** 恋愛自転車操業 **
#3. 日常の段差
「・・・醤油」
「ハイッ!」
「タクちゃん、この胡瓜美味いねぇ〜!」
「あ、昨日の晩漬けといたんです〜」
朝の光に包まれて、リビングは一見和やかな団欒のヒトトキだった。 一見。
しかしテーブルの下の蹴飛ばしあいの激しさといったらもう、砂ネズミのように怯えるタクヤ、2割増で男らしいミルル、神経禿が出来そうなホクジョウ。 そんなドンパチを孕みつつ、商売はといえば非常に上手く回っていた。 年寄りッ子で、パシリに馴れっこの次男は協調性の塊。 何しろ家事全般こなせる小僧の戦力は、侮れないものがあった。 ナンデモ屋を名乗り、家事援助で料理抜きと云うのは、なかなかに痛いのである。
「じゃ、七時半から順にミルルはチビッコ組の幼稚園保育園ツアー、で、そのままヨコテさんとこで掃除・・・冬布団天袋に仕舞いたいって言ってたな・・・。 俺とタクちゃんはモリシマさんとこの模様替え行ってそのまんま午後突入。 ミルルは昼飯食べに戻るだろ?」
「お握りと味噌汁と、カブとツクネ煮たのがチンすれば食べられますッ!」
「だって! じゃ、ミルルはソレ喰ってからチビッコお迎えツアーして、タクちゃんは一時半に公園で小学生組み三人を回収して三時にミルルと合流。 そんでカワデさん宅でミルルは子守りでタクちゃんは夕飯のオカズ作り。 タクちゃん、今日は三家族分だからココロしてな?」
一日のスケジュールがホクジョウにより読み上げ確認され、一同それぞれに散る。
ホクジョウは新聞を畳み、歯磨きを終えたミルルがオフホワイトのブルゾンを羽織った。 ボーイッシュなのもやっぱ可愛いです・・・と、ぽォ〜ッとしたタクヤにミルルはツカツカ近付き、
「抜け駆けしたら酷いわよ・・・」
意地悪な猫のように目を光らせ、唇を吊り上げるのだった。
とにかくコクコク頷くタクヤだが、どう酷いのか? いや、わからないけど相当に酷いのだろう。 だけど、好きな人に脅されるってかなり切ないです、と思った。 しかも男を取り合うなんてあんまりだ。
そしてその罪作りな男とは、ミルルの退場を見計らい、
「タァクちゃん・・・・」
耳朶に息を吹きかけられ、ヒャァと跳躍するタクヤ。
「おっかないミルルも居ないし、うぅ〜ん、仲良くやろうぜ?」
振り向けば人を喰った笑いのホクジョウが、かいぐりかいぐりタクヤの癖ッ毛を愛でる。 そして、すかさずギュウと抱きすくめる腕。 あーこの感触ぅ〜 タクヤをさわさわスリスリ味わう不届きな男。
「止してくださいッ! もうッ、そういう事するから余計ミルルさんカンカンなんじゃないですかッ!」
「あはは、そういうコトって、こういうコトぉ?」
ムチュッと首筋に唇の感触。 そしてツンと痺れるようなゾクゾク。
「セ、セクハラですようッ!」
吊り上げられた魚の様にタクヤはバタバタ暴れたが、見た所痩せ型のその腕がなかなかどうして力強いのは厭な場面で良く知っている。
「・・チョットだけ、させて」
「お断りですッ!」
あの日、最悪の顔合わせをしたホテルにて、タクヤはホクジョウが意外に強引で手が早い事を厭というほど思い知らされていた。 ミルルには 『してない』 と言ったが、そう、確かに最後まではしてないが、実のところ全くシテない訳ではない。 アレヨアレヨと言う間にタクヤは、ホクジョウの指と唇にイカされていた。 『オイオイ、泣けるほど良かったか?』 御満悦なホクジョウだったが、頭の中で白い風船が700個ばかり連発で弾けるような快感は、タクヤに些か強烈過ぎた。 何しろ、未経験なのだから。
―― 初めてなのにぃ〜 女の子ともまだなのにぃ〜 イキナリホモなんて厭だ〜
実家に帰るゥ〜 ただのお婿さんになりたいぃ〜〜 ――
サメザメ泣くタクヤから事の経緯を訊ね、漸く色んな間違いに気付くホクジョウ。
けれどホクジョウとて、愛しいハニィに瓜二つのタクヤをこのままアデュ〜する気なんざ一つもない。
斯くして交渉開始。
『あーゴメンゴメンじゃ、お詫びのシルシに俺んちで働くってどうよ? 居、食、住、万全だぜ?』
『えぇ? でも、』
『おいおい、変なコトしないって!(多分な、) 俺んち女の子も居るし、』
『女の子?』
『そうそう! 住み込み従業員!(押しかけ) あはは、アットホームな会社なのよ、な?な?』
『でも・・・・いいんですか?』
交渉成立!!
