** 毛玉夏工場  **

      
      


     #3.


     待ちに待った土曜。 

朝っぱらから掃除三昧の俺にお袋は 「あらあらマァ」 と目を丸くし、人が来るのだ、ウサギを触りに来るのだと答えると、出掛ける間際らしい姉は 「ついにお仲間を見つけたわけね!」 と小馬鹿にした感じに笑った。 けれど気にしない。 そんなの全く気にならないくらい俺は今日という日を待ち望み、そして今や舞い上がりそうな上々だ。 ゴミなし汚れなし、ベッドカバーは洗い立てと意味の無い所まで気を配り、仕上げに本日の主役 「ハル」 のブラシを玄関先で入念に掛ける。 こんなに浮かれるのは中二の時、初めてのデートで映画を見に行ったとき以来だと思い、じゃぁ今は何なのだと突き詰めると改めて己の逸脱振りに呆れた。 

そうして、さりげない顔をして実はテンパリつつ向った薬屋の前、大きな紙袋を抱えたクリハラのほっそりした姿。 よお! とか やぁ とか 待たせたな、とか? いやそれじゃ何様だよ・・・。 けれど掛ける言葉を捜す俺より早くクリハラはコッチに気付き、ふんわり笑うと小さく頭を下げた。


 「ま、待った?」

 「うぅん全然。 て言うか俺んちココだし、」

 「ここ?」

ココだとクリハラは薬屋を指差す。 
が、ガキの頃からこの店は知ってるが、ここに子供が居た記憶はない。


 「あ、違う違う! 実家はI県。 夏の間コッチに来てて、」

歩きがてら聞くところに、クリハラはここの老店主の甥っ子だった。 
七月初め、急に体調を崩し入院する事になった店主に代わり、I県から出て来ているらしい。


 「入院中は伯母さんも付きっ切りだし、その間店閉めようかって話だったんです。 けど伯父さんが物凄く反対して・・・・・。 駅前にドラッグストアが出来たから、ちょっとでも閉めるとそっちにお客を持ってかれるって、そんなくらいなら今すぐ退院するって聞かないから。 ならば誰が店を遣るかとなると、皆離れてるからそうは通えないし、じゃあ一番暇そうなのは俺って事で・・・まぁ・・・暇だけど、取り敢えず夏休みで良かったんですよ。」

 「・・・と、夏だし、彼女とかと旅行とかねぇの?」


さりげなく言ったつもりだが、我ながら親父臭い下世話な質問だと思った。
 

 「はは・・・居たら来ませんよ」


即否定に心底ホッとした。


 「学生かぁ、」

 「専門の二年。」

 「アーやっぱ若い。」

 「やだな、そう変わらないでしょう? 俺今度ハタチですけど、ヤベさんは?」

 「2だよ、春から社会の荒波に揉まれ中だよ。」


並んで歩く俺たちの影が、濡れたように黒くアスファルトを染める。 

真上の太陽はジリジリ焦げそうだし、五月蝿い油蝉が鬱陶しかったけど、俺の沸騰ぶりはこの暑さのせいだけじゃない。 がっつくな、急くなと逸る心にセコンドをつけ、さり気なくさり気なくの呪文を唱えつつ俺はクリハラと歩いた。 並んで歩くと眼鏡の隙間から生の横顔が覗く。 日に焼けない白い顔は、夏なのに涼しそうに見えた。 藍色の浴衣みたいな柄のシャツのせいかも知れないけれど、汗だくの俺に比べてクリハラは暑さを感じていないかのように思えた。


 「ん?」

不意に横を向いた黒い目に正面からぶつかる。

 「や、あぁ、暑くねぇのかなと思って・・・」

 「暑いですよ、今日って30℃越してるんじゃないですか? 俺、あんまり顔とか汗掻かないんだけど、背中とかもうダラダラ!」

ハタハタとシャツを摘み、汗さえ掻かなきゃ夏は好きなんだけど…とクリハラは言った。 
だな・・・と答えつつ俺は、ジロジロ見てたのがバレなかった事にホッと胸を撫で下ろしている。 

そうして家までの道程はあっという間に過ぎた。



玄関を開けると、待ち構えていたのか物見遊山な母親が顔を出し、クリハラは品の良い会釈で難なく好感度を手にする。 「後で麦茶持ってくわね〜」 と愛想の良い母親に生返事をしてクリハラを二階の自室に誘った。 姉が留守で幸いだと思った。 見た目もスッキリして品の良いクリハラは、多分物凄く年上の女受けするんじゃないかと思う。 密かに某アイドル好きの母親は勿論、面食いを自負する姉のストライクゾーンもこれじゃ、およそど真ん中だろう。 俺んち敵だらけじゃんと思い、案外自分は嫉妬深いのかなとちょっと落ち込んだ。 

