ファンタジスタの人生 《2》 ボーイミーツボーイ 彼と彼との出逢
まずは小手調べというべきか。
住宅地の直線コース、おおよそ50メートルにて遭遇するセレブ主婦(色付きサングラス+トイプードル)による
『あら、あなたあそこに越して来た方?』 攻撃。
マダムの巧みな話術により氏名、年齢、血液型、趣味・好みのタイプなど個人情報の数々を暴かれ、その代償としてゴミ出しのルール及び 『最近御主人の事業が巧くいっていないF宅の 〜アレじゃぁ奥様も大変〜』 な、内情を入手。
仕入れた情報の有効活用も思いつかないまま、骨まで吸い取られた感を味わい、約10分のロスタイムを取戻すべく足早に先を急ぐ俺。
だが、トラップは一つではなかった。
住宅地の終わり、小さな歩道橋において、横広がりに手を繋ぐ御機嫌な幼稚園児六人組に道を塞がれて四苦八苦。
その直後、小銭をばら撒いた四つん這いリーマンを助っ人する、路上小銭拾いの数分。
挙句、駅に続くバス通りに出てすぐ、 『字が小さくて読めやしないよ! アンタ、代わりに嫁に掛けてくれ!』 と、携帯電話を突き出す老人にエンカウント。 止む無く引き受ける俺は、女と老人には逆らわない主義。
手早くミッションをこなし、診察券はどこだと怒鳴る翁の声を背中に、ふと思うのは、 『嫁』 と書かれたアドレスをコールしたその時、モシモシ〜と出た声が、なんとなくさっきのセレブ主婦と似ていたような……。
いや、上品な熟女と云うのは得てしてああいう声質なんだろうと、自分に言い聞かせて疑問は終了。
細かい事は気にしない。
なにせマジで時間が無い。
この時点で、早歩きから小走りにシフトチェンジ。
ところが、あの角を曲がれば駅、というところでグワシと腕をつかまれて急停止。
掴んだのは厨房服の冴えない小男。
その傍らには 『松方さんの美味しいパン』 と書かれたマッ黄色のワゴン車。
「お願いします! 朝の食パン大好きフェアなんです! 食べて下さいッ!」
またかよ、っていうかどうした松方、何をそんなに必死に。
だが、大のオトナが半泣きで差し出すトースト(六枚切り相当、バター付き)を断るほど、俺は鬼ではない。
アリガトよッ松方!
折角だから豪快に齧りつつ自慢の俊足で猛ダッシュ。
パンは美味かったが、飲み物ナシの渇いた咽喉には厳しい。
必死で嚥下しつつ、キキィーッッと思わずドリフト仕様の擬音が出てしまうほどのコーナリングで角を曲がったその瞬間、固い、生暖かい衝撃が俺を全力で阻むのだった。
「馬鹿野郎ッ、もうなんなんだよッ!!」
仏の顔も三度まで。
五度も微笑んだ俺が、ここでキレなくていつキレる?
弾き飛ばされてアスファルトに横座り。
見上げて恫喝する相手は男。
俯き胸に手を当ててボーっと突っ立つ学生風の男。
「・…ツンだ・…」
「アァ?」
障害物がボソッと呟くが聞いちゃいねぇし、聞く耳もねぇ。
着いた手の平の下、潰れたトーストがメショッと存在感を増して、俺の怒りに油を注ぐ。
「ッたくどいつもこいつも朝っぱらから、老人から子供まで、お前ら邪魔すんのが生き甲斐かッ、そういう街ぐるみの取り組みかッ?!
ッたく揃いも揃って俺の邪魔ばっかしやがって、ダァ――ッ転校初日から遅刻かよッ、畜生ッ、次の急行何時だよッ!
俺がパン齧りながら暢気に駅までウォーキングとか思ったら許さねぇぞコラッ!!」
自分を誉めたいナイスファイト。
佇む木偶の棒に、思いの丈を込め怒鳴る俺。
しかしデカイ男だ。
俺だって低い方じゃないがそれ以上。
パッと見ほっそりして見えるが、余分が無いだけで付くべきところに付き、ほど良い厚みのあるツボを押さえた身体。
何か本格的に武道か何か遣ってたのではと思わせる……
そこで改めて、今しがた激突した胸部周辺を観察する俺。
んまぁ! なんてがっちりした胸板!
