ファンタジスタの人生 《4》 孤軍奮闘ランチ編
 




 そんな奇妙な行事群の中、尤も俺を悩ませたものがあった。

それがこれだ。 【ふれあいランチタイム】  

 生徒は二人以上五人以下のグループを作り、週に一回の実施日を決める。 
グループ内でローテーションを組み、担当者が実施日にメンバーに手作り弁当を振舞う。

 要するに、将来親が病気になっても一人暮しになっても単身赴任になっても伴侶に逃げられても育ち盛り三人抱えても、慌てずキッチリ自炊出来る様に学校教育の一環として実施…… ってマジかよ? 
わけがわからない。

 だが、これは厄介だった。 ストレッチだの裁縫だのの、その時だけ苛ッとすれば終わる単発などではない。 
繰り返しグルグル巡って来る、通年行事だった。 
何しろ弁当だ、手作りだ、男女混合なら愉しいだろうが、男同士五人とかでこれ遣るのは如何なものか? 
きっとそんな憐れな野郎たちにとって、忘れ得ぬ黒歴史になる事だろうと他人事のように思う。 
だって俺は思わない。 
俺のコンビは小泉だから。 
小泉と俺。 
いつでも一緒。 
どこでも一緒のジャスト二人。 

 けれど、俺は気にしないけども、相手もそうだとは限らない。 
この手の二人ぐっつきに関しては、実は、小泉に気を使わせているのではと少々申し訳なく思ってはいた。 
孤独な転校生の俺はともかく、人気者の小泉ならもう決まったペアが居た筈。 


 「だったら無理せずソイツと組んどけよ。 このクラスん中でいうとどれだ? あれか? 
軍事評論部のマドンナとか言われてるらしい小池さんか? 
ははマニアックだな! 大丈夫、俺は人見知りしないから余ったそこらのロンリィメンと組むぜ?」

 なるべくカラリと伝えたが、小泉はそれを必死の形相で否定。 
以前組んでた相手はあの転校した小沢で、寺社仏閣同好会のリーダーを勤めてた男だという。 
だから気にするなと。 
ペアでいてくれと。 
そうか。 
まぁいいか。

 なら良い。 
良いけど、仲間に不自由しそうにない小泉が、わざわざペアを組み続けていた男。 
そんな小沢とは、そのマニアックさの片鱗からも、各学年一人二人は存在する希少な 『孤高君』 だろうと推測する。 
スゲェな、小沢。 
そんでやっぱお前、中々のマニアだよな、小泉。 

 さておき、問題はそこじゃない。 
弁当だ。 
ンなもの俺は作った事もないのだ。 
だが、本人による手作りが鉄則らしい。 
ならば遣るしか無い。 
 

 初の当番日、早朝四時から俺は頑張った。 
【簡単!美味しい!育ち盛りの通学弁当】 参考文献も買った。 
努力はしたのだ。 
だが、結果は散々なものだった。 
あんたは朝っぱらから何を仕出かしたのッ! 
母親が金切り声を上げる敗戦直後の台所、一つも簡単じゃねぇよと、床に本を叩き付けた俺を誰が非難出来るというのだ? 

 だからこそ、いざとなればコッソリ、学食の狸うどんを奢ってやる覚悟までした上で ―― 

 …… 恐らく、いまだかつて味わったことの無い味覚の限界をお前は体験するだろう……
 つまり非常に不味いのだ―― 

 と、期待に目を輝かせる小泉に念を押しつつ、俺は弁当を差し出した。 
無論、俺は食べない。 

 けれども微笑む小泉は、待ち侘びたプレゼントでも貰ったかの様にゆっくり弁当のハンカチを広げ、ナチュラルに家畜の餌っぽい見た目のそれを、実に満足そうに、噛み締めるように食べた。 
しかも美味いとか言っているし、金持ちの癖に案外、味覚音痴なのかも知れない。 
そんな認識も新たに 「ご馳走様」 と空の弁当箱を差し出す小泉に 「お粗末さまでした」 と俺は答える。 

