ファンタジスタの人生    《1》
 




 悪戯な朝日がボイルのカーテン越しにちらちら瞼の上を踊り、鳩時計が七回囀って爽やかな朝を知らせる。 


 アンティークブルーと白を基調としたモリスっぽい壁紙は、選びに選んで取り寄せた輸入物らしいのだが、素人の俺にその真価はわからない。
ふんわり漂う焼きたてパンと焦がしバターの匂い。 
薄目を開ければベッドサイドに庭から摘んで来たピンクと白のバラが一輪ずつ。 
半割の瓢箪みたいなクリスタルの花器の下、繊細なレース編みのドイリーは手作りだったりして、ついでにスズランとスミレのフランス刺繍のクッションも、クラッシュキルトのベッドカヴァーも出窓に並ぶ壜詰めのポプリたちも、みんな手間隙かけたハンドメイド。 
ご苦労なことだ。

 田舎の婆ちゃんちにあった蚊帳みたいなカーテンを捲り、グググと伸びをしてベッドサイドに立つ。 
フワフワで毛足の長いラグは、いまだに足を下ろした瞬間、犬を踏んだかと思ってビビる。 
八時間ぶりの直立歩行に関節がギギギと軋んだ。 
ヤケッパチになって二回ばかりスクワットをしたら、ツルツルスカスカしたパジャマが半ケツになる。 
シルクなんか嫌いだ。 
ユニクロのスウェットがいい。 
思わず目を閉じれば頭蓋骨の中に、花柄パステルの残像が散る。 
この部屋は頭が痛くなる。

 ふと見降ろせば、サイドテーブルに蓋が開いたままの木箱。 
昨夜から置きっ放しになっていたそれを見ると、一段と微妙にヤな気持ちになった。 

 箱は外側のグルリと蓋の部分に、輪になって踊る可愛い動物達のトールペイント。 
例えるなら季節外れの高原のペンション、十二歳の美少女が赤い木の実をそっと忍ばせたりするのに最適なファンシー。 
だけどもソレの中身は、サガミのゴム製品とチューブに入った温熱系ローション(ブルガリアンローズフレーバー)。 
もーなんだかな。 

 俺はこれらの在庫が多分山ほどこの家のどこかにあるだろう事を知っているし、そしてそれらを念入りに吟味して入手し続けようとしている『奴』、イコール、ロココでファンシーで時にヨーロピアンカントリーなこの愛の巣の創造主でもある『奴』の、秘密のハンドメイド工房があるのも薄々だが知っている。

 そんな知り過ぎた俺の予想通りに、やがてカチャリとドアを開け、エプロン姿の奴がヒマワリみたいな笑顔で聞くんだよ。


 「オハヨウ、ハニー! コーヒーにする? 紅茶にする? ジャムはイチヂクとルバーブ、どっちが良い?」

 「…・・お茶漬け」

 「はぁ?」


 お茶漬け…食べたい・・…




* ***********************


 高二の夏の終わり、海沿いの地方都市で暢気な高校生をやっていた俺は、いきなり帝都の住民になった。 
親父の転勤だった。


 出世とは無縁の親父は某財閥系企業の末端で、役に立つバイキン(オヤジ談)の研究を細々していたが、この夏、突如本社の開発チームに召喚され、急遽転勤・引越しが決定。 
流れ上、なら学校はどうするよ? 
という話になり、通うのは無理、だけど一人暮しさせるのも心配だという親だったが、何故だか本社のお偉いさん経由で今すぐ編入可能だというお勧め転校先を入手。 

 幼稚舎から院生まで、金持ちエスカレーター校として名前の知れたそこは、本来俺んちのような庶民には縁遠い場所ではあるが、聞けば、そのお偉いさんの縁故として色々有利に編入を受けることが出来、そうなれば気になる学費関係も免除枠云々の適応により今の公立とトントン、もしくはそれ以下にまで落ちるとの事。 

 いや、その話し巧過ぎるだろう? 
絶対胡散臭いだろう? 

俺は最初ッから眉唾ではあったが、親は大乗り気。 
しまいには常務補佐とかいう件のお偉いさんまで我が家に遣って来て 「キミは大船に乗ってなさいね」 と微笑み、 「これ、一足早いけど入学祝い」とか言って一万円分の図書券を握らせてくれたりするもんだから、さすがの俺だって観念する他あるまい。


 ―― と云うのは表の理由で、実を言えばこの時、俺にとっての転校話は渡りに船のタイミングだった。 
何故なら当時、俺はストーキングの被害者だったからだ。



 ホシは自宅から高校までの登下校時、ホームの死角に、捨て看板の陰に、隣りの車両のリーマン軍団に紛れて熱い視線を送り、時に素早くシャッターを切って渾身のワンショット盗撮にほぼ毎日励む。 
全く訳がわからない。 