そうして、どうぞと開け放った掃除バッチリの部屋。


「わッ! ホ、ホーランド・ロップ?! すご・・・・カワイイッ!!」


いきなり種類を言い当てられ、あぁこれも今は割りにメジャーなのかなと思った。 

そして意外なハイテンションのクリハラは 触っていい? ねぇ抱いていいかな? と、見事なまでに部屋の事はどうでもいい様子だった。 まぁいい。 念入りなブラッシングでふかふか艶々のハル。 時期的にまだ多少抜け毛は多いが、あの一時のピークは過ぎていた。 ゲージから抱き上げ、 結構抜けるから・・ と一応断りを入れ、うずうず待ち構えるクリハラの手の中にもごもご動く塊をソッと下ろす。


 「あぁ・・・・・・」

モコモコの頭に頬擦りして、キュッと目を伏せるクリハラ。 まさに至福という顔で、クリハラはハルの感触を味わっていた。 されるがままのハルはクリハラの匂いをヒクヒクと嗅ぎ、両手の平におとなしく蹲る。 軽く冷房は入っていたが、この季節頬擦りは暑くないのかなと思った。

 「やっぱ夏は暑苦しくないか? モコモコだし、」

 「ううん。 もう幸せ。 あーウサギを抱っこ出来るなんて・・・・。」

 「そりゃ大げさだよ、」

 「大げさじゃないって。 だって子供とか女の子だったらペット屋とか動物園? 居るじゃないああいうとこに、うん、そういう場所で 可愛い! ぎゅう! ッてするのも別に普通だと思うんだよね。 むしろ微笑ましいッていうか・・・。 でも男がそれするのって物凄い勇気じゃない?」

 「まぁ・・・な・・・」


ビジュアル 「俺」 で想像すると、確かにソレはかなり怖い絵面だった。 でもクリハラなら、そういうの様になるんじゃないかなと思った。 現に今だってクリハラとハル、可愛い愛すべき者同士のツーショットに俺は感動で震えそうになっている。

 「実際、ホントに何度かコノヘンまで実行しかかったけど、やっぱ出来なくって・・・・ でもあぁ・・・夢みたい・・・だってホーランド・ロップのオレンジだし、あぁ・・・」

 「ホーランドロップって前は珍しかったらしいけど、今案外メジャーなの?」

 「ンーどうだろう? 一昔前は、うん、子供の頃飼ってたけど、そん時はかなり珍しかったらしい。」

 「え?! 飼ってたウサギってコレだったのか?」

 「そうそう、同じ、瓜二つ。 ヤベさんちで会えて物凄い偶然でラッキー。 ・・・・あの頃ホント、コレあんまり居なくって、よく「それウサギ?」って言われたもの・・・・・」


そりゃ凄い偶然だと話を広げようと思ったが、ハルを見つめるクリハラが酷く悲しい表情をしているのに気付く。 

死んだ時の事想い出したか? 

わからないが、なんとなくその話を俺はそれ以上聞かない事にする。 
ならばと別の話題を探しふと見ると、入り口にポンと置かれたままのデカイ紙袋が目に入り、

 「ところで、あのデカイ袋なに?」

あっ! と目を上げたクリハラは お土産お土産! とハルを抱いたまま俺を促し、「開けてみてよ」 と言った。 菓子でも買って来たのかなと袋のテープをガサガサ剥がしてみれば、出て来たのはビニール袋に詰まった青々した葉っぱと、いつも試供品でしか知らない 『お高いメーカー』 のウサギの餌。 

 「何がいいかなと思ったんだけど、ヤベさんになに好きか聞くの忘れちゃったし、でもウサギならわかるから・・・・」

袋に入っていたのは、タンポポの葉とハコベだった。

 「伯父さんちの庭、今朝草毟りして・・・・。 犬や猫のおしっこも掛かってないし、綺麗だと思うよ。 うちのウサギはそれ好きだったんだよね・・・この子も好きだといいんだけど・・・」

 「じゃ、試してみよう、」

青々したのを袋から出し、クリハラが膝に下ろしたハルの鼻先に持って行く。 
ヒクヒク興味深げに突き出されたハルのピンクの鼻。 と、

 「食べてる!」

クリハラが相好を崩す。 もしゃもしゃ物凄い勢いで草を食むハル。

 「スッゲェ美味そう・・・・」

 「だよね・・・子供の頃、真似して草食べた事あったよ」

 「美味いのか?」

 「不味い」


そうして笑ったり喋ったり、途中母親が運んできた冷たい麦茶を飲み、葡萄を摘み、俺たちは夏の午後を存分に愉しむ。 会話が途切れても、目を遣れば可愛い毛玉がヒョコヒョコと動く。 ならばウサギ馬鹿同士の会話は、また、馬鹿馬鹿しいほどに弾むのだった。 ハルが間に入れば俺は、さほどクリハラを意識しないで済む。 第一印象から俺の中、どことなく薄倖美人のイメージでクリハラを見ていたが、こうして接する限り、品良く聞き上手なクリハラは別段不幸そうではない。 ま、そうだろうなと思いつつ、幸せで良かったと安心する俺。 