 その後急に、 「担任に呼ばれていたから」 と小泉は用事を思い出して席を外し、足早に校舎に向かう背中を見送った俺は、はふはふと学食の狸ウドンを食べた。 
相変わらず、出汁が利いていて美味かった。 
そして小泉はと云えば、余程担任に厄介を言い付けられたらしく、午後の授業には戻って来なかった。 
会長様も、大変なようだ。


 大変といえば不公平の極み、片や代わり番こで家畜の餌、片や俺はというと、小泉が当番の隔週、重箱に入った料亭の逸品みたいな弁当を、美味しくありがたく頂く恩恵に預かる。 
美味い。 
滅茶苦茶美味い。 
中味は和洋折衷、見た目も味もスペシャルなデラックス弁当。 
だけどもこんな、お洒落OLがデパ地下で並んで買うような、優れた商品価値のある弁当を、見た目じゃ素材の正体すら見当がつかない、あんな 【餌】 と等価交換してしまって俺は本当に良いのだろうか? 

 俺ばかりが得をして申し訳なく思い、嫌がるお袋をセコンドに料理の特訓を試みた俺だが、付け焼刃では思うようにはいかず、せいぜい頑張って 【並】。 不味いってほどでもないが、特別美味くもないレベル。 

 ならばアイディア勝負とその日、でっかいタッパー二つにオムライスを詰め、ジャジャーンと小泉の前に出し、おもむろ取り出したケチャップで  『ゆういち』 と書いた。 
これが結構難儀した。 
真っ直ぐ書けない文字は、無念のダイイングメッセージのようにも見えたが、誤魔化しついでにサービスで余白にハートもつけてやった。 


 「どうだ?!」

 どうだ、この臨機応変なライブ感。 

 鼻高々小泉を伺うと、何故だかオムライスを凝視したまま動かない。


 「なぁ、おい、気に入らなかったか? ああああのよ、この端っこのこれハートな? ハート。 血痕じゃないから! 
ハハさすがにそんな不吉なもん俺だってな。 あの、なぁお前ケチャップアレルギーとかあったっけか? 
それか、実はケチャップはママの手作り以外認めないとか、いや、そういう拘り捨てねぇとお前、女は切り捨て超早ぇえぜ?」

 電池の切れたような小泉が心配になり、俯く顔を覗き込もうとしたならズイっと至近距離で目が合って、ケチャップを握ったままの俺の手を、小泉の両手の平が包んだ。 


 「有り難う……」

 小泉は泣いていた。


 「有り難う……凄く嬉しいよ、有り難う……」

 そして小泉は美味しい美味しいと泣きながらオムライスを食べた。 
俺も今回は自分の分を食べたが、泣くほど美味いものでもなく、チキンライスがちょっとベタベタしてて、どっちかといえば不味いに近い味だった。 
だけど小泉は美味しい美味しいと完食し


 「美味しかったよ。 僕は、とても幸せだ。」

 涙を浮かべたままの目で、笑った。 

 よくわからないが、取り敢えず俺は良い事をしたのだと嬉しくなり、俺も一緒になって笑った。 

 金持ちには金持ちなり 「完璧なテーブルマナーを身につけるまでは許しませんよッ」 と、厳しいドイツ人の女中頭に鞭で折檻されたり、キャンドルの灯された縦7メートルくらいある凄いテーブルで一人きり、シェフの豪華料理を寂しく口に運ぶ小泉4歳、クリスマスの想い出――
 のような、食に関する切ない悩みやトラウマがきっとあるに違いない。 
でなきアレを、泣くほど喜ぶ理由が思い当たらない。 
哀れ小泉。

それだから、これからも目にするであろう小泉の奇行を、俺は広い心で受け止めてやるのだと決心も深めた。 
なので、完食後の小泉が、口の端についたケチャップを拭き拭きしながら 


 「あのさ、麻生、今度、作るときは、ゆうちゃん……って書いてくれるかな?……」 

 などと似合わぬ上目遣いで甘ったれた事を言い出した時も、このマザコン野郎がッ! 
などと一喝せず、優しく 「おう、任せろ!」 と器の大きいところを見せた。 
コイツにも色々あるんだろうよ、幼き日の歪みが。 


