ラム酒の空き瓶に花を活けてみたあとで、ふと――身を清めたから、幻視ができはしないかと思いつく。
(――あにさまが、今どうしているのかがわかれば)
幻視とは、鏡や澄んだ水に霊力をこめて遠くの景色を視る、千里眼のような術だ。隠し巫女としては基本的な霊力の使い方といえる。
貞節を穢された身ではあるが――母は、凍星と輝夜を生んだ後も隠し巫女としての務めを果たしていたから、大丈夫ではなかろうか。
リオンが朝に使う器を拝借して、外で水汲みをしている海賊たちのところに向かうと、清水を少しだけ分けてもらった。輝夜がリオンのためにそういう用意をするのは毎日のことだったから、何も疑問に思われない。
船長室にとって返し、本来の巫女装束を取り出す。
少し迷って、少年服の上から白の小袖をはおるだけにしておいた。完全に着替えてしまうと、急に誰かが来たときにマズいかもしれない。あまり飾りけはないし、異国の人間にはそうとわからないようだが、これは女性の衣裳なので。
清水を満たした器の前に、膝を落とす。
「――初姫神女よ、あなたの末裔に天啓と恵みを賜いますように」
しばしの瞑目ののち、唱え慣れた式文が、輝夜の唇からすべりだしていく。
最後まで唱え終えたら、もう一度最初から。
小さな声で繰り返しつづけ、集中力を高めていく。
自分の中で何かがふとほどけ、世界に満ちた見えざる力と響き、溶け合い、輝夜の求めるものを呼び寄せる。
(来た――)
国を遠く離れた場所で、しかもにわか仕立ての水盤とあって、苦心して視えた映像はかなりぼやけていた。明るい部屋に細身の人物がたたずんでいることや、崩れた建物の間を多くの人影が行き来する様子がかろうじて見てとれる。
(たぶん……壊れた城や街を、復興してるんだ)
(あにさまは、生きておられる)
安堵して胸を撫で下ろしたとき、不意に背後でした物音に気がついた。
「輝夜――何してるんだ?」
不思議そうな声。
はっとして振り返ると、湯で肌を清め終えたリオンがすぐそばに立っていた。
目が合うと、軽く眉をひそめられる。
「――ん? 悪い、邪魔したか」
「いえ……大丈夫です。九割方終わっていましたから」
なんの九割だ? とさらに問いを重ねられ、輝夜は素直に答えた。
「身を清めることができたので、母国であにさまがどうしているかを占っていました」
「その格好でか」
そんなのでいいのか? と疑問を呈するように、リオンが眉をひそめる。
身を清め、穢れなき衣をまとうことが義務づけられているのは、隠し巫女という立場を他の人々に神秘的に見せるため、という目的が大きい。ひと目でなんの役かがわかるように、面や舞台衣裳を着用するのと同じだ。
占いや託宣自体は、たとえ顎の下まで泥水に漬かっていようが実行できるだけの修錬を輝夜は受けてきている。霊力はもちろんのこと、集中力も鍛えられて。
「結果はどうだったんだ?」
「あにさまはご無事のようです。城や国内の被害の程まではわかりませんが……」
総大将の凍星が無事ならば、城自体の被害もそこまで大きくならなかったはずだ。破壊された町に関しても、凍星ならば迅速にして的確な指示で、復興を促すに違いない。ひとまず、輝夜の心配は解決された。
「よかったな」
「……はい」
こくんとうなずけば、大きな手が輝夜の頭をやさしく撫ぜてくれる。
兄が妹にするような仕草に輝夜がついなごんだとき、リオンは無造作に続けた。
「じゃ、用が済んだなら、こっちに来い」
腕を引いて立たされた輝夜は、内心どきりとする。
リオンが顎をしゃくって示したのは――彼の寝台だ。夕明かりが、敷布を深い橙色に染めている。
その場所でリオンにすべてを暴かれた記憶も生々しい輝夜は、またあんなふうに抱かれてしまうのかと思って、思わず顔をこわばらせたが。
「あー、違う違う。少なくとも今すぐおまえをどうこうする気はないから、そんなに怯えた顔をするな」
揺れる藍色の瞳に悲しみを見つけたリオンは、とりなすようにそう言った。
彼を完全に信用したわけではないが、輝夜はひとまず身体のこわばりを解いてみる。おずおずと寝台の端に腰を下ろすと、次に、手を見せるよう命じられた。
内心疑問符を浮かべながらも従えば、リオンは彼女の白く小さな手を前にして、妙に険しい顔になる。
「ケガしてるじゃないか」
「索具の補修をしてるときに、うっかり……。でも、ただの掠り傷ですから」
「小さなケガから病気になる可能性もあるんだ。おまえが病気になれば、船医はもちろん他の船員たちにも面倒なことになる。今度からは、変に気を回さずに報告しろ」
思いがけず厳しい、船長の威厳を示す声に輝夜は驚き、そしてうなだれた。
「……すみません」
「ばか、落ちこむなよ。次から気をつければいいと言ってるだけだ。わかるな?」
「はい……」
念を押されて、輝夜ははっきりとうなずく。
素直な彼女に、「いい子だ」と満足げに微笑んだリオンが口づける。ふれるだけの接吻だったが、慣れないことに輝夜が再び硬直してしまうのをよそに、金髪の海賊は彼女のケガを過ぎるほど丁寧に手当てしてくれた。
(……どうしてそんなに、やさしいの)
いたわる指遣いに、輝夜はふと、泣きそうになる。
この人は本当に卑怯だ。無体を強いたのと同じ手で、何度も、この上なくやさしくふれてくるなんて。