 例えば俺が眼帯ビキニの爆乳AV娘であるとか、ツインテールのセーラー服オジサンであるとか、シマシマを着ていない梅図先生であるとかいうならば、それはレアだ、良く見とけ、そして写メッとけと誰もが言うだろう、俺もそう言う。 
だが、違うだろ? 
俺には眩い肢体も強烈な個性も無く、ましてや生きる都市伝説とも云うべきカリスマ性など微塵も持ち合わせてはいないのだ。 

 痩せ型、やや長身、猫ッ毛、一人っ子。 
地元で上から二番目の公立に通い、成績は中の上。 
コンスタントに告られはするものの長続きはせず、歴代彼女らは交際際開始から三ヶ月辺りを狙い澄ますかの様に、 「なんかァ、このまま付き合ってるって意味ないし、違うって感じだし、ぶっちゃけ無神経だよね?」 などと一方的に俺を誹謗中傷・切り捨てる理不尽振り。 
そして現在、最高レコード五ヶ月更新中の今カノとの仲が、もはや風前の灯だという崖ッぷち男子高校生。 
それが俺。 
そんな男の俺をストーキングして、お前ら面白いのか? 
それで良いのか? 

 そう、厄介な事にホシは男だった。 
しかも複数なのだ。 
視線のその先を注意深く探る事一ヶ月、俺は容疑者を三人にまで絞り込む事に成功する。 


 まず一人は、小山のようにずんぐりした丸刈り自衛官風。 
もう一人はピアス・金髪・細身のチンピラ風。 
この二人は構えた携帯を慌てて隠すところだの、自宅付近の路上で不自然にスポーツ新聞を歩き読みしているところなどの挙動不審な有り様を数回目撃、内、追跡を巻かれたのが二回。 

 状況証拠だけなら限りなく黒に近いのはこの二人だが、だが、なんとなく真っ黒と言い切れない違和感があった。 
コイツらの視線には熱意が感じられない。 
そう、仮にもストーキングしている対象人物を見る、視姦するが如くの濃度の高い熱気や妄想電波に欠けるのが、コイツらをホシと断定出来ない俺の躊躇いの部分だといえる。

 その点、残る容疑者、長身でアスリート体型の若い男、コイツの熱さは半端ない。 

 とはいえ別段、何をしたという訳ではなく、事実だけ見れば白に近い灰色。 
だが、ふと視線を感じるとそこにいる。 人ごみに紛れ、物陰に潜み、熱い視線を送って来るのが多分コイツ。 
多分、と曖昧に濁すのは熱烈凝視の現場を目撃出来ていないからだ。 
そう、こちらがどんなに素早くその視線を追っても、目にするのは後ろ姿か巧みに顔を隠したボディのみ。 
未だ全体像はわからず。 
その巧妙さはまさにストーキングの王者、尾行と逃走の天才振りには脱帽だが、そんな才、気味が悪い事に変わり無し。 

 しかしながら、ビリリと電波を発する熱い視線の意味を考えれば、一番身の危険を感じるのがこの第三の男。 
俺の中では真っ黒に近い黒。 
何か仕出かすぜスメルが、ムワァンと漂うのもこの男。



 「じゃーもー付き合っちゃえばいいじゃん、目ッ茶愛されててハッピィじゃん」

 ギリギリ彼女、橋本ハルカがマスカラを二度塗りしながら吐き捨てるように言う。

 「どうせ麻生さ、誰と付き合ったって同じなんだから、どうせあたしとだって告られたからなんとなく付き合ったとかってだけなんでしょッ! 
だったら同じじゃん、男だろうがストーカーだろうが一番好き好きオーラ出してる人と付き合ったらイイんだよ。 
そうだよ、あいつら『好き』のチャンピオンじゃん、追っかけ回すくらい好きなんだからきっと幸せにしてくれるよ、良かったねッ! 
もうとっとと付き合っちゃえ! 
あたし生徒会の福田君と付き合うことにしたから! 
もう連絡とかしないでよね! 
ちゃんとアドレス消しといてよねッ!」


 ――― のように知り合いだらけの放課後のマック。 
衆目の中、一方的に無茶苦茶言われてフラれた俺の現実は、あまりにも厳しい。 
元カノ橋本の飲み掛けコのーヒーを眺め、しみじみこの五ヶ月の軌跡を振り返ってみる俺。 
サッパリわからない。 
何がいけなかったんだろう?


 なにしろ俺は牧場の羊のように穏やかだから、特別喧嘩もしなかったし、大抵の事は橋本の言いなりの従順さだった。 
そこそこ美人でお洒落な橋本への不満はといえば、せいぜいマスカラの塗り過ぎと爪の尖り過ぎくらい。 
斯くも優しく寛容なこの俺なのに、何で? 
どうして? 
強いて言うなら、何もかもを橋本に一任したからか? 

 そういや 質問にナンでもイイって言うな! って怒られた事があったような無かったような。 
あ、こないだ橋本が家に来た時、ネトゲのスキル上げが佳境に入ってて、うぅん二時間くらい? 
これ観て待っててって【着信アリ2】のDVD渡して放置しといたアレか? 
つーかでも、橋本だってキャーキャー盛り上がってたんじゃねぇの?
…… じゃ、あれもNG? 
橋本繋がりのもう一組と二対二で海行った時 『じゃ、帰りはメシついでにカラオケ行こう』 っての、再放送見たくて一人で家帰って来ちゃったアレ ……

 オイ、俺はもしや結構ヤッてしまってるのか? 