 そんな何度目かの 【ふれあいランチタイム】。 
今日の弁当当番はお待ち兼ねの小泉。
 例によって、眼に嬉しい料理がギッチリと詰まる重箱に、早くも舌と胃袋がめろめろになっている俺。 
美味い、今日も滅茶苦茶美味い。
 プロだよなぁ、コレ。 
そこらの素人に出せる味じゃねぇよ。


 「これさ、いつも、マジでお前の手作り? じつは、お抱えの板さんとかに作って貰ってるんじゃねぇの?」

 ふっくら薄味で煮えたを湯葉を突付きながら、辺りを伺い声を潜めて問う。


 「そんなに美味しい? ちゃんと手作りだよ。 こう見えて、料理が趣味なんだ」

 なにやら嬉しげな小泉はニコニコと、綺麗な箸使いで自分の分の豚角煮を、そっと俺エリアに寄越してくれるのだった。 
なんてイイ奴! なんて使える奴! なんて素晴らしい友よ!! 
パクリと頬張れば甘辛い肉は箸で解れるほどに柔らかく、飴色の大根は絶品。 


 「幸せだなぁ〜」

 いつかの小泉を真似して呟いてみる。


 「麻生は、美味しいものを食べると幸せなの?」

 満腹の腹を擦り、至福の溜息を吐く俺を、小泉は目を細めて眺める。 


 「そりゃぁ幸せだよ〜。 お前の弁当、最高だもの」

 俺達は芝生の広がる裏庭に居た。 
ベンチと東屋のある中庭には仲間と弁当を食べる生徒達が点在していたが、ここには俺と小泉しか居ない。 
ゴロリと芝生に寝そべれば、10月の緩々した風が、満足しきった俺の頬を撫でた。 

 腹の皮が張ると眼の皮が弛む。 
心地好い眠りに落ちる俺にふわりと、小泉が自分のブレザーをかけたのが薄目の視界にぼんやり写った。 


 「…… サンキュ…… 」

 伝えた感謝の言葉は掠れて小さい。 
聞こえなかったかも知れない。 
だけど返事の代わりに、大きな手が頭をさわさわと撫でた。 
ぉおう! これだよ! 幸せだなぁと満ち足りたまま、眠りに落ちていった。


 で、今何時?! 

 ビクリと目を開けてみたら、至近距離に小泉の顔があってまた吃驚。 
ちらりと時計を見れば、まだそんなには眠ってなかったらしい。 
だったら焦る事も無い、眠る小泉を存分に眺める事にする。 つくづく欠点の無い顔だった。 
右手の甲に頬を乗せ、すやすや眠る小泉。 
無駄の無い輪郭は男っぽいけども無骨さはなく、優しそうな顔立ちはそのまんまだけど、目を閉じて薄く口を開いている所は、いつもよりもちょっと幼く見える。 

 睫毛長ぇなと、摘まみたくなる衝動を抑えた。 
いつもニヘラッと下がってるとこしか見てなかったが、ふつうにしてりゃぁ目尻は涼しげな切れ長。 
眉毛はキリリとしてて、割にデコが広くて、うぅん禿げそうではないけども、口は、うん、くちびるが薄くて端っこがキュッと上がってて、あぁだから余計に笑ってるみたいなんだ、この口…… 

 口、これ、結構デカイっていうかそう、伸びそうな予感!!

 思い立ったらウズウズが止まらない。 
やりたい、試したい、超ヤりたい! 
なので、眠る小泉の胴中を跨ぎ、鍵型に構えた両手の人差し指でくちびるに狙いを定め、ソイヤッ、


 「ひゃッ!! びゃふぁッ ふぁふぁッ?!」

 小泉の薄いくちびるに指先を突っ込み、引っ掛け、頬の内側から気合いでギュギュ〜ッと引っ張る。


 「うわ伸びるッ、やっぱ伸びる、うわ凄いよ、凄いよ小泉ッ!!」

 ジタバタする小泉に馬乗り、新たな発見に大はしゃぎの俺。 
片や寝込みにウィ〜ンとくちびるを伸ばされ、通常有り得ない間抜け顔でのプチ恐慌中の小泉。 
わたわたする小泉が涙目になったところで、差し込んでいた指を抜き、ゴメンゴメンと謝った。