勿論、ウサギばかりでなく互いの話もボチボチとした。 専門はOA関係だというクリハラの話は俺にはサッパリだったが、やっぱり品の良さは真っ直ぐ素直に愛されて育ったからなんだろうなぁと思った。 子供の頃珍しいウサギを飼ってもらうくらいなんだから、結構お坊ちゃん育ちかなとか思った。 それだからか、クリハラは悪育ちの俺の話しをケラケラ笑って大受けで聞いてくれる。 


 「・・で、逃げたの?」

 「うん。 すっげぇ大受けだったんだけど、本人出てきてカンカンで、でも二人捕まって綺麗に自白したから芋蔓で召喚された。」

 「わ・・・」

 「親父には殴られるし、次の日学校で臨時集会とか遣られて、 「嘆かわしい事です・・・」 ッて校長が名指しで説教。」

 「キッツイねぇ!」

 「キッツイよ。 卒業してからしばらくは、ここらじゃ 「あぁ、物まねショーの子ね?」 って名前よりソッチの知名度のほうが高いし、」

クスクス笑う顔が見たくて、言わなくて良い恥の歴史を次々に語る俺。 

気付けばクリハラの頬も部屋も淡い橙に染まる。 夏の長い日も落ちかけていた。

  ―― 飯、食ってけよ ―― ・・・・そう言い出したかったが、初っ端から馴れ馴れしいんじゃないかとか、もっと傍に居たい下心がはみ出てるんじゃないかとか躊躇した挙句、先に  「じゃ、俺、そろそろ・・・」 とクリハラが腰を上げる。

 「じゃ、送ってく」 と言うと、 「やめてよ、それほど方向音痴じゃないから」 と笑われた。 


ソッチ方面で笑われるなら、まぁいいやと思う。 

いやそもそも普通、まさか俺がそういう目で自分を見てるとか、下心とか、この状況では普通ソッチ方面には反応しないだろうと、改めて自分のズレを再認した。


 「じゃ、今日は色々有難う。」

家の前で軽く頭を下げるクリハラ。

 「またいつでも暇見て来いよ」

かなりマジに伝えた。 社交辞令なんかじゃない。 これきりだなんて厭だ。 絶対厭だ。 顔には出さないが、どうかハイッて言ってくれ! と懇願仕切りの俺に、

 「平日だと店終わって後片付けして九時過ぎだから・・・・ 土日なら、今日みたいに時間が作れるんだけど週末はヤベさんも色々あるでしょう? 」

 「や、ないない! 俺、週末暇だから」

暇だ。暇だとも、彼女いない、ウサギだけが友達の俺状態だから、いまや情熱掛けるのはウサギとクリハラその二つに絞るのも吝かではない俺だ。

 「でも、」

 「じゃ、明日も来る?」

 「エエ? 迷惑じゃない?」

 「全然!」

 「じゃ・・・・いいかな? 明日もお邪魔して・・・」

 「お、おう!」


      ヨッシャァッ!! 

明日もクリハラに会える。 明日も会える!!


サヨナラと手を振りつつ、緩む顔を引き締めるのに必死。 
俺は滅茶苦茶ツイてる、ツキ捲くりだよ!! 神様アリガトウと心から思った。 

夕食時、想い出し笑いする俺を家族は気味悪そうに見つめた。 夕飯食べてって貰えば良かったのに・・・と、やはりクリハラを一目で気に入ったらしい母親が残念そうに言い、その母から なぁんかスッゴク感じ良い可愛い子! と説明され「明日は家で語馳走するって絶対引き止めなさい!」と姉はカンカンだった。 つまり俺はコレ幸いと明日、クリハラを夕飯まで引き止める事が出来る。 

全く俺はツイていた。 灰色の毎日がイキナリ極彩色になったように思えた。 


そして実際それからの毎日は、ハル+クリハラで薔薇色の日々。


                     * *


 「で、朝から晩まで怒られてるの?」 

 「まぁうん、そういうこと」 
 
 「うわ〜・・俺耐えらんない! 今だって店出てて、チョッと質問されるだけでスッゴイドキドキするのに!」

 「うん・・・・最初はそうだったけど、今はでもないよ、わりに」 


クリハラが居てハルが居て、お喋りしたり、飯食ったり。 

たまに俺は九時頃家を出て、丁度シャッターを閉めるクリハラを捕まえては店の横、二人で段差に腰掛けて持参した発泡酒を開け オツカレサマ〜 と蒸し暑い夜風に吹かれ ウンマイねぇ〜 とグビグビ飲んだ。 なんて充実した毎日。 充実してた。 満ち足りてた。 ハルが家に来て以来、俺の毎日は信じられない勢いでハッピィを邁進中。 

