消毒し、包帯まで巻かれてしまった右手をぼうっと見つめていると、リオンの手が今度は彼女の左手をとった。
そちらはケガをしていないのに……と目を瞬かせる輝夜の目の前で、リオンはなんと彼女の爪まで手入れしはじめた。輝夜はぽかんとなる。
「あ、あの……どうしてそんなことまで? 船長なのに」
「確かに船長は部下にここまでしねえな。だが、自分の女を可愛がるのは普通だろ?」
「……恋人や奥様はいないんですか?」
「どっちもいないが、なぜそんなことを気にする?」
「それは……」
傷や爪をやさしく慰撫してくれる手つきから、女の扱いの巧さを感じたせいだが。
リオンがにやりと笑った。
「やきもちか」
「! 違います!!」
「なんだ、違うのか。残念だ」
身を伸ばし、赤面した彼女の頬にからかうように唇を落とすリオンの表情は、悪戯に成功した悪ガキそのものだ。とても憎たらしい。
けれど彼女を怖がらせないように慎重に距離を縮め、そっと身を寄せてくるリオンの妙にけなげな様子が、輝夜をどうにも惑わせる。
――『少しでいいから、俺を好きになってくれるといいかもな』
冗談めかしているようで、切実な響きで告げられた言葉。
(わたしがこの人に素直に応えれば……この人も、わたしを扱いやすくなるから?)
最悪の方向に考えようとしてみるが、絶対にそうだ、とは輝夜も思いこめずにいる。
だって――
ときどき強引になるの以外は、リオンは本当にやさしいのだ。
そんなふうにしているうちに、輝夜の手とリオンの手の体温はすっかり馴染み、両の手をそれぞれ握り合うようにされても違和感を抱かないほどになっていた。静かな温もりはなんとも心地よく、輝夜の緊張を自然とほどいてしまう。
「島では楽しんだか?」
「はい。ああいうふうに遊んだことはあまりなかったので、おもしろかったです」
「でも仕事してても楽しそうだよな、おまえは」
「勉強になりますから」
「ほう。こき使われて楽しいとは、変わったやつだな」
「わたしにとっては、できる仕事があるのは嬉しいことなんです。母国でも自分のことは自分でやりましたし、兄の手伝いだって――」
まあ、手伝いといっても、雑用程度なのだが。
乳母も務めてくれた年長の巫女には「我らの筆頭たる隠し巫女さまがそのようなことをなさっては、下々の者に示しが……」と、よく困った顔でたしなめられたものだ。
けれども、兄・凍星が身を粉にして国のために尽くしているのを間近で見ているのに、綺麗なお飾りの巫女さまでいるのは、輝夜にはどうしても耐えがたかった。
「俺といるよりも――俺に抱かれているよりも、甲板作業のほうが楽しいか?」
「……ッ」
意地の悪い、なのに内容に反して不思議と下卑たものを感じさせない問いかけ。
言葉に詰まって顔を上げれば、青い左目とかち合う。
「冗談だ。真面目に悩むなよ」
決まりの悪そうな笑みに魅入られたように、至近距離で海の色の瞳を見つめていると、リオンは漆黒の眼帯をするりとほどいた。
現れた右目の真紅。
左目の青との不思議な調和に思わず見惚れていると、いつしか、リオンの顔が自然に近づいていた。
「ん……」
温かくて乾いたものに唇がふさがれる。何度も角度を変えながら、ゆっくりと口づけが深くなる。輝夜はぎゅっと目を閉じて、リオンの口づけを受けとめた。
そっと花を摘むように抱き寄せられたせいだろうか? 流れる黒髪とともに首筋や背を撫ぜられても、嫌悪感が生まれなかった。
「……おまえ、身体は大丈夫か?」
「え?」
「手以外に、どこか痛かったりはしないか」
リオンが輝夜の唇の上でささやく。
一時的に口づけの呪縛を解かれた輝夜は、正直にうなずいた。聖玉のお蔭で、漂流と陵辱を経験したとは思えぬほど身体の調子はいい。
もっともこの場合、それは幸運なこととは言い切れないが――。
「輝夜」
名を呼ばれ、はっとしたときには寝台に押し倒されていた。
急に熱気をはらんだ夜気の底で、輝夜は震えながら、男の色違いの瞳を見上げた。
いつのまにかほどかれていた黒髪が、大きな手で梳かれて。
「おまえを抱くぞ。いいな?」
――二度目の夜はそんなふうに始まった。
あれほど警戒していたのに、あっけなく。