ファンタジスタの人生 《6》 風呂ッて言ったら由美かおる編
そして今。
ぶち抜き20畳はあるフローリング、テーブルの上、黒文字が添えられた大きい柿を見つめ、一人呆然と座り込む俺が居る。
部屋は暖かかったが、脛がスカスカした。
和服の無防備な裾は、俺の勇気と情熱をしおしおと無力化する。 男は剥き出しに無力だ。
ならばコレが股間フリーダムな 【愛されミニワンピ】 +七センチヒール生足の 【もてかわミュール】 とのコンボだったりしたら、
俺は、きっとヒキニート二桁年数レベル相当で再起不能となるだろう。
女って、すげぇ。
あのあと小泉は、ずぶ濡れの俺を担ぐように母屋に運び、さァさァサァと押し込まれたのは旅館みたいな檜風呂。
ひゃ−温まるぅ、良い匂い〜と下がったバイオリズム急上昇の俺だったが、腰にタオルで 御待たせ! と飛び出てみれば、
着替えを持った小泉がギョッとした顔でフリーズ。
「え? なに小泉、なに持ってんのそれ?」
「き、着替えだよ」
「俺、持ってきてるし」
「荷物は部屋に運んじゃったから。」
それはそうかも知れないが、でもだからッてなんで着物?
何で和装?
差し出されたのは綺麗に畳まれた着物。
黒に近い紺地に、よく見れば細かい濃緑の縦縞が入り、海老茶の襟が重ねて縫い付けてある。
触ればふっかり、程よい厚みがあった。
多分、良い物なんだろうけども
「……でもなんで、着物……」
「あッ、あ、和服ならサイズ関係ないし、これ、以前仕立てて一度も袖を通してないから、」
「いや、別にお古だってなんだって気にしやしねぇけども」
まぁ、良いよ。
金持ちの常識では着替えは和装なんだろう。
なんたって檜風呂だもの、くつろぐ外人みたいなバスローブ出される方が、ずっと違和感あり捲くりだけども。
さておき、困った。
着物なんか七五三の「五」以来の俺だ。
何枚も重ねて縛って引っ張って……無理。
俺にそんな芸当無理。
だけどそんな心配は無用、着物は一枚でもOKらしく、見れば下着も和モノのそれではなく淡い灰緑のVネックTシャツと、同色のボクサー。
「お、ブーメランじゃなかった・…」
「え?」
ビクリと背中を強張らせ、小泉が聞き返す。
「いや、何でもない。」
ほぅと小さく息を吐き、じゃ、着替えたら呼んでねと小泉は去ろうとする。
客を池に落としたのが余程堪えたのか、さっきから全くコチラを見ようとせず、眉根を寄せキツク歯を食い縛るほどの後悔ッぷり。
気にするこたねぇのに意地みたいにこっちに背中向けて、ソッポ向いて眉間に皺寄せて、犬のした事じゃん、それもお前のパパの犬じゃん。
クヨクヨし過ぎると禿げるぞ? と思った。
そして、小泉の自責の念は置いといて、俺もひとまず着替えようとボクサーを手にした。
「ヒッ、い、い、今ここ出るからッ」
パンツ穿き始めた途端、引き戸のところで小泉がパニクル。
「や、いいよ俺も今チャッチャと着ちゃうからそんな焦んなくってもさ」
「いや、あ、麻生君、」
うるせぇな、もう!
さすがの俺もフリチンで話し掛けられんのは遺憾の意だ。
「なんだよ、パンツくらいゆっくり穿かせろよ、タオル一丁じゃ湯冷めしかねないんだよ」
「だ、だよね、じゃ、何かあったら呼んでね?」
「パンツ穿くのにナンもかもねぇよ」
なにを急ぐのか、ピシャンと引き戸を閉め脱兎の如く廊下に飛び出す小泉。
だが何かはあった。
飛び出た小泉は、二分も経たない内に呼び戻される嵌めになる。
一重の着物を羽織る事は出来た。
だが、帯が締められない。
平たい昆布みたいな長い帯は妙にコシがあって、旅館の紐みたいののようにギュギュッと結ぶには広過ぎて、すぐ解けて、巻き過ぎれば腹が締め付けられゲロを吐きそうになった。
さらにはコレ、蝶結び? かた結び?