お、そういえばそうだ、付き合い始めに橋本んちに行った時、お袋が香港で買って来た、 前に『グレゴリオ聖歌』後ろに『神キタァ――――――ッ!!』 ってド緑に赤の太字ゴシックでプリントしてあるTシャツ着てったあれも、あー今思えば見た瞬間、橋本フリーズしてたような。
てことは、『あら面白いシャツねぇ』って彼女のお母さんが二回くらい言ってたのって誉めじゃねぇの? 
嫌味? 
アタァ―――ッ、俺普通に謙遜しちゃったし駄目じゃん!

 そういや今さっき、 『グロスに虫引っ付いて死んでるよ?』 って教えてあげたのも失敗か? 
やー、けどさアレは注意するだろ? 
言わないのが意地悪だろ? 
だって虫だぜ? 
死んでるんだぜ? 
ンなの今から何か喰う時に引っ付けとくのヤじゃん、それ教えてやっただけなのに、なのに、あんな人殺しみたいな目俺の事見る事ないじゃん……


 若き日の恋は儚い。


 その夜、自宅二階にある俺の部屋に、何者かが窓からメッセージを放り込む。 
ガチャポンを芯にしたA4の紙に大きく毛筆書きで三行  【あんな女忘れろ。 おまえは悪くない。 元気を出せ】。 
やけに達筆な草書体だった。 
……老人? 
ガチャポンの中身はここ二ヶ月、駅前のスーパー・フォレストに貢ぎに貢ぎ、尚且つ未だ入手出来ずにいたレアコレクション 『世界の動物シリーズNo.43 エチゼンクラゲ』。 


 敵は、予想以上に俺の日常に密着している。 
見てたのかよ? 
マルッと御見通しじゃないか。 
やっぱこの土地を離れよう……この日、俺は決意を固めるのだった。 
けど、エチゼンクラゲは嬉しかった。 
フィギュアに罪は無い。 
有り難う、有り難うストーカー野郎。 


 そんな心情的後押しもあり、二学期合わせでサクッと引越し転校を遂行。 
例の胡散臭い編入試験も疑惑濃厚なままに通過、たいして出来が良かったとも思えないのに何故か授業料半額免除で親だけがホクホク。 
おまけに、編入とくとくキャンペーンとかいって冬服夏服合服二着づつが無料進呈され、益々不信感を顕わにする俺。 
変だよ、ここ。 
何、このサービス過剰ぶり。 
しかし、そんな過剰サービスは、学校ばかりではなかった。

 何しろ取り立てて優秀でもない、一研究員の親父を引き抜くという無鉄砲な経営戦略。 
しかも引き抜いておいて、ほぼ同じ研究を名ばかりチームの一員としてわざわざ本社サイドで続けるというのだから、転勤の目的そのものが意味不明。 
重ねて、そんな無意味な転勤に際し、わざわざ庭付き一戸建てを社宅代わりに提供及び住宅補助による激安家賃、更には企業貢献度ゼロの息子の進学に関する斡旋・優待。 
これが普通の筈が無い。 
ただただ喜んでる能天気な親を尻目に、絶対裏があると悩む俺。 

 恐い恐い。 
根拠の無い親切が一番恐いのだと、死んだ婆ちゃんも言っていた。



 そんなふうにして始まった、俺一人だけが疑心暗鬼な東京暮らし。 
引越しのドタバタも一段落した週明け月曜、転校第一目の朝は、ワタシなんにも考えてません的な快晴。 
行って来ますよと玄関を出れば、すぐお隣りに超豪邸。 

 元々豪邸多発エリアではあるこの辺り、社宅代わりとはいえ我が家も中々のゴージャス設計だが、何といってもお隣さんは破格。 
ぐるりと廻らした城壁に近い石垣は俺の背丈くらいあり、庭木の狭間に覗くのはデカイ・四角い・ともすりゃ公民館レベルのモダンな鉄筋三階建て。 
多分地下付き。 
門柱にはセコムのシール、防犯カメラもバッチリがデフォルト。 
ガレージにはきっと、乗らないで飾ってる高級車がずらっと数台並ぶんだよ、違いない。 

 いやーあるとこには色々あるもんだねぇと、妙に金持ち臭いブレザーに身を包んだ俄か成金の俺は、駅までの道程をブラブラと歩く。 
なに、時間は余裕を持って見といたんだから、近隣リサーチついでにゆっくり散策する筈だった俺だが、予定は未定。 
このあと次々に襲い掛かる不測の事態の数々を、一体誰が想像しよう?
















 *ファンタジスタの人生*1.                               第二話に続く





 * 男前だけど玉に瑕 というテーマで書く  ・・ タマニキズどころじゃない上に長くなってコチラへ 
        
        で、今回、WEB小説の主流っぽい 、「。」 毎に改行で編集してみました。