目次 




 アダマース号での生活は、驚きと緊張の詰め合わせだった。

 リオンは輝夜のことを「日之本生まれの十三歳の少年」で「国主の弟だが、海のいくさで事故に遭って流された」「次に東方の海域に行って、身代金と引き換えに解放するまで、ここで船長付きの召使として働く」――などと、船員たちに説明したそうだ。
 歳を偽ったのは、西方人の目には、輝夜はとても十七歳に見えないからだという。
 納得はしたが、憮然とするところもないではなかった。十三歳って。
(わたしはもう、そんな子供じゃないのに……)
 ……いろいろな意味で。
 などと自嘲的に考えれば、脳裡にあの鮮烈すぎる一夜がまざまざと甦る。
 魂を奪うような口づけ。身が裂けるような痛みとともに身体を開かれた。圧倒的な熱量が、奥深い場所を何度も蹂躙した。意識が途絶えそうになるたびに、口づけで覚醒させられた。自分と同じくらい息を乱したリオンが、彼女の身体の上で動いていた。
 なぜかときどき、切なそうな表情をして――
(こんなこと……思い出したくないのに)
 何もかもが初めての経験で、終わった後は、もうたくさんだ、二度とこんなことはしたくないと思うくらい全身が気だるくて。
 なのに輝夜の身体はときどき、本当になにげない刹那に、あの感覚を思い出してしまうのだ。西方の言葉の本を読んでいるときや、甲板で風に吹かれているとき、夕食後の洗い物の手伝いをしているとき……。
 そのたびに、ひどく動揺してしまう。
 輝夜の懊悩をよそに、身体はあの激しい感覚をしっかりと記憶していて……それがどうしようもなく恥ずかしかった。

 ――あれ以来、リオンは輝夜を褥に引きずりこんではいない。
 ふたりきりの隙を見つけては彼女に軽く口づけたり、黒髪やうなじにふれてきたりはするが、その先にある行為はまだ強いられていなかった。輝夜が再び手籠めにされる日を想像しては怯えていることを、見抜いているのだろうか……?
 リオンはただ自然に、船上生活に慣れない輝夜をそれとなく手助けしたり、いろいろなことを教えてくれたりした。




「――切れたロープは、こうやって組み接ぎする。おまえには力仕事はさせないが、こういう作業はしてもらうことになるな。男のフリをするのに、何も仕事なしってわけにはいかないからな。」
 午後の太陽が傾きはじめるころ――
 舷窓を大きく開けた船長室で、輝夜はリオンから、船上作業の手ほどきを受けていた。
 本当はしかるべき先輩の船員が「教育係」となるそうだが、リオンの召使だから、彼が暇を見つけて指導することになった。本当は、他の船員と親しく接触することで、輝夜が女だとバレないようにだけれど。
 あぐらをかいたリオンの手元を、彼の傍らに座ってのぞきこみながら、輝夜は言う。
「切れたロープをつなぐのですか?」
「ああ。ロープは船にとって、全身を操る神経みたいなものだからな。しっかりつないでおかないと、作業中に怪我人や死人を生むこともある。しかも海上では、略奪しない限り調達はできない」
 話しながらもリオンの手は淀みなく動き、ロープを手早くつないでいく。
 その手を、魅せられたように輝夜は見つめていた。輝夜にもふれた手を。
(……器用な人)
 ついでにときどき、彼の表情を盗み見てもいる。

 陽光をあざむく金色の髪。
 今は青い左目だけをさらした横顔。すっきりと高い鼻梁、硬質な凛々しさと、そこはかとない艶に彩られた造作だ。
 東方人の輝夜にはあまりなじみのない容姿だが、魅力的だと思う。こうして指導してくれるときの表情は穏やかで、なんとなく幸せそうにも見えて、とても輝夜に無体を強いた男とは思えないほどだ。輝夜は複雑になる。

「――最後に余った部分を切って、完成だ」
 あやとりか組紐を作るみたいなリオンの手さばきは、瞬く間に終了して、綺麗につながれたロープが現れる。
 魔法のようだと素直に感心していると、千枚通しのような道具をぽんと渡された。
「こんな感じだ。やってみろ」
「えッ……でも、まだ全然よくわかっていないのですけど」
「習うより慣れろだ。間違えたら教えてやるから」
「……わかりました」

 逆らうことなど思いつかないから、うなずき、端がほぐれた二本のロープを手にとる。
 きゅっと眉をひそめて、慣れない道具に悪戦苦闘していると――
「もう少し力を入れて編んでいいぞ。おまえの手の力なら、強く引っ張りすぎたって引き千切ることはないからな」
「……ッ!」
 無造作に手が重ねられた。それも、背後から抱きしめるようにして。
 背中に感じる男の重みと温もりに、輝夜は身体がびくつくのを押さえきれなかった。身体がどうしても思い出してしまう。彼に甘く激しく蹂躙された、あの一夜を。波と風の音が急速に遠のくような錯覚に、自分の鼓動が早まるのを聞く。

 無駄にどぎまぎしているうちに、組み接ぎの指導は終わってしまい、輝夜の手の中にあったロープもひとつにつながれた。
「――輝夜」
 やっと解放されるかと思いきや、リオンに低い声に名を呼ばれ、輝夜はさらに高まる自分の鼓動にほんろうされた。迫りくる熱から逃げるみたいに、ぎゅっと目を閉じる。――どうしよう。甦る淫らな記憶のせいで、彼の顔がまともに見られない。

 うろたえる彼女の耳に、リオンの切望をにじませた深い声音がしみこんだ。
「しばらく、こうしててもいいか?」
「ッ……わたしは夕方、甲板で仕事を頼まれてて――」
「わかってる。少しだけだ」
「でも」
「そう怯えてくれるなよ。おまえが怖がることはしないから、な?」
 そこまで熱心に口説かれてしまうと、基本的に気が強いほうではない輝夜には逆らいきれない。観念して――あの夜の狂うような熱さとは違う、リオンの体温に包まれた。

 ――彼が本当に、これ以上のことをする気がないのだとわかれば、輝夜はようやく呼吸ができるようになる。
 密着していても、不快感はない。
 それどころか不思議なほど心地よかった。魂ごと守られている気がして、彼の胸に身を投げ出したくなってしまうほどに。
 自分を陵辱した人なのに、そんなふうに思わされてしまうのは――この船の中でリオンだけが輝夜の素姓を知って協力してくれる人だから、という理由だけではない気がする。

(どうして……こんな――)
 逃げだしたいのに、このまま閉じこめていてほしいような、矛盾した気持ち。
 異性にふれられて、こんなにも胸をかき乱されるのは、輝夜にとって初めてのことだ。すでに彼とは身体を重ねた関係なのに――いや、だからこそなのだろうか……?
 穏やかな抱擁の中で小さくなりながら、輝夜はずっと、乱れる心を持て余していた。




2010.09.01 up.

 目次 

Designed by TENKIYA