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「……つうかおまえ、身体は大丈夫なのか? 今の話の通りなら、おまえは夜明けからずっと海水に浸かってたことになるぞ」
「そういえば……でも、不思議と平気みたいです。あなたは、わたしを助けてくれたときに濡れたのは、もう大丈夫なのですか?」
 海水をたっぷり呑んだせいで腹が減らないのか? と一瞬思ったが、それなら気分が悪化するし、最悪の場合死ぬはずだ。輝夜は本当にけろりとしていて、彼女は最初からこの船に乗っていたのではないかと錯覚しそうになる。

「心配されることでもねえよ。海の上じゃ、濡れるのなんて日常茶飯だしな」
「……助けてくださって、本当にありがとうございました。これも無事で……よかった」
 これも、というところで、少女は胸元を押さえた。あの宝のことのようだ。

 当初の緊張をやわらげるにつれ、輝夜の表情は雪解けを迎えた春の山のように穏やかさを増していく。小さな花がほころぶような微笑みは、可愛らしいが目の毒だ。
 ひと通りの疑問を――謎の首飾りのことを除いて――解消した頃、リオンは自分がまだ眼帯をつけ直していなかったことに気づいた。相手は初めて逢った少女なのに、未だかつてないほど無防備になっている自分に気づいて、複雑になる。

 眼帯を目にあてたところで、不意に少女と目が合った。
 一瞬、気まずい沈黙が下りる。
「どうした? 俺の顔がおかしいか」
 いささか意地悪く切り返してやると、輝夜は途端に慌てた。
「ごめんなさいッ。あなたみたいに、色違いの宝石をはめこんだような瞳の方を見るのは初めてだったから、つい見惚れてしまって」
「……宝石?」
 恐縮して言い訳する少女を、リオンは信じられない想いで見つめた。
 実の母親にさえ、不気味だ呪いだと疎まれた瞳である。宝石だの見惚れただの言われたのは、もちろん生まれて初めてだ。まっすぐすぎる賞賛に、うれしいとか照れくさいとか感じるよりもまず、動揺に心臓が鷲づかみにされる。

 茫然としたまま、生まれつき達者な口だけが勝手に動き、素直ではない言葉を吐いた。
「……感動とはえらい物好きだな。この目を見た奴は普通、怖がるぞ。悪魔の目だって」
「わたしも、怖がったほうがよかったのですか?」
「誰もそうは言ってねえだろ。おまえが変わってると言ってるだけだ」

 普段なら、まるで盗んだ物を懐に押しこむみたいに、すぐに眼帯で隠してしまう深紅の左目をさらしたまま、挑むように見つめても、少女の藍色の瞳は不思議な深みで彼を受けとめている。
 嘘を知らない、いっそあどけないほどの瞳が、胸にしみた。
「おまえ――歳は?」
 唐突だが、今さらという問いかけでもあった。
 輝夜は無防備に答える。
「十七です」
 リオンより六つ下だ。
 未熟だが子供ではない年齢を聞かされて、最後のたがが外れる音が頭の中でした。……まずい。ありえない。俺が、こんなあどけない娘に。でも。

「あの――」
 細い指にシャツの袖を引かれた。
 胸の奥に渦巻くものが少女に伝わってしまわぬよう、気を張りながら振り返ると、輝夜が心細げに眉尻を下げて、こちらを見上げていた。
「なんだ?」
「助けていただいたのに、こんなことまで言うのは心苦しいのですれけど……」
「言うだけ言ってみろ。聞いてやるから」
「――わたしを、日之本まで送り届けていただけませんか?」

 懇願するような弱い声。
 頼るものは、リオンしかいないとでも言うような。
 それを聞いた瞬間――リオンはひどく残酷な気持ちに駆られて、言葉を紡いでいた。

「あいにく、極東の島国如きに寄港する用事はないんだがな」
「そこをどうか……! わたしは今は無一文ですが、国にさえ戻れれば、兄があなた方に十分な礼金を用意してくれるはずです」
「ただの金には興味がないな。そんなもの、この近所で商船でも襲えばすぐに稼げる」

 口が勝手に氷柱でなぶるような声を紡ぎ、頼るもののない哀れな少女をじりじりと追いつめていく。リオンは、さっきまで心臓を鷲づかみにしていた苦しい想いが闇に呑まれるように遠のき、自分の声と表情がどんどん冷酷さを増していることに気づいていた。
 まるで刃を砥いで切れ味を高めるようなこれは、海戦に挑むときの心理状態にそっくりだ。
 狙いをつけた船に近づき、砲弾を浴びせて蝶の翅をもぐように抵抗の力を殺ぎ、屈服させるための策を練り上げるときの。

 絶対に手に入れる、と決めたものを奪うときの――



2010.09.01 up.

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