「――おい、ちびすけ! 甲板みがきが終わったんなら、操舵手を手伝ってやんな!」
「はい! すぐに行きます!」
額に傷の海賊に、吼えるように呼ばれる。
少年海賊のいでたちをした輝夜は、急いで掃除用具を片づけると、指示に従った。
(バレてない……よね)
胸のふくらみはサラシで押さえた。細い肩は麻のシャツの上にこの季節にはやや厚手の胴衣を重ねることで、男よりずっとなよやかな腰の線はサッシュと呼ばれるあざやかな紋様の一枚布で隠している。
(……まあ、わたしはそんなに女っぽいほうでもないし)
船長付きの召使でも、リオンの世話だけを焼いていればいいわけではないそうだ。
見るからに華奢で非力な「ちびすけ」にも、船内の作業がちゃんと割り当てられる。数時間刻みの当直、甲板みがき、リオンに習った索具や帆の修理などなど。一週間もする頃には、輝夜は船での作業とその流れに慣れはじめていた。
もちろん熟練の技には程遠いが、最初のころのように、指示に混じる船乗り独特の用語(船員によっては訛りがきつくて難儀した)の意味さえわからなくて、もたつき、迷惑をかけることは少なくなっている。
「――ほお。おまえさん、手先が器用だな」
「副長」
リオンの有能な補佐だという青年海賊――ランディに話しかけられて、輝夜ははたと手を止める。
船首楼にある厨房だ。今日は夕食の下ごしらえの手伝いに呼ばれていて、輝夜は見慣れない形の野菜を、次から次へとさばかされている。
屈託のない笑顔のランディは、輝夜の隣にあった樽に腰を下ろしてくる。手には、かじりかけの乾燥果物。どうやら彼は休憩時間のようだ。
「もしかして、料理が得意なクチかい」
「一応、慣れてはいます」
緊張を覚えながら、輝夜は答える。無理がバレない程度に声を低く作って。
母国では、夜を徹して国主の仕事に打ちこむ兄・凍星のために、よく夜食をこしらえたものだ。凍星はうまいまずいと感想を言ってくれる人ではなかったが、必ず残さず食べてくれるので、輝夜に小さな幸せを与えてくれた。
「俺もイモを剥くのだけは得意なんだ。手伝ってやろう」
「え。でも、副長にそんなこと……」
「いいからいいから。どうせ暇なんだ、一緒に遊ばせてくれや」
にこにこと笑いながらナイフを取り出し、ランディはイモを手にとる。手の中でイモを転がすようにしたかと思ったら、あっという間につるりと剥けた中身が現れたので、輝夜は驚いてしまった。まるで手品のようである。
「……は、早いですね」
「だろ? 俺はちぃっとイモにはうるさいんだ。これを薄く切って新しい油でさっくり揚げるとうまいぞ。酒のつまみにも合う。――ああ、ラム酒はもう飲んだことあるかい?」
「水で割ったものを、少し。あまりお酒は得意ではないので」
輝夜は海賊の暮らしというものをよく知らないが、思ったよりも刺激的ではなかった。
略奪を働くには獲物(船)を見つけなくてはいけないが、ここは外洋なので他の船と接近することはまずない。リオンたちは宝探しに血道を上げる類の海賊ではなく、略奪と、海賊同盟が手配した賞金首狩りと、普通の交易を組み合わせて、安定した収入を得ているのだという。輝夜の国のそばを通りかかったのも、賞金首を追ってのことだったとか。
――結果、輝夜ははじめに不安に思っていたほど危険にさらされず、海賊たちにもまじめな新入りとして可愛がられ、平穏に過ごしている。
(でも、こんなふうに単調で退屈で――女もいないから……)
リオンはわたしに手を出したのだろうか、と思ってしまうと惨めだ。
「リオンには可愛がってもらってるか?」
「……あ、はい。いろいろと、教えていただいています」
思わずどきりと跳ねてしまった心臓をあわててなだめつつ、無難な言葉を選ぶ。
ランディは彼女の動揺に気づいたそぶりはなく、おおらかに笑った。
「あいつが召使を持つなんてめずらしい風の吹き回しだと思ったが、仲良くやってるんなら何よりだ。国に帰るまで、召使の仕事、がんばれよ」
「……はい」
自分がそういう意味で「可愛がられている」ことまでは、ランディは知らないはずだが――リオンに抱かれた夜に、彼に部屋の外に立たれたあの記憶が鮮烈なだけに、どうしても身構えてしまうのだ。
(それに……この人は――)
黒髪、淡褐色の肌、穏やかな若葉色の瞳。端整さよりは愛嬌を感じさせる顔立ち。
リオンとは光と影のように対照的な容姿だが、普段の明るさは、笑顔を絶やさないランディに軍配が上がる。けれどランディは、笑顔の一枚下に何か黒いものを隠していそうな気もしてしまうのだ。これでも海賊なのだと思うと。
輝夜はなんとも言えぬ緊張を道連れに、副長と並んでイモを剥いていった。