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 わたしは嘘つきにならなくてはいけなかった。
 気にしていないふり。悲しくないふり。寂しくないふり。何も怖くないふり。
 ラウラが大切だから、傷つけたくなかったから、小さい頃から無数の嘘と演技を重ねた。
 そして今日も――否。

 今日は、最後の嘘をついた。

「――本当なの? マリア」
「本当よ」
 森の奥の集落は、《黎明の翼》の秘密基地と呼ぶには素朴すぎる場所だ。やさしい陽射しの中で、木々の緑がまぶしく輝いている。
 マリアは教会前広場で、ラウラ・フレンツェルを呼び止めた。
 夏空を思わせる青い瞳を見つめて、マリアはまた微笑みとともに嘘をつく。
「今夜、一番星が見えるころだと『風』はささやいていたわ。帝国軍がこの集落を滅ぼすために『西風の谷』を通るんですって」
「日没後すぐってことか。――もう午後なのに」
「ええ。急がないと」
 考えこむラウラを、マリアはできるだけさりげなく急かした。

 いにしえの血を守るフォーゼ族の長の末裔には、しばしば「風読み」という力があらわれる。
 普通の人には聴こえない「風のささやき」――未来や遠い場所のことを教える精霊の声を聴きとり、部族を守るための異能だ。中でも先代族長の娘であるマリアは未来を、ラウラは遠い場所のことを知る力に特化している。
 だがマリアは今、わざと嘘を混ぜてラウラに未来視の内容を伝えていた。
 ――本当は今夜、帝国軍はここに攻めこんでくるのだと。
 ――今からでは、どうやってもそれを阻止する手段はなく……。
 ――マリアが、ラウラたちを安全に逃がす代わりに、死ぬ覚悟を固めているのだと。
 絶対に知られてはならない。
 真実を知ったら、ラウラはきっとここに残り、息絶えるその瞬間まで帝国軍と戦いつづけるだろう。そういう彼女だからこそ、マリアは命に代えても守りたいのだ。

「マリアの『風読み』が外れたことはないもんね。よし、わかった」
「策は決めたの?」
「うん。西風の谷なら地の利はこっちだ。任せて」
 頼もしい言葉を、《黎明の翼》の主導者たる少女は、腰に両手を置いたかっこうで紡ぐ。
 あまり乙女らしくない仕草だが、ラウラにはそうした硬派なポーズが似合っていた。
 つま先まで男物でそろえた軽装も、マリアよりはるかに板についている。
「わたしがテオたちと行くから、いつもどおり村の留守は任せていい? マリア」
「もちろんよ。後のことは心配しないで」
「うん。頼む」
 ラウラはうなずき、マリアをはげますみたいに淡く微笑んだ。
 すてきな表情だとマリアは思った。青い瞳が、友情と信頼で強くきらめいている。
 ――死ぬ瞬間には、この顔を思い浮かべながら逝きたいなと、マリアはひそかに思う。

 昔から、ラウラのすべてがまぶしかった。
 肩でさっぱりと切りそろえた黒髪、健康的な白さの肌。賢い猫を思わせる目元には、快活で男勝りな気性がよく表れている。
 マリアの青白い顔は微笑みを保っていたが、これが最後だと思うと、やはり胸が焦げるように痛んだ。彼女が好きだと、こんなにも強く感じたことはない。

「でも、そっちも念のために用心してね? 『白き翼』」
「了解しました。森に敵除けの罠をかけておくわ、『千の翼』」
「マリアお得意の『あれ』か。帝国軍のやつらが引っかかるところが見たいけど、そうなる前に追い払ってこなきゃだね。――じゃ、また逢おう」
「ええ。あなたの幸運を祈ってる」
 互いに冗談めかして暗号名で呼び合い、頬に親密なキスをしあって、別れる。
「……元気でね、ラウラ」
 祈るようにつぶやき、マリアは遠ざかるラウラの背中を見つめた。
 とてもフォーゼ族の命運を背負っているとは思えない、細身の姿だ。
 なのに決して弱々しさを感じさせず、常に見ている者に勇気の炎を灯すのが不思議であり、ラウラの最大の魅力だと思う。
(わたしにも、最期の時までやり遂げる勇気がある)
 きっと。
 深呼吸して、マリアも歩きだした。

 ――ラウラたち《黎明の翼》の闘士を、この村から遠ざける作戦は成功した。
 次は、また適当な嘘をついて、非戦闘員の住人たちもここから遠ざけなくてはいけない。
 マリア以外にこの村に残って、犠牲になる人間がいては駄目だ。
(火種を用意しないと)
 マリア一人では帝国軍を足止めするのは難しい。
 少しでも時間を稼ぐために、ラウラに認められた罠作りの力をすべてそそぎこむつもりだ。
(大丈夫――やれる)
 寂しくても、不安でも、だれかに助けを求めることはできない。
 孤独だけれど、だれも巻きこまずに済むという安心感とともに、ラウラは動いた。

 ――まさか、死よりも過酷な運命が待ち構えているとは、思いもよらずに。



2011.1.9 up.

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