** 恋愛自転車操業 **
#5. 誰が為に愛の為に それぞれの覚悟
「ねぇ、どうしたらいい?」
見上げる顔は青白く、血の気のない唇が微かに震えた。
「どうしたら・・って、あの、」
「あたし、どうしたらいいかわかんないよ・・・・あたし・・・・」
ミルルが泣いている。
華奢な肩を壁に預け、両手で自分を抱き締めるようにして泣いている。
「な、泣かないで、ね? ミルルさん、どうしちゃったの?」
タクヤはおずおずと手を伸ばす。
臆病な小鳥を捕まえるように、そっと手を伸ばす。
剥き出しの肩がひんやり体温を失っていた。 と、触れた瞬間トスンと飛び込んで来た心許無い身体。 ふわりとした感触。 戸惑うタクヤを見つめる、怯えた仔猫のような瞳。
「・・・抱いて・・・」
「え?!」
おもむろに大回転する天地。 ウォリャッと見事な背負い投げが決まり、何故だかダブルベッドに投げ出されるタクヤ。 ボヨンと大きくワンバウンド。 尻をつき膝を立てたその間に、これまた何故だか悩殺ランジェリーのミルルが女豹のポーズで
「タクヤ君と、したい・・・・」
「み、ミルルさん?!」
「・・・して・・・」
「エェエッ?!」
にじり寄るミルルはタクヤに馬乗りになり、そして背中に手を回してファスナーを、
・・・・ ファスナー?
ベロンとバナナの皮のように捲れるセクシィバージョンのミルル、そして内側から現れたのは
「優しくするから任せろッ!」
「ホクジョウさんッ!?」
イヤァァアア〜〜〜〜〜〜〜〜ッッッ!!
夢は心の真実を写すという。
ならばコレは何なのだと、タクヤは今朝も頭を抱えた。
ここ数日のタクヤは、このような夢にうなされ、厭な汗を掻き、声無き叫びをあげ飛び起きる。 AVだのソープだの、そっち方向のイメージでミルルをちゃっかりオカズにしている自分を最低だと思った。 そしてピンクドリィムのラスト、決まってホクジョウを登場させる己の深層心理が全く理解出来なかった。
「でも、アナタを思う気持ちはホントなんですッ!!」
壁二つ向こう、まだ眠りの中にいるミルルに向かって懺悔するタクヤ。 時刻は五時半。 仕掛けたご飯が炊ける頃だ。 今朝はメザシを焼こうと思った。 出汁巻き卵にシラス、大根卸し、ミルルの好きなナスと胡瓜の塩もみも添えよう。 上手い飯を作るのがせめてもの罪滅ぼしになるのなら。
ましてや今日はトクベツだった。 今日、ホクジョウは例のストーカー男を訪ねる。 そして全てが解決するかも知れない、大事な決戦の日なのだから。
**
トトトトトト・・・・・軽快な包丁の音と味噌汁の匂い。 柔らかな朝。
幼い日の記憶、優しい母の声で起きる朝の穏やかな記憶。
「お、は、よ・・・」
「・・おは・・・ォオッ?!」
リアル過ぎる生肌の感触とあざとい瞬き、誘惑の鼻先四センチ。
「・・・まだ早いよぉ、んん・・・・もう少し・・・・」
「は、離れろッ!」
「いやぁ〜ん・・・・・」
「イヤン言うなッ! 足絡めるな! そ、そこは、」
するりと潜り込む指の、実に的確なグリップ。
「ふふふ、勃ってる・・・・」
「朝だからだッ!」
ブワサァッと布団を跳ね上げ、ムササビのように跳躍するホクジョウ。 マニア向けベビードールを纏い、 「け〜ち!ヨワムシ!根性ナシ!」 と罵りながら、ウリャッと枕を蹴り飛ばすミルル。
コレがここ数日のホクジョウの日常。
ミルルプロデュースによる、危険が一杯なホクジョウの朝。
「なァミルル、おまえは美人だしナイスバディだし頭も良いし度胸もあるし喧嘩も強くて寝室の魔術師という噂だがなぁ、だけど」
「でもホモだから諦めろって?」
キラリンと輝く猫目。 凄まれて、闇雲謝りたい気持ちに襲われるホクジョウ。
「ま・・・直裁に言えば・・・」
「あぁん聞こえませぇ〜ん。」
「聞けよッ!」
「じゃあたしも聞くけど、あんたはそーゆー斯くも頼りがいのある有能なあたしを選んでくれるの? それとも胃袋と下半身に有効なだけのアイツを選ぶの?」
そういう問題じゃないだろうとホクジョウは思った。
性の不一致こそあるが、有能で男気のあるミルルとならどんな困難にも打ち勝てる気がしたし、願わくば生涯対等に付き合いたいと思っている最良のパートナーだった。 かと云ってセクシャルストライクゾーンど真ん中の容姿も去る事ながら、共に過ごしてわかるタクヤの日溜まり的な和み、癒し ―― あぁカレとなら小春日和な毎日が送れそう! ―― なハッピィ願望を、そう簡単には捨てられないホクジョウ。
だがミルルはそんな温い反論を許さず、尚も究極の選択を迫る。
「両方とか言うのはナシよ。 あたしはあんたが好き。 えぇあんたがホモなのはわかってるけど、あたしは簡単には諦めらんないの。 諦めないわよ。 ただし・・・・あんたがあたしよりアイツを選ぶってのならまァ、身を引くしかないけど・・・・・・用ナシになるなら消えるわよ。」
「ミルルッ!」
音もなく床に降りた爪先が綺麗な弧を描いてホクジョウの脛を払い、したたか打ち付けた腰。 うめく暇もなく、胴中に乗り上がるミルルが唇すれすれに囁く。
「あんまり焦らすとヤッちゃうわよ?」
身体だけは許してッ!!