しかし、思う以上にミルルが武闘派なのがホクジョウにも痛いところであった。 しかも、肝心のタクヤがミルルに惚れてる風なのも面倒臭い事この上ない。 何故に自分の前にはいつも据え膳ばかりが豪勢に盛られるのか、運命の神をどやしたいホクジョウだった。
「したら摘み喰いくらいイイじゃないの・・・・」
「・・・・子供じゃないんだから、もう、」
上目遣いに睨まれて、図らずもトキメイてしまう。
も〜天然てのはこう無防備に誘うからヤダねぇ〜と、ニヤケた途端に口の中、甘辛い煮汁がジュワ〜。
ツクネのひとかけを箸で摘むタクヤが 美味しいでしょう? と誇らしげに笑った。 そしてツイと眉を顰め、いつになく厳しい表情を作り、割烹着のポケットから取り出した物をホクジョウに差し出す。
「これ、なんです?」
ビニール袋の中、クシャクシャと一度丸められた茶色の封筒と、同じく丸めた白い便箋が数枚。
宛名はホクジョウ。 がしかし差出人はなく、消印は町内。
「わざわざこれだけ、いつも台所の生ゴミバケツに捨てますよね? ホクジョウさん、郵便物は絶対自分で回収するし、まぁ、ホクジョウさんちだからそんなモンだろうとソレは思ったんですが、でも、これ・・・」
白い便箋の丸めた隙間からは、歪に覗く赤いマジックの毒々しい殴り書き。
「・・・・見たか?」
頷くタクヤを見つめ、参ったなァとホクジョウは顎を擦る。
殴り書きの文面は三種。
《 恥を知れ屑女! 》 《ソープに帰れ!》 《オマエの正体はバレてるぞ!》
「コレッて・・・・」
タクヤの言葉を制し、ホクジョウが続けた。
「性質の悪い嫌がらせだよ、あいつがココで働き出して一年ばかりした頃からポツンポツンと届くようになった。」
「だ、だって、なんで?!」
「さぁ知らん・・・でも世の中には色んな事する奴がいるからなァ、というか、割に心当たりはあるし・・・・」
そうしてホクジョウはサラサラと、世間話の口調でミルルの履歴を語った。
そして中傷レターの犯人とは件の、ミルルにボコにされたストーカーではないかと。
「いわゆるエリート様だってさ。 会社に言わないでくれ、親に連絡しないでくれって警察でワンワン泣いたとかって、バカヤロ、ガキじゃあるまいし・・・・で、今頃逆恨みってのも最低だが大いにありうる・・・」
「ゆッ、許せないですよッ! 酷いじゃないですかッ、人の過去ほじくって、せっかく今頑張ってる人を邪魔するなんてッ、」
AVだの風俗だの、挙句ストーカーとの格闘だの、ミルルの歴史はノホホンとした田舎育ちのタクヤにとって、異世界過ぎてまるで現実感のない内容だった。 仮にそんな境遇に出遭ったならそっと目を伏せ無かった事、見なかった事にするのが優しさであり思い遣りであると思っていた。 そんなタブーの世界に居たというミルルにとって、それらは暗い忘れたい過去なのだろうし、今更なんでそんなほじくるような事をする人がいるのかタクヤは憤りを隠せない。
しかしホクジョウはタクヤをオイオイといなし、 まぁ落ち着けよ〜 と眉尻を下げた。
「なぁタクちゃん、勘違いしちゃ駄目だぞ、違うぞ? 確かにミルルは少々デンジャラスゾーンを歩いてきたが、でもアイツのソレは暗い過去なんかじゃあない。 アイツは自分の歴史を一つも恥じちゃ居ないし、むしろ誇りに思ってる。」
「誇り?」
わからない。 風俗も、AVも、日陰のキィワードじゃないか。
後ろめたくて当然なのに、何故それが誇りなのか?
「ン〜〜箱入りのタクちゃんには難しいかなぁ・・・。 つまりアレだよ、親も兄弟も、相談に乗ってくれる心強い第三者も皆無だとして、タクちゃん、タクちゃんならどう生きる? たとえばあん時、ザボンとこからデリバリされてナイスミドルなサド社長にガップリ調教されちゃったりして・・・そしたらタクちゃんその後どうする? 素早く起死回生計れる?」
「俺は・・・・」
確かにあの時、客がホクジョウでツイていた。 でなきゃ凄い変態が待っていたかも知れないし、もしかしての落とし穴なんてあの時タクヤの足元すぐに、飛び込め落ちろと幾つも掘られていたのだ。
じゃ、もしソコに落ちてたら自分はどうしただろう?
