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 暴走した。やりすぎた。
 ――という自覚は、さすがにリオンにもあった。

 ラム酒で酔っ払っていた、という言い訳もできない。完全にしらふだった。言うなれば輝夜の身体に酔ったわけだが、そんな気取ったことを言って許される話でもない。
 濃密すぎる交わりの果てに目覚めた少女は、明らかに顔色が悪かった。
 声も嗄らしていて、腰が抜けたように動きがおぼつかなくて……。
 幸い午前中に彼女の当直はないので、アダマース号名物の滋養たっぷりのスープを食べさせた後は、寝かせておいた。午後も「慣れない仕事のせいで体調を崩したらしい」とか理由をつけて、休ませてやったほうがいいよな――などと思いながら、船長室に戻ると。

(――輝夜?)
 黒髪の少女は、ベッドを抜けて、いつもの男服をまとっていた。
 まだ気分はすぐれないのか、開け放した舷窓のそばの椅子にかけて、遠くを見ている。
 細すぎるほど細く見える両腕をおなかに巻きつけるみたいにしている姿は、女性のやわらかさを感じさせながらも、子供のように見えるほど弱々しい。彼女を壊しそうになった昨夜の記憶が、再びリオンを苛んだ。
 無理やり純潔を奪った夜に続いて――ひどいことを、またしてしまった。
 本当は、やさしく愛したいだけなのに。

「……船長」
 窓枠にもたれるみたいにしていた少女が、びっくりした顔で振り返る。
 どこか怯えてるようにも見えるのは、たぶん気のせいではないだろう。
「えっと……『ダイジョウブカ』?」
 東方の言葉をぎこちなく発音すると、輝夜は面食らったようで、何度も瞬いた。
「――わたしの国の言葉を?」
「おまえはいつも俺に合わせてくれてるし、たまには俺が、と思って」
 博学な船医から、東方の言葉の本を借りては、こっそり読んでみたのだ。

「つっても、おまえの国の言葉は難しすぎて、単語と挨拶くらいしかわかんねえけどな。あと覚えてるのは……ゴメンナサイ、コレハフデデス、ヤマ、カワ、シマ?」
 輝夜が噴きだした。
 異国人のリオンにはわからないが、何かツボを突く言葉でも含まれていたのだろうか?
「いえ、そうじゃなくて……発音がちょっと変わっていたから、おもしろくて」
 ころころと笑う少女。
 やや幼く、愛らしい笑顔に、リオンは見とれた。
 昨夜見せた女の色香とのギャップが、なんとも言えず魅力だと思う。こんな邪気のない表情をする少女が、夜はリオンを狂わせる極上の女になるのが不思議ですらある。

「――昨夜は悪かった」
 正確に言えば明け方近くまで彼女に無理を強いていたのだが、ともかくそういう言い方で、リオンは自分の身勝手さを詫びた。
「でも、おまえを痛めつけたかったわけじゃないんだ。それだけはわかってくれるか」
「……はい」
 ――沈んだ瞳のリオンに見つめられ、輝夜はそっとうなずいた。
「わかります。あなたは……だいたいは、丁寧でやさしいから」
「だいたいか」
「だ、だって昨夜はひどかったじゃないですか。……許してと、何度も言ったのに」
 なじってはみるけれど、輝夜も完全にはリオンのせいだと言えないものがあった。
「身体、つらいか?」
「少しだけ」
 実を言うと、つらいというより、濃密な夜の名残りを持て余しているだけだ。
 まだ肌の下にほんのり熱が残っているような、淫靡な感覚。リオンに身体を開かれる前には知る由もなかったそれは、輝夜をどぎまぎさせて仕方がない。

(わたし……)
 ほんの少し前までは純潔だったのに。リオンは夫でもなんでもないのに。
 昨夜は、彼の欲望に飽きもせずに応えてしまった。
 それが罪深くて、恥ずかしくて――
「……どうしてわたしの身体には、こんなものがあるんだろうと思って」
 輝夜は再び、シャツの上から下腹部を軽く押さえた。子宮があるはずのあたりを。
 聖玉のお蔭で疲労はだいぶ癒されたものの、ひと晩中抱かれつづけたせいか、なんとも言えない気だるさがある。
「子供を宿すための、大事な場所だというのはわかっているのですけれど……あなたに抱かれると、わたしがわたしでなくなってしまうみたいで、怖くて……恥ずかしいんです」
「俺はいつもそうだけどな」
「え?」
「おまえといるだけで、いつもの俺じゃなくなる」
 照れくさそうに苦笑するリオンに、どういう意味だろうと輝夜は小刻みに瞬いた。
 たしかに彼の昼の親切さと夜の激しさの落差は、別人みたいだけれど。
 悩む輝夜の額に、リオンの唇が軽くふれる。
「でも俺はやっぱり、おまえといたい。おまえにふれて……抱いていたい」
「……リオン船長」
「ほんとに悪いな。勝手な男で」

 黒髪を撫ぜる手がずるいほどにやさしい。
「抱きたい」ではなく「おまえが好きだ」と言ってくれたらよかったのに、なんて思ってしまう自分に戸惑う。
 リオンに嫌われているわけではないのは、輝夜にもわかる。
 けれど身体だけでなく、輝夜という人間自身を愛してもらえたなら――
(ッ……わたし、変だ)
(契約で抱かれているだけなのに……どうして、こんなことを)
 そんなに、この人の与える快楽の虜になってしまったのだろうか。
 自分がひどくいやらしく思えて縮こまる輝夜の頭に、リオンがぽんと手をのせる。
 父親が子供に、あるいは兄が妹にするかのような仕草に、胸の奥が温かくなった。
「とにかく、今日は休んでろ」
「……いいのですか?」
「俺のせいだからな。他のやつらには適当に言っとくから、安心しろ」