 「ああああ麻生ッ! な、なに? どうッ??」

 ジタバタ起き上がろうとするが、俺が馬乗りになっているので、ひっくり返ったカナブンの様にままならない小泉。


 「ごめ〜ん。 やー小泉さ、くちびる凄い伸びそうだなァと思って、丁度寝てたし。 いやでもほんとに伸びたよ?
小泉すごいよ。 なァ、もしかして拳骨とか口ン中はいる? なァ? やってみろよ、余裕で入るんじゃねぇの?」

 アレならイケそうだ。 
俺の勘がそう囁く。 
だが、動揺し捲くっている小泉は、伸ばされ捲くっていたくちびるを恐々指先で擦りつつ


 「げ、拳骨って、あ、あぁどうだろうね、入れた事はないけども、だから、あの、」

 いまだ馬乗りのままハイテンションな俺を、困惑表情で見上げ、更に一言二言何か言いたげに口を動かしたものの、観念したようにそっと視線を外したのだった。 

 あぁ、そういうことか。 
そういうことなら、俺が悪かった。 

 急に口がデカイなどと誉められても、セレブな小泉の日常では『拳骨OK』の話題性、持ちネタとしての掴みの良さなど到底理解できないだろうと俺は察する。 
だから、身をもって示す事にした。


 「ほら小泉ッ、ゥォレハンハ、フェンフェンハオッ?」

 ビヨォ〜ンと、さっき小泉にしたようにくちびるを伸ばして見せてやった。 なのに


 「ゆ、指ッ! 指、あ、麻生、その指ッ!」

 真っ赤になって指指騒ぐ小泉は、せっかくの身体張ったフォローを完全に無視しやがる。 


 「だから指がどうしたよ、俺はさー単に、お前に比べてくちびる拡がんないって事実を教えてやりたかっただけなんだけど、」

 どっこいしょ。 
いい加減小泉の上から退き、やれやれ価値観の違いか……と溜息の出る俺だ。 
で、小泉はと云えばのろのろ身体を起こし、痛いような痒いような複雑な顔をして 「……指…関節キ・・…誘って……」 
小声でブツブツ呟いているが、何を言ってるのかは聞き取れない。 


 「あのさ、もー機嫌悪くしたなら謝るから、お前、聞き取れない独り言はやめろ、俺そういうのスッゴイ気にする男だから、」

 じわり逆切れの気配を滲ませた俺に小泉は、ビクリ引き攣った笑みを見せ


 「ううん、ごめん。 違うんだ、ね、なんかいきなりだったから動揺しちゃって、ごめん。 
僕の方こそ気を悪くさせちゃったよね、あ、拳骨だっけ? やった事ないけど、練習してみるよ、練習して出来たらきっと、」

 「出来るよッ、出来るッ! つーか今やってよ、ヤッてヤッてヤッてッ小泉ヤッてッ!ほら、あ〜〜〜〜んッ!!」

 「あ、ぅッ、麻生ッ……」


 いつもの優しい大型犬モードに戻ったから嬉しくて、キャーキャー飛びついて口を開けさせようとしたのが些か強引だったらしい。 
再び泣き笑いのような表情で硬直した小泉は今度こそ両手で顔を覆い、腹でも痛くなったか前屈みになると、震えて掠れる声で ごめん、ちょっと…… と言った。 

 覆った手の平の隙間から見える頬や耳朶は、真っ赤に紅潮している。 


 「小泉、すまん」

 すまん、余程耐えられなかったんだろう。 
プライドが。 

 こうして俺は、一つの教訓を得た。 
セレブに顔面崩壊系のネタは禁忌。 
やるな! させるな! 無理強いするな!  

 そんな小泉は、昼休み終了のチャイムが鳴るまでギクシャクと、視線を合わせてくれなかった。 
金持ちは打たれ弱いのなと思った。 
いい奴だけど、ネタのストライクゾーンが難しいんだよなぁとも思った。 
けどやっぱ、あのくちびるは惜しいなぁと未練だった。 


 ともあれ楽しい毎日だった。 
わかり難いところもあるが、小泉はイイヤツだったし、俺は現状に甘え、すっかり色々を忘れていた。 

そう、理由の無い親切には裏があるのだという事を。















 *ファンタジスタの人生*4.                               第5話に続く