「キツイよな・・・・。 けど、アイツ、最初からそういう条件で生き抜いて来たんだぜ?そんでもってエースを狙っちゃったんだもの、ある意味俺らなんかよりずっと大人だし、アイツ、この業界の勝者なんだものなぁ。」
だから俺ァ尊敬してるのよ・・・ とホクジョウはタバコの箱を弾いた。
タクヤは小さな混乱を抱える。 勝ち進んだミルル。 全て自分で手に入れたミルル。
身内のコネで就職して、住み込みでなどと微温湯に浸かった自分が、帰る実家があるのにモヤモヤオロオロ、あっさり都会の落とし穴に片足突っ込んだ自分がどうしようもなく情けなく思えた。 そして自分とは、こうして運に縋り、結果ホクジョウに助けられ、また何事も無くヌクヌクと平穏を手に入れる。 そんな自分に何が言えよう?
「だからな、俺はそういう素晴らしい実績を踏み躙る阿呆が許せないんだよ。 腹が立つね。けど、てめぇのモノサシで余計な基準作ろうとする馬鹿野郎はナニするかわからないからな。 ホレ、」
嫌がらせ最新号、と差し出された紙切れには雑誌の切抜きが印刷されていた。
【アイドル*フードル】 の見出しの下、挑発的なランジェリーを纏いインタビューに答える濃い口のミルル。
人ってのは怖いねぇ・・とホクジョウは苦笑する。
「かれこれ二年位前の雑誌だぜ? コンナンわざわざ捜してきてわざわざ取り込んで印刷して、御丁寧に送りつける暇に何かする事あるだろうになァ・・・でもそろそろヤバイ・・・手口が、急に具体的になった。」
ホクジョウは眉を顰める。
「け、警察に、」
「いや、これだけじゃ動いちゃくれない。 現に例のストーカーの時でさえオマワリサンたら、フードルのトラブルは身から出た錆びでしょうてな反応でな。 とりあえず、まず自衛かな・・・今、人通りのない場所とか夕方の仕事にはミルル一人で行かせてないんだが、いや、ソレも100%安全じゃぁないし、」
「そんな・・・・」
世知辛い世の中で〜 とホクジョウが湯飲みを突き出し、反射的に急須を傾けるタクヤ。
「だから、タクちゃん、おまえも一枚噛め。」
「え?」
「守りばかりじゃ埒あかないし、ひとつ、こっちから暇そうな彼に逢いに行っちゃおうかなァって、」
先手必勝 と、ホクジョウは言った。
「で、でも居場所とかわかるんですか?」
「おいおいタクちゃん、そう云うの調べるのが俺らのお仕事だろ? 以前集めた情報もまァあるし、な、協力してよ、それに我が家の御姫様は断固として俺らで守らなきゃ! でしょう?」
そう気障なウィンクを寄越し アー俺は男前過ぎるぅ〜 と鼻歌を唄うホクジョウはいつものホクジョウだった。
だがタクヤは、この男が見た目よりずっとミルルを大事にしてる事を知った。
恋愛とは違うけど、でもそれに負けないくらいの愛情で、家族じゃないけど家族を思うような気持ちで、
「羨ましいな・・・・」
思わず漏れた言葉を、ホクジョウがすかさず拾う
「ナニナニナニ? 愛が欲しいのか? そうか?! なら言えよう、タァクちゃんッ!」
「ち、違いますッ、愛なら足りてますッ!」
ジタバタ暴れるタクヤを好き勝手にあやすホクジョウ。
コレさえ無ければ良い人なんだけど・・と、タクヤは清々と身支度を整える雇用主を睨む。
でも、自分だって負けてはおれない。 自分だって頑張る。 何しろミルルへの愛も恋も山盛りで持ってるのだから、愛する人の危機を俺はこの手で守るのだとタクヤ、生涯最高値で王子魂をたぎらす。 が、元フードルの女王だという海千山千のミルルが、果たして童貞の自分なんかを王子認定してくれるのかどうか、いや待てよ、確かに童貞だけど経験がないって訳じゃなくてABCで言えばBまでは自分だって・・・というか相手はホクジョウだけど、
ソリャ、駄目だよッ!
「あ、タクちゃん、出掛ける前にソコ、シャツのボタン嵌めといた方がいいよ?」
「は?」
見下ろせば、首筋にこれ見よがしなキスマークが一つ。
「うわぁァッ! ひ、酷いじゃないですかぁッ!?」
嘘じゃないんです、俺はこんなにもアナタを守る貴女の王子になりたいんです。
だけど要らない経験が多すぎるんです。
王子への道は険しい。
かと云って 『王子其の二』 に見初められるのも不本意なタクヤだった。
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