 そのまま、船長用の寝台に戻される。
 小さな子供のようにおとなしく横になっていると、リオンは異国の香りのするお茶と、蜂蜜漬けの果実を持ってきてくれた。どちらも日之本では味わったことのない味で、思いがけずおいしい。そういえば、甘いものなどしばらく口にしていなかった。
「食べられるか?」
「おいしいです。……お茶も」
「そうか」
 素直に言うと、リオンがほっとしたように破顔した。邪気のない笑顔は憎めない。
 輝夜はぽつりと訊ねていた。
「昨夜はどうして、あんなふうだったんですか?」
「おまえをがずっと俺のものでいてくれたら、とか思ったら、ちょっとプッツンした」
「……あ、あれが『ちょっと』?」
「…………だいぶ、だったな。うん」

 ――話しているうちに、リオンはふと気がついた。
 恋人でも夫婦でもないから不安なのだ。どんなに身体を繋げて痕を残しても、この異国の少女との関係はすぐに途切れてしまいそうな気がして。
 けれどこの場で「恋人になれ」などという恥知らずな命令もできず、リオンはあてどがないようにさまよわせていた手を、少女の頬にあてがう。
 抱いているときとは違って、輝夜は彼の仕草におびえはせずに撫でられている。
 その様子がまるで仔猫のように見えて、リオンは頬をゆるめた。
「おまえに首輪でもつけとくかな」
「く、首輪はいやです……」
「わかってる。俺だって趣味じゃねえよ。愛玩動物じゃあるまいし」

 ――というより愛人みたいだけれどと、輝夜は内心、自虐的に思ってしまう。
 彼女の複雑な気持ちには気づいていないようで、異国の男は苦笑いのまま続けている。
「だから、妊娠しちまえばいいのにって言ったんだ。そしたら、おまえは完全に俺のものになるだろ」
「……そ、そういう考え方は、どうかと思います」
 反論はするけれど、心は揺れていた。完全にこの人のものになってしまえば楽ではないかと、想像してしまうことがないとは言えないから。
 悩んでいると、ガラス細工にふれるみたいに名を呼ばれた。
「輝夜」
 目が合う。やけに自然に、唇を重ねられた。
 降りかかる金髪が、ちょっとくすぐったい。けれどすぐに、唇から送られるやさしい感触に意識が集中していく。重ねては離れるそれに、輝夜は陶然とした。
 ふと目を開けば、リオンがとろけそうな表情をしていて、思わず鼓動が跳ねた。
「蜂蜜の味がする」
「……あなたの唇は、お酒の味がします」
「ラム酒だな。酒は苦手か?」
「強くはありませんけれど――少しくらいなら、平気です」
 自分から進んで飲むことはないが、隠し巫女として儀式で御神酒を口にしたことは何度もある。
「少しって、どのくらいだ?」
 このくらいなら平気かと、答えを求める代わりのように、また唇を重ねられた。
 そういう意味で答えたわけではないのにと思いながらも、ついばむだけの口づけを受けとめる。最初はいつ彼の手に肌をまさぐられるか不安でならなかったが、髪をかき乱したりする以外は悪戯を仕掛けてこないので、
(恋人がいたら、こんなふうにしていたのかな)
 虚しい想像もしてしまうが、官能の火を煽る目的ではない、じゃれあうような接触は、あまり抵抗感をおぼえさせなかった。抱かれるのが好きだなんて、口が裂けても言えないけれど……彼の口づけは嫌いではないと、言ってしまいたくなる。
「リオン船長……」
 そして本当にそう言いそうになったとき、突然、こめかみに痛みが走った。
(え――)
 これは、まさか、と思ううちに、脳裡にひらめくのはいくつもの映像。
 短い悲鳴をのんで身体をくの字に折ると、すぐに力強い腕に抱きとめられた。
「輝夜? おい、どうした!?」
 間近に青い瞳。
 本気で心配してくれる表情に、場違いに胸を打たれる。
「大丈夫か? やっぱり体調が」
「……違いますッ、これは……わたしの、隠し巫女の霊力で――」
 ずきり、とまたこめかみが疼く。
 心配をかけたくないから、輝夜は締めつけられるような痛みをこらえて早口に告げた。
「稀に――少し先のことがわかるんです。明日は、雨の後に大水になるとか」
「未来、ってことか?」
 こくんとうなずく。
 突飛なことを言いだす娘だと思われただろうかと、輝夜はそこで初めて不安になった。
 おずおずとリオンを見上げるが、彼のまっすぐな瞳に疑いの色はない。
「……信じてくださるのですか?」
「海を渡る間に、そういう能力の持ち主がいるって話は何度も聞いたことがあるからな。何より、おまえは嘘をついたりしないだろ?」
「…………」
「何を見たんだ?」
 無条件の信頼がうれしくて、自分にきちんと向き合ってくれることが幸せで。心が彼に傾きそうになるのを、輝夜はぎりぎりで抑えこんだ。……どうしてこの人は、兄から得られなかったものを、無造作に与えてくれるのだろう。
 それでもリオンの腕から逃れられぬまま、幻視した映像をつなぎあわせて、頭を整理していく。
 やがて、輝夜は言った。
「――この船は、三日後に襲撃を受けます」




2010.10.31 up.

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