うら若き小娘ミルルを相手に、ホクジョウ心底貞操の危機を感じた。
なんか、この娘、遣りかねないぞ・・・。
**
「・・・・ッてな気苦労を、一体どいつに語ればイイのか・・・・」
車でなら三十分だというのに、電車はノラクラ人の気も知らずに走った。
下りの各駅は乗客もまばら。 背中を丸め座り込むホクジョウは、見たとこ出社拒否のサラリーマンのようにも見える。 実際、行きたくない気持ちも多々あった。 行きたくない 。いや、行かなきゃイケナイのはわかっているが、何ていうかこう、行って勝てる自信がない。
男の居場所は二年前の調査資料をもとに、当時の関係者を手当たり次第に当たって調べた。 そうして先日、ホクジョウは元ストーカーの居場所を突き止める事に成功する。 男は勤めていた企業を辞め、今はN市にある実家の小さな工場を継いでいるらしい。 かつてのエリートは、ある意味出世街道を離れたのだ。 となると、その事で日々悶々とした男がついには逆恨みの嫌がらせに出たとしてもまァ、考えられる線だろう。 だが、ここで一つの問題が起こった。
消印から推察すると、これまで投函されてきた中傷文は全て町内から、毎日同じくらいの時刻に投函され回収されている事がわかった。 つまり犯人は同じ町内に住んでるか、もしくは頻繁に通える状況にあるという事。 とすると、隣町で工場勤務している男と犯人をイコールで結ぶのは100%正解とは言い難くなる。 疑いがあるだけで、一度裁かれた人間を訪ねる非常識にホクジョウは躊躇い、暫く様子を見る予定だった。 が、事態は急変した。
昨夜ナカヤマ家の玄関前に放置されたビデオ・・・犯人自らがそこに運び、放置したミルル主演のビデオ。 そう本数も出なかったビデオを持っている人物はそう多くはない筈だった。 つまり犯人は、ハッタリでなくミルルの過去を知っている人物。 しかもソープ時代より前をも知っていて、ミルルがホクジョウと組んだ事もナカヤマ家に出入りしている現状をも知っている人物。 そしてミルル本人、或いはホクジョウをも含め少なからず恨みを持っている人物。 その点で言えばやはり、男は犯人に近い位置にいる。 だが、確証は無い。 しかしもう、リーチが掛かってしまった。
「あたしは気にしないけど、でもビックリしたわね・・・」 と、ナカヤマ母は言ったが、皆がそう言ってくれるとは限らないのだ。 今朝までの段階ではまだ、他に不信物が届いたという連絡は無い。 が、しかし悠長な事は言っておれないだろう。 これまでホクジョウはタクヤにアリバイ工作を任せ単独で行動していたのだが、常にホクジョウが見えない不自然さにそろそろミルルが勘付き始めていた。 結果、ミルルに張り付くタクヤが当たられているのも限界だし、こそこそしている自分達を面倒な方向で勘ぐられるのもなかなかにキツイ。
ここ数日、ミルルのアプローチが荒っぽくなっているのも、恐らくそんな影響なんだろうと思う。 いい加減バレルのも時間の問題だった。 何よりホクジョウ自身が、早く蹴りをつけたくなっていた。
「キツイよなァ・・・・」
毎朝エスカレートするエロティックテロル。
さー今日も働くわァ〜 と伸びをしながら部屋を出るイメクラ仕様の後姿を見送り 「みんなおまえが大事なのだッ!」 と、言ってやりたいけど言えない葛藤に、ホクジョウは胃壁がキュゥッと縮まる思いがする。
あぁホントにもう言ってやりたい、
人の気も知らないで直情直進型アニマル小娘がッ、可愛いじゃないかッ!
ガタンと電車が停まり、間延びしたアナウンスがホクジョウを我に返す。
いよいよ次の駅だ。 男はそこに居る。
そしてホクジョウは、男に 「犯人はおまえか?」 と訪ねるのだ。
「・・・で、違うって言われたら俺ァどうする? つぅか反撃されたら・・・・・」
勝てねぇだろ? と思う。
何しろ実績があるから。 二年前の時ですら男をKOしたのはミルルだった。 そしてKOされたのはホクジョウ。 雑然とした沿線沿いの町並みを眺め、またどんよりテンションの下がるホクジョウであった。
あぁ、こんな時ミルルが居てくれたら・・・・
我等の心強き姫君を想い、帰りたいようと縮まり始める胃を擦った。
決戦は多分、あと30分以内。
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