そんで結んだそれを前にやっとくのがいいのか後ろが正しいのか。
或いはそう、実はここ数年、右斜めで軽く緩めに結ぶのがトレンドとかってセレブの間じゃ常識かも知れないし。
駄目だ。
ここは速やかに、玄人を呼ぶしかない。
「小泉ぃ〜〜! 小泉ぃ〜〜!! 帯、巻いてぇ〜〜ッ!」
脱衣所からヘルプを叫ぶ俺。
すっ飛んで来たものの呼びつけられたのが癪だったか、なんか厳しい顔した小泉の前、 「お願い☆」 と可愛く帯を差し出した俺だが、即座に目を反らされてショック。
挙句すごーく嫌々、ギクシャク帯を巻く小泉の機嫌をちょっとでも持ち上げてやろうと思った俺が、万歳をしたまま 「アァ〜レェ〜〜」 とクルクル回って見せたのも、結果裏目に出たようだ。
空気は一層硬くなった。
「どうよ?」
着付け完了。
脱衣所の姿見には、中々のもんだぜ?
な、俺。
「似合ってるよ」
そうは言うけど、コイツ俺の顔見ないし。
それから長い廊下を歩き、お手伝いさんらしき人二人にチワッスと会釈して、 「部屋は三階なんだ」 とか言われて
階段上がるのに裾を絡げたら 「そんな事しちゃ駄目だッ!」 ってキーキー怒られて、んだよ・・・なんか散々な感じ。
やっと三階まで上がり、小泉エリアらしき広々フローリングの部屋に着いて、卵色のソファーにドサッと沈み込んだ途端ハァと溜息が漏れた。
「疲れた?」
やっと俺の目を見た小泉が、いつもの心配げな顔で覗き込む。
バーカそんなしょげた顔されると意地悪したくなるじゃないか。
「お前のせいだ。」
「えっ?!」
「えじゃねぇよ、お前のせいだ、クヨクヨしたり無視したり、怒ったり」
モスグリーンのビーズクッションに凭れ、見る見る青くなる小泉の動揺振りを意地悪く眺める。
部屋の入り口で、この世の終わり見たいな顔をして佇む小泉は期待以上のナイスリアクションだけど、俺だってどんだけ心を痛めたか、気丈に笑いをとろうとしていたか、
「せっかくお前ンち来たのに、遊ぼうと思ったのに、お前笑ってくんないし。 池落ちたのも、犬の事も、あと色々さ、
俺何にも気にしてないしさ、それなりに楽しい訳だから、いちいちお前がおたおたすると調子狂うし、なんか…… 」
なんか、何なんだろうな。
わざとらしいツーンとした顔を作りながら俺は考える。
蒼褪めた小泉が 怒る? 怒る? 怒ってる? とアイコンタクト。
叱られた犬みたいな顔をして、オドオド隣りに座るけども、一向に話し掛ける事が出来ないでいる。
テーブルの上には綺麗に剥かれた柿と、氷がゴロンと入った緑茶のグラス。
―― 秋は柿だね、俺さ、小六ン時近所の接骨医やってるジジイんちの柿盗みに入って、落ちて骨折ったのよ、
で、その場で骨接ぎ。 いやー痛みと恥って同列なのな! ――
いつだかそんな話しを小泉にした。
他愛の無い話だ。 でも小泉は覚えていたのだろう。 そうだ、小泉は忘れない。
ちゃんと覚えている。
俺の話す事、する事、全部見てて、聞いてて、ちゃんと覚えてる。
わかろうとしている。
だから?
「ダァァ〜〜〜ッ!」
不安一杯の顔を両手で挟み、おもむろにグイッと指を突っ込み、くちびるを広げた。
「ひあッ?! ヒャッヒョウォッ?!」
目を白黒させる小泉は、素早く俺の両手を掴んで無作法な指を外す。
「麻生ッ?」
「もぉーだからさ、これで相殺! 辛気臭いのナシッ! お前は笑う!」
「で、でも、」
「ほら、俺っていつもお前の笑ってるとこばっか見てるじゃん?
いつもお前にうんうんて話し聞いて貰って、お前聞くの上手いし、優しいし、だからなんなの?
慣れッていうかそういうの当たり前っていうか、要するに落ち着く訳さ。 いいなぁとか幸せぇ〜とか」
そうだ。 俺は安心しているのだ。
こいつと一緒に居る事で不安も緊張もなく、ただただ安心して、ほっと微温湯の幸せに浸っていられたのだ。
だからこそ、こうして小泉に手を握られたまま、好き勝手に言いたい放題ができるのだ。
「あれ? いやー俺ってなんか、お前のことすっごい好きっぽくない?」
丸い目で、ポカンとしている小泉を見て笑った。
「・…麻生が、僕の事、好き?」
言葉を微妙に差し替え、小泉が質問を質問で返す。
薄茶の瞳孔が、暗いところの猫みたいに拡がって深い。
「あ、や、好きに決まってるだろう? 好きじゃない奴と四六時中つるまねぇよ、当たり前だろう?