そう、「胸」で「板」。
うんまさに鉄壁の防御力。
そんなこいつにモヤッシッ子の俺が激突したのだから、骨の二〜三本イッても止むを得ないっていうか、いや骨は無事だったけども――
と、炎上から徐々にセルフで鎮火する俺を余所に、男は反論する訳でもなくボサッとだんまりのままで、それはそれで気持ち悪い。
「ねぇ、あのさ、あの、今の俺ってわりに八つ当たり入ってんだけど、なにしろココんとこツイてなくてさ。
あ、けども今のはほら、どっちかっていうと俺の方がぶつかった訳だし、アンタもこう一言二言さ……
で、こんなに譲歩してんのにアンタなんか反論無いのッ?!」
ウンでもスンでもない態度にジリッと来る俺だが、無口野郎なりに色々溜め込んではいるんだろう。
俯く顔は逆光で良く見えないが、首筋から耳朶辺りが紅潮して、いかにも激情を抑えているといった風である。
「ていうか、怒った?」
殴られたら堪らない。
猫撫で声で御機嫌を伺うが
「…デレだ・…」
「ハァ?」
またしても呟きは聞き取れず。
けれど男に異変が起こっていた。
全身がふるふる小刻みに震えだし、心なしか荒くなった息遣い。
片手で心臓のあたりをグワシと掻き毟るように押さえて、なにやらブツブツと呟き続けている。
かなりヤバイ。
「ちょッ、あのやっぱ怒った? 怒ってる? ねぇ、ねぇマジでフルボッコの五秒前?
ていうかヤバッ、ね、あんた冷や汗掻いてるよ、ああ、もしかして持病ある人? ドンいった時、キタ? 発作?
あああわかった、見掛け倒しに病弱なんだね、紛らわしいな、ちょと待って、すぐに救急車呼ばなきゃ! え・・・と・・」
慌てて携帯を取り出す俺の手首を、男の長い指が掴んで制する。
「・…凄いよ・…完璧なツンデレ・・」
「え? ェエ何? アンタ具合悪いんだか気味悪いんだかハッキリしてよ。 さっきからブツブツわかんないんだけど!」
二度目の逆切れを決め込もうとした俺だが
「ごめんね」
ヒョイと耳元に落ちたアニメの美形悪役っぽい低い声。
驚愕の豹変。
屈んだ男は既に平静の顔色に戻り、それどころか日の当たる所で見たらばアッと驚く二枚目ッぷり。
うひゃーコイツは見所たっぷりだ!
横座りのままジロジロ見上げる俺の手首に、長くて節高の指がキュッと巻きついて、グイっと引き上げ立たせ、パンパンと腰だの背中だのの砂埃を払ってくれるるアンタは、一体どこのフェミニストよ?
「怪我は無い? 急いでいるところごめんね。」
なんてニッコリ微笑む王子スマイルは女子供に取っとけって!
「いやいや、いいもの見せてもらったよ、参ったね、」
「え?」
まっこと半端ねぇ男前メンズ。
あぁ芸能界にもちょっと居ないだろうよ、この逸材は!
コイツが本腰入れてくれるんなら、俺はガッツリ良いマネジメントをするぜ?
目指せ個人事務所設立!!
興味津々ガン見され中の道端王子は、戸惑い、僅かに眼を泳がせつつ、
「キミ、駅までだよね? 今なら急げば28分の急行に乗れるから」
さぁ と掴んだ手を引き伴走を申し出てくれる、なんて御人好しな男前。
そんなイケメン王子の名は小泉ユウイチ 同い年、なんと家は俺んちの隣り、あの超豪邸。
しかも俺が今日から通うS学園の生徒だという偶然。
「明日から、一緒に通学出来るね」
邪気の無い爽やかな笑みを浮かべる小泉は、
「…… えぇと今日は半日だし、昼前には終るけども、あぁ、僕の方がちょっと・・でもそれは村山に代わって貰うとして……
そうだ、それじゃ、11時48分発の急行、そうしたら12時過ぎには駅に着くからね、それからランチにしよう、駅裏に良い店があるんだ。
シェフがフランス帰りでね、ガレットにチキンとサラダがついて洒落てるんだけどもそれなりに食べ応えはある。
きっと麻生君も満足出来ると思うよ。
お腹に余裕があれば、デザートにはシフォンケーキがつくのだけども、麻生君は甘いもの、どうかな? 」
俺の返事を待たずに、早くもつらつらと本日のタイムスケジュールを練り始めるフライング振り。
「どうかな? ッわれても……」
「あそこのアールグレイシフォンは、中々のものだよ?」
坊ちゃん育ちゆえのマイペースッぷり、どうやら人の話しを聞かないタイプらしい。
ともあれ、今日は次々に偶然だのアクシデントだのが重なるものだ。
だが、これも縁。
結果良ければ全て良し。
帝都暮らしもあながち悪くはないかも知れないと、認識を新たにする俺。
だが待てよ。
住処はともかく、同じ学校ならぶつかった時点ですぐにわかりそうなものだが、気付かなかった俺にも言い分はある。
「あの〜小泉さ、なんで制服違うの?」
着てる制服が違うのだ。
俺のはチャーコールグレーのブレザーで、胸元に青と金で刺繍されたエンブレム。
だけど小泉のはダークネイビーで、基本のエンブレムに銀糸で縁取りが入る。
それって庶民がズボンを太くするとかスカート短くするとか、その手の制服改造のセレブバージョン?
