。あの日意外は。
直樹の説明を苦々し気に聞いている久志は、ある意味直樹よりも真面目な学生だった。運動部に所属している彼は、週末に酒をのみに出ることすらしない。行ったこともない場所の想像などつかないが、そこで直樹は口説かれたのかと胸の悪くなる想像にまた表情を暗くする。
「それで、あの人と寝てるわけ? プラトニック、なんてわけないよな、あんだけいちゃついてんだからさ」
「………っ、お前には関係ないだろう?」
どうしてそんな言葉が口をついたのか分からない。だけど久志はそれこそが一番聞きたかったことなのだと口にした瞬間に理解した。そうして、なぜあの男が気にくわなかったかも。
直樹だ。
ずっと自分のものだと思っていた義兄。いつまでの自分のそばにいるのだと何の根拠もなく信じていた。触れては壊れてしまいそうな気がして、外に逃げ場を作った。それなのに……。
自分が触れるのをためらっている間に、直樹は別の人間に触れることを許した。自分よりもずっと年上で、直樹を包むだけの力も財力もある男。だから平田が嫌いだったのだ。自分から直樹を取り上げようとするから。
そして、関係ない? 自分の想いがまるで伝わらないことに久志は歯噛みする。これほどまでに想ってるのに、関係ない? そのうえ、そらされた顔が赤く上気しているのはなぜだ? 寝ているというのが図星だからか? 次々と浮かんでくる考えに久志は目の前が暗くなった。
見下ろせば後れ毛が巻き付く滑らかな首筋。横を向いて羞恥に染まる頬。濡れた、艶やかに色を帯びた唇。一瞬にして久志は何も考えられなくなった。
「久志っ!?」
ふいにのしかかり、両腕を捕らえて体を押さえ付けてきた久志に直樹は驚いて声をあげた。ギラギラとした目で唇を喉元に寄せられるのを、信じられないものを見るように見つめる。
「久志、やめろっ! おまっ、何考えて………!」
「ヤらせろよ。教えてくれるんだろう? 実地で」
以前にからかうように直樹が行った言葉を逆手にとり、暗く燃える瞳で久志は言い放つ。最初はただの悪ふざけだと思おうとしていた直樹も、久志が自分の腰からベルトを抜き、それで直樹の両手をまとめにかかったころには顔から色をなくした。本気だ。
あまりにも予想外のことに抵抗が遅れた直樹の腰に乗り上げて押さえ込み、久志はシャツの胸を乱暴にあける。ボタンが一つ二つ飛んだが、そんなことは気にもしなかった。
「久志、ひさしっ! 止めろ、落ち着け!」
腰を縫いとめられていては足をばたつかせてもたいした効果はない。四肢を押さえられ、抵抗らしい抵抗をすることも出来ずに直樹は裸に剥かれていった。ズボンや下着はひざまでおろされ、よけいに足の自由を奪う。
「直樹……好きだ」
信じられない行動、信じられない言葉に目を見開く直樹の唇を、久志は塞ぐ。言葉にしてみて久志は再確認した。直樹が好きなのだと。
柔らかな唇に夢中で触れ、舌で無理矢理こじ開けて口内を蹂躙する。直樹にからかわれてすぐに久志は滝野に口付けた。それからは数えることなど出来ない程のキスをくり返している。そのどれとも比べ物にならない程のあまやかさに目眩すらした。
「……っ!」
「……いいかげんにしろっ」
その陶酔の中で、いきなりの痛みに久志は一瞬我に帰った。思いきり舌を噛んだ、腕の中にいるはずの直樹が、下から睨みつけている。
「相手を間違えてるんじゃない。滝野くんのところに行けよっ」
射殺そうとするかのようなその瞳にも、久志は動じなかった。こぶしで唇を拭い、着衣の絡まるひざを押さえながら、直樹の下肢に手をのばす。
「………っひさしっ!!」
驚きの声。嫌悪の表情。それらすべてを久志は無視した。ばたばたと暴れる足を無理に押さえ込み、一向に育たないそれをいらだちを隠さずに扱きあげる。
「………あいつは直樹の変わりだ」
両足をひとまとめに肩にい担ぎ上げ、乾いた指が奥を探る。入らないと見るとだ液をのせ、もう一度挑まれる。
「俺が欲しいのはお前だけだ」
足りない滑りで、それでも指は無理矢理押し入った。直樹ののどから引きつった悲鳴がもれる。いやだ、やめろ。いくら言っても久志の動きは止まらない。
「………俺のものだっ」
ジッパーをおろす音。痛みと、それ以上の恐怖に直樹の顔がこわばる。
「ひさしっ、嫌だ、いや…。やめろっ…………尚志さん!!」
「俺のものだっ」
腰を捕まれ、むき出された下肢が開かれる。
「---------------------------------------っ!!!!!」
助けを呼んでも、答えはない。久志の狂気に犯され、直樹は意識を手放した。
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