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 ――夢としか思えない夢を見た。

『あにさま、輝夜は無事に戻りました。聖玉せいぎょくはここに』
 駆け寄り、誇らしい笑顔で聖玉をさしだした輝夜を、兄がゆっくりと振り返る。
 すっきりと整った、時に月のように冷たく見える面差しが、ふわりとやわらぐ。
 冬晴れの空を思わせる微笑みに、輝夜はため息をつきたくなるほどに見惚れた。

大儀たいぎだった。非戦闘員の避難の指示といい、よくやった。さすがは我が妹よ』
『あにさま……』
 率直な褒め言葉に、輝夜は驚きと喜びの奔流ほんりゅうに呑みこまれる心地を味わった。

『しかし、船から落ちて、いろいろと苦労したそうではないか。何があった?』
『はい、あにさま。実は敵の忍びが、武器庫に忍びこんでいて――』
 ――これは夢だ。
 我ながらあきれるほど都合のいい妄想だ。

 頬を上気させて兄に話を聞いてもらう夢の中の自分が、輝夜にはいっそ憐れだった。
 だって実際には、兄がこんなふうに穏やかな愛情をこめて微笑みかけてくれたり、輝夜の他愛ない話まで聞いてくれたことなど、一度もないのだから。
 兄はいつも苛立ちを一枚下に隠したような仏頂面で、国を守る策に奔走していた。
 輝夜は物心ついたときから、兄の背中ばかり見つめて育った。たった一人の家族に振り向きもされない寂しさを、自分を説得して、胸に押し隠しながら。

(あにさまは国主なのだから)
(わたしのわがまま如きに心を割く余裕なんてなくても、仕方ないのだから)
(わたしだって、あにさまの負担になんてなりたくないから……これでいいんだ)




 輝夜の住む国は、初姫神女はつひめしんにょを奉じる独特の信仰によって「聖地」とも呼ばれている。
 兄・凍星とともに輝夜が住む枯山城は、関東内湾の入り口にあり、いくつものよい港に恵まれていた。輝夜の一族は代々、内湾を暴れ回る海賊どもを平定しながら、異国からの貿易船を積極的に受け入れることで財をなし、国力を蓄え、ただの海辺の小国にはない存在感を周辺各国に示している。

 ――しかし、時は戦国。
 京の都で爆ぜた戦乱の火種は、瞬く間に日之本じゅうを戦火に叩きこんでおり、凍星も家督を継いだその日から、聖地が他国に踏み荒らされないよう粉骨砕身ふんこつさいしんしていた。その冷徹だが美しい姿に、輝夜はずっと憧れていた。
 愛されなくても、よい働きであったと褒めてほしくて、兄の背中を追いかけた。
 隠し巫女――初姫神女から受け継いだ霊力をすべてその身に隠す巫女としての役目は、もちろん忠実に務めた。もしものときに備えて武術の腕をみがき、兄の話についていけるように、さまざまな勉学にも打ちこんだ。
 ――凍星は一度として、輝夜の助力や助言を求めたことはないけれど。

(巫女なんかより……戦であにさまの役に立つ兵士になれればよかったのかな)
(わたしが男だったら、絶対に、あにさまのために戦う武人になったのに)

 凍星はどこの大名と同盟するつもりも、他国を侵攻する気もないという「中立」を宣言して、聖地の平和と繁栄を守ることのみに関心を向けていたが、今回侵攻してきた上総の国主は、それを信じていなかったようだ。もし仮に聖地が西の大名と結託したら、内湾からの海路を絶たれた関東の八州は、軍事的・経済的に大きな痛手をこうむる。
 そうなる前に、憂いの種を取り除ければ――というもくろみだろう。

 輝夜が物心ついてから、十七になる今までにも、似たような侵攻は何度かあった。
 そのたびに敵は凍星の仕掛ける冷徹な知略の前にほうほうのていで退散していたのだが、今回の攻撃は少し様子が違った。腕利きの忍びと長い仕込みの時間を使って、凍星の家臣のひとりを寝返らせ、奇襲をかけてきたのである。
 動揺で瓦解しかけたとはいえ、凍星はすぐに体勢を立て直して反撃に出ると思われる。

 そう信頼していても、不安は膠のように心にへばりついてきた。
(あにさま……ご無事だろうか)

 夢の中の自分はまだ、兄と和やかに会話している。
 絵空事のような光景を切なく見つめながら、輝夜はまだ無意識の波間に揺れていた。



2010.09.01 up.

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