だけど、ほら、好きは好きでもお前はもともと俺のこと好き過ぎるけど、俺はまぁ普通の好きだろうって思ってたんだよな、
でもやっぱ、今日とかツンケンしてるお前見てると、あぁ・・って、いや、俺も結構お前のこと好きじゃねぇの?
って・・ハハハなんだよ語っちゃったな、」
瞬きもせずに見つめる小泉の目には、俺しか映ってはいない。
そんな茶色の目玉の深い所を見ながら喋っていると、段々訳がわからなくなり、小泉も小泉でダンマリしてるから、俺は不可解に焦れ焦れに追われ、ガツンと宣言するのだった。
「つまり俺ら、同じッくらいの好きで良かったなッ!!」
神妙な顔に向かって、力強く言った。
言ったら小泉は、すぐに 「そうだな」 って返してくれるだろうと思ったのに、黙ってる。
なので、少しムッとして
「なに、いやなの? お前?」
睨みつけてみた。
なんだよ、人がココゾと友情を語ったのに、セレブ仕様で熱く友愛を深めんとしたのに、なんだよ無視かよ?
俺、結構捨て身で臭い台詞言ってンじゃん!
だけど、無視ではなかった。
「…… 嫌じゃない」
小さく息を飲み、噛み締めるような口調で小泉が言う。
「…… 嫌な訳がない。 僕は、ずっと、麻生が好きだから」
そう言って小泉は唇の端をちょっと持ち上げて、笑うっていうよりも微笑むって感じの優しい嬉しい顔をしたが、何故だか苦しそうな目をしていた。
それだから俺は 「だよなぁ」 なんて相槌打ちながら、ちょっといつもと違う空気を感じていて、何とは言わず、無意識に身構えていたのだと思う。
だから不意に麻生が目を伏せた時、ビクリと身体が震えた。
そんな俺の両手を掴む小泉の、以外に骨っぽい指先に柔らかく力が篭る。
「……でもね、麻生の好きと僕のは違うんだ。」
伏せた目を上げた小泉は、いつもの小泉じゃあなかった。
「…… だって、僕のほうが好きだから。 ずっと、ずっと、好きだから」
好きだ、好きだと繰り返すくちびるが妙に生々しくて、さっきグイグイ伸ばしたそれとは違うみたいに見える。
甘くて優しい顔は至近距離で見ても男前だなぁと思った。
だが真っ直ぐ、熱の篭った目で見つめられるのは恐い。
恐い小泉だなんて、抜け目の無い小泉だなんて、なんか違う。
だって、凄い何かを仕出かしそうな気配がムンムン漂って来て。
なぁどうしたよ?
いつものヘタレ振りはどこ置いて来ちゃったんだよ?
脳内突っ込みは快調だったが、身体は全く動かなかった。
きっと、たかだか数秒の出来事。
なのに時間の感覚が歪む。
他の誰かの事みたいだった。
見えない誰かが 達磨さんが転んだ を言ったのだ。
だからこんなにも動けない。
舌は縮こまって喋れない。
緩く握られた手が動かない。
欠点の無い顔が、ゆっくり近付くのをスローモーションで眺めて、繋いでいた手がほどけて、ひんやりした手の平が頬と耳朶を覆う。
小泉が斜かいに顔を傾ける。
伏せた睫毛が頬骨の上に影を落とす。
それだから、俺は、迷いながら目を伏せる。
解除を出したのは携帯の着信音だった。
場違いな電子音に目を開けると、間近の眉がピキッと上がった。
瞬時にリアルが流れ出し、オハヨォ〜〜ッ! っという感じにコッチに戻って来た俺。
音は鳴り続き、小泉の眉間には酷い縦皺が寄った。
二度目の達磨さんだなと思った。
今度は小泉が止まる番だ。
広い部屋のどこかで電子音が鳴る。
傾けたままだった顔を戻し、意味の無くなった至近距離、すっごい間近で小泉の目が揺れる。
つーかいつまでこの距離よ?
未だかつて無い気不味さの中、俺は不測の寸止めに活路を断たれた敗者小泉の動向を、
働き者のセンチコガネを観察するファーブル先生の如きクールさで伺うのだった。
*ファンタジスタの人生*6. 第7話に続く