星が丘ビッグウェーブ



                        4. 御代は二万円



『兄ちゃん、初めてくんの?』    歯抜けで、初老の小男が手拭を巻き直してくれる。

『こう、ギッとしとかねぇと、後で外れるとえらいよ』   


22時10分。 俺は、ケメ子の指示する事務所に居た。 


つなぎの作業服に着替え、長靴と一体化してる魚屋オーバーオールとゴム手、マスク、タオル、掃除用具一式を白目がちの男に手渡された。 作業員は、俺を入れて5人。 ヤンキー崩れみたいのが一番若くて、さっきの小男が最年長だろう。 白目がちの男、ヨネダがこの場のリーダーらしい。 

バンに乗り込み現地へ向かう。 バンの中は、冷房が効いていて、つなぎでも快適だから、ちょっと美味い仕事かも、などと夢見て失敗。 地獄はここからだ。 ビルはビルでも、地下廃棄処理室及び排水路。 それが今回の清掃場所だった。


持参の重装備で、まず、お化け扇風機を数台運ぶ。 
換気しなくちゃ、マジ、死ぬような、物凄い悪臭が、目と鼻と口を襲う。 そんで持って、消火ホースみたいので、大まかな残留物を弾き飛ばして、いよいよ手作業が始まる。 既に、帰りたい気持ちで一杯の俺。  

昔、ドリフのコントでしか見た事ないような、ライト付きヘルメットを被り 
「つるっと行くと、やべぇぞ」 
と ヨネダにどやされつつ梯子を降りた。 轟々と、お化け扇風機の強風の中、ロボットのようにブラシをかける。 もう、臭いなんて分らない。 ただただ、目も鼻も口もツ〜ンとしてイガイガする。涙がじわじわ出てくるが、拭える状態じゃあない。 見れば、皆そんなだ。 

泣きながら、悪臭の中で働く男達。 
なんだかな。 


1時と3時に20分ずつ休憩があり、弁当と缶コーヒーが支給されたが、手をつける奴も口聞く奴も居なかった。  5時で、上がった俺達は、バンに乗る前つなぎを脱がされ、ソレは二重のビニール袋に詰められた。 そのくらい、俺らが臭いのだ。

事務所で順番にシャワーを浴びて、家に帰ったのは、7時過ぎ。 後二日かよ、気が重い。 なんだかまだ、臭っている気がして、へとへとだけれど風呂に入る。  今夜は着替えを持ってこう、そう思って眠った。 

ハラダも、徹夜してるんだろか?  
糠漬けの胡瓜を噛む、ハラダをふと、思い出した。



その晩、家を出る時、もしかしてハラダが来るかもな と、深夜のバイトが明日迄続く旨 を メモ書きにして、机に置いた。 黙々と、泣きながら働き、帰ってみると、メモはそのまま、ハラダの来た様子は無かった。 

ハラダはどうしているのだろう。  

俺はハラダについて、家が金持ちで、ケメ子とはゼミが一緒で、うっかり見惚れたおかげで子分にさせられた、くらいしか知らない。 リッチなマンションに住んでいるらしいが  あそこは学校から遠くてと、殆ど俺の家に入り浸っている。 

それほど、一緒に過ごしてたのに、ハラダのプライベートというのも、そういや聞いた事が無い。 ハラダに女が居たというのも、俺が知る限りなかった。    あ、でも、アレはどうだろう?  



春先、ケメ子に合コンの誘いを受けた。 ただし相手は人妻。 

『ちょっとした刺激が欲しいだけなのよぉ〜、食べて飲んで歌って、そんで費用はあっち持ち、美味い話よね〜。 あははは。』 

つられて俺も笑ったが、気乗りのしないお誘いだ。 だけども、ケメ子が言う。 

『人妻ったって、30チョイの、イイ頃なのよ。 そーね、マンダヒサコとタナカヨシコが、ぎゅっと若くなったの想像しといてよ。 全然イイでしょ!!』

ソレは、イケル、そう思えた。 
合コン戦士の二人目は決まってるのかと問うと、ハラダだという。 どうよ。


当日、俺とハラダは固まっていた。 


指示された店に行って見ると、モタイマサコとアキタケジョウが、満面の笑みで手を振っていた。 帰れば良かった、後で何か言われたって、その時帰れば良かったのだ。 喰わされ飲まされ歌わされ、デュエット何曲目かでは自棄。 アキタケジョウは、泣き上戸で、ハラダは愚痴られ泣かれ抱きしめられていた。 モタイマサコは、テンションターボで、歌う歌う。 タンバリンを振り回してた俺は、何時の間にか意識を無くす。  気付いたのは、在らぬ所に在らぬ感触を感じたからだった。  


はぅぁ! 間抜けな声を上げ、俺は見た。 

俺の息子がモタイマサコに喰われてる!!  


『連れてくるの大変だったのよ〜。 そこのエレベーターでゲロ吐いちゃうしぃ〜』 

そりゃ、すんません、けど、これは  

『若いと、アレよね、こうね、フフフフ』 

アレでこうなのか? そして続けるのかマサコ!  

男は悲しい。 モタイマサコのすごいテクで、息子は散々泣かされた。  


翌朝、出がらしのような俺は、一人家路につく。 
マサコはとっとと帰ってしまって 「 タノシカッタワ 」 メモと2万円が置いてあった。

二万円、あの時も二万円。  俺の価値ってそんなものか? やや疑問。  妥当といえば、そうかも知れないが、じゃ、ハラダは、幾らなんだろう?  

あの時、ハラダは、アキタケジョウと寝たのだろうか?
あの事は、あれからも、どうにも話せないでいた。 
気まずい感じで、切り出せず、俺はハラダがどうなったか、どうしたのか知らない。 


約束の三日目も終え、6万円を手に、戻る。 これで、扇風機が買える。 
3日で6万、俺はやったぜ。
アパートに、ハラダの気配は無い。  
風呂に入り、弁当をビールで流し込むと、ベッドに潜り込んだ。 
アキタケジョウが、ヒョロッとしたハラダを押し倒すのを、なんとなく想像した。 

小山のような、女が跨るその下の、小枝みたいな白い手足が宙を掻く。 
こりゃ、ハラダは抵抗すら出来まい。  

手篭めにされる町娘。  

や、ソレはちょっと違うんじゃないの? と、なぜか突っ込めず
俺はそのまま眠った。