「あぁ、これは生徒会仕様なんだ。 生徒会役員はブレザーがこれになる」
なんてさらりと言うけど、普通じゃねぇよ。
何で制服違うよ?
普通にしてたってガッつりセレブ塗れん中で、更に格差をつけようってんだから、あぁ浅ましき天井知らずな人の欲深さ。
だから金持ちって奴は全く。
「へ、へぇ〜そか、小泉、生徒会やってるんだぁ〜」
「うん、今年で二期目。」
「二期ッ?!」
ンまぁ−! この人、高等部入って一年でイキナリ、
「うちは幼稚舎からずっと居ると、そういうの回ってくるんだよね。 そうだッ、麻生君もやろうよ、生徒会。
補佐だったら会長権限で適宜辞令を出せるから、ね?」
「無茶言うなよ・…」
ね? じゃねぇって、適宜って言葉の意味わかるか?
とんだ独裁政権だ、常識で物言えよ。
転校先の、聞きしに勝る異世界ぶりと、目下唯一の命綱=小泉のナチュラルなズレッぷりに先行き不安が再燃し始める俺。
そんな俺の心も知らず、小泉君はなにやら御機嫌で俺の手を引き小走りするけども。
って、手・・・…さっき引き起こされたまま、手首を掴まれたままのこの状態ってのはどうよ?
「なぁ、」
「ん?」
呼べば蕩けそうな顔で振り向いて、さぞや娘さんたちのハートを鷲掴んで来たんだろうに、この色男ッ!
「や、手」
掴まれた手首を軽く振って見せ、離してくれと言いたかったんだが
「うん、大丈夫。 あ、ちょっと走るよ?」
「えッ? あッ、あ・…」
素早く手を離した小泉君は即座に我が意を得たりとばかりに頷き、改めてしっかと
『ママとお出掛け仕様』 に繋ぎ直して、小走りで俺を駅へと誘うのでした。 おしまい☆
――― という訳にも行かず。
あぁもしかしたら、セレブの間ではいい年した男同士でも友愛の延長で手を繋ぐのかもしれない――
とか、そうだよスコットランドのスカートみたいなもんで、これも一つの文化、郷に入っては郷に従え、恥ずかしいと思うからイケナイのだ、見ろよ、小泉君の清々しい横顔を!
と、セルフコントロールに全力を注ぐ、今まさに始まった俺の新しい生活の第一歩。
つーかマジで?
不安だ。
やっぱ、とてつもなく不安だ。
セレブで、格差社会で、常識が通用しなくて、なにがなんだか一つも先が読めない異世界で独り、俺はちゃんと遣って行けるのか?
金持ちの悪癖に染まずに生きて行けるのか?
滅多ない類の不安に、あぁ今にも胸が張り裂けそう!
「・…… なぁ、小泉ぃ、」
呼べば歩を緩め、にっこり眦を下げるジェントルマン小泉。
そんな賢い大型犬風味な表情に絆され
「俺、学校馴染めるかな?」
見上げる笑顔に思わず弱音が零れる俺。
とその瞬間、ハッと小泉は息を飲み、眼を見開き、俺を凝視する薄茶の目玉がウルウルしはじめたかと思ったら
「だ、大丈夫だからッ!」
「ヒッ、」
ヒシと抱き締める腕は万力のよう。
「大丈夫だから……キミの事は僕が全力で守るから、何も心配しなくて良いから・…」
涙声で大丈夫、大丈夫、と繰り返し、ぎゅっと抱擁を深める小泉君は、余程の感激屋で人情に厚いのだと思う。
というか、ゆくゆくは人の上に立つセレブたるもの、人心を掴むべく、こうも感情表現が豊かでないとイケナイものなのかと改めて己との人種の違いを痛感し、けど、とりあえず駅前広場での過剰な友愛行動は勘弁して欲しいものだと、出会い数十分にして既に、心強いんだか厄介なんだかわからなくなった新しい友の逞しい背中を、赤子をあやすようにポンポンと叩く俺だった。
非常に、不安だ。
そんな俺の不安は概ね的中して、
結果、不安は解消されたとしても、己の人生を大幅にコースアウトする結果となった。
*ファンタジスタの人生*2. 第3話に続く