仕事もコレが不思議と、益々快調で好調だった。 忙しいけれど、楽しい。 そろそろ七月も下旬、もうじき研修も終わるのだが、先日課長自ら遣って来て キミなかなか評価が高いんだけどココで頑張ってみないか? と声を掛けられ 来た来た、ヤッタ! と思った俺。 かなり上向いてる。 俺は絶好調に上向いてる。


何しろホントに足蹴く、クリハラは俺んちに入浸ってくれてた。 それは俺に好意を持ってるというより、多分、こっちに知り合いとか話し相手が居ないのと、ウサギが好きなのと、俺も俺んちの皆がクリハラをここぞと引き止めるからに他ならないと思うのだが。 でも俺が見る限り、クリハラが迷惑そうな顔をしたことはない。 

父親は俺がウサギ以外、人と接してる事に安心したようだし、おまえら構い過ぎだろうと言いたくなるような母と姉の過干渉に関しても、クリハラはにこにこナチュラルに流し、別段厭そうにした事はなかった。 短い間に、クリハラはすっかりうちの家族に馴染んでいた。  


 「ゴメンな、俺んち親も姉貴もこう遠慮知らねぇッていうかウザイだろ?」

 「うぅん、全然。 ていうよりなんかいいなぁッて思う。 ヤベさんちっていいよねぇ、いいよ。」


薄曇の日曜 暑くなり過ぎないから丁度良いでしょう? と母親が、狭い庭先に、すっかり仕舞い込んでいたガーデンチェアーと揃いのテーブルを出す。 そうして猫の額ほどの庭、何を御大層にと思えたが、家族四人とクリハラと、ギュウギュウになってソコで昼食を食べた。 そして折角だからと庭にハルを放す。 逃げるんじゃないの? と姉は言ったが、ハルは外が怖いのかあまりその場を動かず、タンポポの葉をモシャモシャと食み、時折様子を伺うように首を傾げ、同じ場所の辺をヒョコヒョコ行きつ戻りつしていた。


 「庭に芝生が植えてあるって、良いですねぇ。」

パスタをフォークに巻きつけながらクリハラがのんびりと言う。

 「アレなのよ」

姉が庭の隅を指差して言った。 

そこには何だか貧弱なネットが、敷地ギリギリの柿の木に括り付けられていた。 ハテナマークを浮かべたクリハラに説明したのは母親だった。

 「お父さんたら、ゴルフの練習をするとか言ってイキナリ芝生植え出してあんなの買って来て・・・」

忌々しそうな口調に、クリハラは あぁ、ゴルフされるんですねぇ とおっとり相槌を打つ。

 「してたの! 過去形よ。 大体ああいうのだって多少出来る人が遣るのよ。いっくらゴム紐付いてるったって、どこ飛ぶかわからない打ちっ放しされたら周りは怖くて堪んないわよねぇ! ホント、垣根向こう歩いてる誰かにガツンと当てなくて良かったわ、お父さん!」

容赦ない姉の言葉に父親は、苦虫を潰したような顔で 「アレの難しさはお前らにはわからん」 とぼそぼそ言い訳をした。 そして所在がなくなったのか、真ん中のサラダボールのレタスを ソレ! とハルに投げる。

 「だ、駄目だよ、ドレッシング掛かってるんじゃないか?!」

あわてて拾いに行こうとするが、振ってきたご馳走をハルは美味そうに齧る。

 「おぉう、美味いか?」

してやったりと父親は得意げな顔をした。そして、

 「食べてるねぇ、」

暢気にクリハラは相槌を打ち、にっこり笑えば何だか場が和んだ。

つまりホノボノしていた。 
 
そんなホノボノだけど、相変わらず俺の中でのクリハラは、恋愛対象として動かし難いポジションをガシッと固めている。 だからいつだって隙あらばの下心は正直、無くも無かった。 無くも無いけど、このところ、今じゃなくてもいいよなぁと思う余裕があった。 何しろ今でも充分、幸せで満ち足りていたから。 何も欲をかいてそれでなくとも困難なこの先を、素早くジエンドさせるには惜しいと思えたから、俺はこの微温湯に喜んでいつまでも浸る。 このまま浸り続けるのも悪くないとすら思い始めていた。 

だけど俺の事情に関係なく、そういう切欠は思い掛けない所に転がっているらしい。


微温湯でも長く浸かればのぼせるように。








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